坊津君と猫柳君が平成スタッフの案件獲得に向け盛り上がっている中、内藤主任も自らが担当する商談の山場を迎えています。6年間のSE経験を生かした理詰めの提案に強い自負を持つ内藤主任は、設立以来、失注続きの第三営業部で初の受注を狙っています。しかし、若くて元気のよい後輩たちを眺めながら、何やら考え込んでいるようです。


「おはよう!…って言っても、まだだれも来てないか」
 第三営業部の朝が内藤主任の独り言で始まりました。

「うわっ」いきなり、何か大きくてグニョっとしたものを踏んでしまいました。
「いてて」寝袋の坊津君です。
「お前、また徹夜か? 寝るならソファか、何かの上で寝ろよ。踏んじゃうじゃないか」
「すみません。ちょっとまあ、えへへ」
「まったく熱心だよな、平成スタッフの件か?」
「今それしかないですよ。なんとしても取らなきゃって感じですね」向こうのソファから猫柳君が返事しました。
「あー、びっくりした。脅かすなよ。猫柳も一緒か」
「坊津さんにジャンケンで勝ちまして。負けたほうが床で寝ると…」
『まったく、この2人は仕事になると夢中だ。新しく始めた趣味みたいに仕事もゲーム感覚なんだろうな、この世代は。僕も、もう少し若ければそうなれたのかもしれない』と内藤主任は思いました。

「おはようございます」桜井君が出勤してきました。
「サクちゃん、のんびりだね」
「聞いてくださいよ、主任。夕べはですね、菅原機械の専務と飲みに行きまして、3軒ハシゴでもうベロンベロンです」
「え? 菅原機械って。あの、来月に最終提案がある…」

(イラスト:尾形まどか)

 そのとき電話が鳴りました。
「はい、内藤です。洞口金属さんですか。お世話になっております。はい、はい…ええっ? そうですか…」
「あーあ。やっちゃったよ」と内藤主任は思わずつぶやきました。
「どうしたんですか? 洞口金属って、結果待ちだったんですよね」桜井君が聞きました。
「そうなんだ…結局、失注したよ。自信あったんだけどなあ」

『自分の何が悪いんだろう。この間までSEだったから技術説明はばっちりだ。お客さんの僕に対する信頼感には、充分手応えがあった。どうしてなんだろう?』
 内藤主任は自分の席で考え込んでいました。スクリーンセーバーが起動しても気づかず、自問自答を繰り返していました。
『第三営業部は設立以来、受注がない。初受注は僕に決まっている。坊津でもなく、サクでもなく、まして猫柳なんかに負けるわけにはいかない。僕は6年もSEをやってきたんだ。どうして受注できないんだ…』
「内藤主任、そんなに考え込まないでくださいよ」桜井君がおずおずと言いました。「中田課長も言ってるじゃないですか。『勝ち負けは戦の常だ。勝ったり負けたりが俺たちのビジネスなんだ』って」
「勝ったり、負けたりじゃない。負けたり、負けたりなんだよっ!」と思わず声を荒げた内藤主任でした。

「すみません…でした」
 シュンとする桜井君に、あわてて内藤主任が謝りました。「こっちこそゴメンな。サクちゃんに当たったりして。でも、連戦連敗だろ? お前たちが受注できないのは分かるけど、なんで僕まで…」
「ひでー、俺たちが取れないのは分かるってさ。猫」
「それは言い過ぎですよね、坊津さん。ま、坊津さんが取れないのは分かるけど」「キサマ、コロス」
 坊津君と猫柳君がヒソヒソと口ゲンカです。

「なあ、サクちゃん。午前中、時間ないか?」
「何ですか? 僕なら空いてますよ」
「ちょっと洞口金属まで一緒に行ってくれないか?」
「えっ」
「失注伺いだ、付いて来てくれ。サクちゃんの目で見てほしいものがあるんだ」

「わざわざお越しいただいてすみませんでした。また、機会があれば必ずお声を掛けますので」
「いえ、こちらこそ貴重な時間をいただきありがとうございました」
 失注の原因について小一時間、洞口金属の担当者と話し込んだ2人は、重い足取りで客先を後にしました。
「結局、価格が高かったんだよな。うちのSEの見積もりミスだよ」
「…」
「僕のプレゼンはバッチリだったんだ。客だって誉めてただろ。なあサクちゃん」
「ええ、まあ…」
「なんだよ、歯切れ悪いなあ。一目瞭然じゃないか」
 駅前の喫茶店でランチを食べ始めた2人でしたが、やはり桜井君は商談については何も言いません。

「なんだよ、気づいたことがあったら言ってくれよ」
「いや、ちょっと、その…」
「さっきから黙ってるけど、僕のどこが悪いと思うんだ? 怒らないから言ってくれ」
「僕には分かりませんけど…」
「けど、なんだよ」
「なんだか、内藤主任はお客さんと会話をしてなかったような…」
 桜井君の携帯が鳴りました。「ちょっとすみません」 桜井君は店の外に出て行きました。

『まる1時間、話していたんだぜ。サクは初対面だから、ろくに話さなかった。ずっとしゃべってたのは、僕とお客さんじゃないか。あいつ、何言ってるんだ』
 内藤主任が豚のショウガ焼きをほおばりながら、窓の外を見ていると、桜井君が帰ってきました。

「内藤主任、昼からのご予定は?」
「特にないよ。経費精算でもやろうかと思ってたから」
「では僕のお客さんに同行してください」
「え?」
「今、別件で中田課長から電話がありまして。今の状況をお話したら、そういう指示が出ました」
「何で? 何かシステムのことで説明してほしいの? 資料もないし、そのお客さんの状況も分からないから、話ができるかどうか分かんないよ」
「いいんです。黙って付いて来てください…って言えって、中田課長が。すみません、偉そうで」
「分かったよ。でも何だろう。どこ行くの?」
「菅原機械です」
「夕べ飲んでたお客さんか。何しに行くの?」
「分かりませんよー! 夕べはご馳走様でしたって、主任を連れて言いに行けって、課長が言うんですもん」
「なんだよ、それ???」

「どうも、専務。急にお邪魔してすみません」
「おお桜井君、いいんだよ。君はいつ来てくれても」
『なんだ、これ? 専務じゃないかよ。なんで年商100億の企業の専務が、サクにいつでも来ていいって言うんだよー。第一、どうしてこんなにニコニコしてんだ』
 内藤主任は驚きました。
「昨夜は本当にご馳走様でした」
「いいよ、いいよ。桜井君は一人暮らしなんだろ? 栄養つけなきゃダメだよ。また焼肉、食いに行こうなあ」もうずっとニコニコです。

「ご紹介します、うちの主任で内藤と申します」
「はじめまして、いつも桜井がお世話になっております」
「ああ、内藤さん。こちらこそ桜井君には、いろいろ教えてもらっていてね」
「え? 桜井が何かお教えすることが…???」
「いいんだ、いいんだ。昨夜はいろいろ教わったから、今日は琵琶通の見積もり金額教えてあげようかなあ」
「えっ本当ですか? 専務」
『おいおい、確かこの案件は琵琶通と一騎打ちになっているはずだぞ。なんで、なんで教えてもらえるんだ?』 内藤主任はもうさっぱり訳が分かりません。
「あはは、でも競合はフェアにやらなきゃね。私も立場上、特定の業者に肩入れするわけはいかないなぁ」
「なんだヌカ喜びじゃないですか、専務。はははっ」

『なんだ? サクもニコニコだな。どうして? 昨夜何があったんだ?』
 内藤主任の混乱は深まるばかりです。世間話が1時間も続きました。昨夜は専務の息子さんの話で盛り上がったようです。桜井君と同い年で、感じがよく似ているという話は見えてきました。『しかし、こいつら、いつまで世間話なんだ? 仕事の話はしないのか?』

「さて、ワシは今から手洗いに行く。そこでだ。ここに琵琶通の提案書がある」
 専務は書類を置き、ニヤッと笑って言いました。
「見てはイカンぞ。5分で戻るからな」ドアが閉まって専務は行ってしまいました。
「おい、サクどうすんだよ」
「もちろん、見ますよ」
「見るなって、専務は言ってたぞ」
「いいんですよ、あれは見てよいってことです」と言うが早いか、桜井君は提案書に手を伸ばしました。その手をつかんで内藤主任は言いました。「待てよ、試されてるんじゃないのか?」
「僕のお客さんです。いいんです。早く見ましょう!」
「しかし…」(次回に続く

今号のポイント:SE経験が営業を難しくすることも

  前々回で、第一営業部の鯨井部長が言っていた通り、「SE経験がないと営業は辛い」というのは事実かもしれない。その一方で、SEの経験があるからこそ、営業が難しくなる部分もある。私は若手の営業に「自社のSEを信頼し尊敬しなさい」と指導している。自分が営業するサービスに自信がなければ、説得力のある提案はできないからだ。もっとも、システム開発の経験がない営業には、SEの仕事が魔法のように見える。「うわ、もう仕様書できちゃったよ」「あれ、バグが直った」「すげえなあ…」。しかし、ヘタにSE経験があると、そうはいかない。そのあたりのことは次号で。

油野 達也
自らもトップ営業として活躍しながら、自社の営業担当者だけでなくパートナー企業の若手営業、SE転身組を長期にわたり預かる育成プログラムに尽力。ITコーディネータのインストラクター経験もあり。