本コラムは2002年12月23日、日経ビジネスEXPRESS(現・日経ビジネスオンライン)に公開したものである。ここでIBM会長とは、前会長のルイス・ガースナー氏を指す。このコラムについて複数の読者から批判を受けたため、2003年3月10日に「続・マスコミを徹底して嫌ったIBM会長」と題した続編を掲載し、批判に答えつつ、マスコミに関するルイス・ガースナー氏の逸話を紹介した。

 このコラムは、ガースナー前会長が著書『巨象も踊る』の中で、手厳しいマスコミ批判をしていることを紹介したものであったが、複数の読者から「何が言いたいのかが分からない」というご批判を頂いた。筆者の意図は、ガースナー氏が著書の中でわざわざ一章を割き、情報技術産業、投資銀行、マスコミ、証券アナリストを徹底批判しているという事実を読者にお伝えすることであった。筆者が知る限り、あれだけ強烈な本音を書いた経営者は過去いなかったからである。以下では2本のコラムをまとめて再掲する。

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 米IBMのルイス・ガースナー会長が書いた『巨象も踊る』を読んだ。この本は経営書ということになっているが、マスコミ批判の書でもある。何しろ「率直に言ってマスコミに対応するのは好きではない」、マスコミの取材を頻繁に受けることは「長い目で見れば、会社の評判と顧客の信頼を傷つける」と言い切っている。

 本書を読んでいくと、至る所でマスコミを批判する文が出てくる。いくつか拾ってみよう。

 「IBMで進行中の動きについて、マスコミに傾聴に値する見識があったとは思われない」

 「いい加減な報道であり、それによって発言の意図が大きく歪められた」

 「1995年にこの服務規程を廃止したとき、異例なほどマスコミの注目を集めた。(中略)実際には、これはわたしが下した決定のなかでも、じつに簡単なものであった」

 「経済関係のマスコミは広告収入の増加に大喜びし、興奮が続くように提灯記事を書き続ける」

IBMの生き残りを疑問視した記事などを引用

 ガースナー会長は、自分がIBMのトップに就任した当時のマスコミの報道内容や、評論家のコメントを実名入りで引用している。いずれも、IBMの生き残りに疑問を呈していたものである。ガースナー会長は淡々と引用しているが、一連の報道やコメントはすべて間違っていたと言いたいのだろう。そもそも「IBM復活の理由を書く」という本書の趣旨自体が、マスコミ批判になっている。

 筆者は1991年から3年ほど、IBMのことだけをひたすら調べて報道する仕事をしていた。このため今でもIBMには関心があり、『巨象も踊る』に書かれたガースナー会長の改革について本当に成功したのかどうか、いろいろとコメントしたいことがある。

 しかし、筆者が記者であるためか、本書を読んでいると、マスコミ批判のくだりばかりが印象に残る。特にすごいのが、「個人的な意見」と題された第5部である。その冒頭には、「不快に思うことを延々と挙げていく誘惑にかられている。この誘惑にはできるかぎり負けないようにするが、完全というわけにはいかない」と書いてある。これはどう見ても、不快に思っていることを書くという宣言であろう。

 不快に思うことの筆頭には、情報技術産業が挙げられている。特にシリコンバレーにあるライバル企業各社の経営トップに対しては手厳しい。「まったく驚くしかない面々である」「各社が突拍子もないビジョンを発表するとき、それを本気で信じているのだ」といった具合である。あるライバル経営者に対しては、引用をはばかられる激烈なコメントをしている。よほど不愉快だったのだろう。

 2番目はちょっと意外だが、投資銀行を米国のバブルの犯人としてやり玉に挙げている。「投機ブームが終わると、投資銀行家はみな金持ちになっている。打撃を受けるのは、苦労して貯めた資金を投じた投資家と、才能を浪費し名声に傷をつけた起業家だ」。

俗論による安易な批判記事を書かないことが先決

 3番目にいよいよ、「経済関係のマスコミ」が登場する。同氏は、「記者のなかにはすぐれた人がいるが、それほどでもない人もいる」といった言い方をしているが、すぐれた記者に対する記述が2行であるのに対し、すぐれていない記者に対する記述は、16行もある。すぐれていない記者に対しては、「対応をするのを拒否した」そうである。

 そして再び、「記者への対応については、少なくする方がいいと信じている」と述べる。実際、ガースナー会長は、取材を年に2~3回しか受けなかった。この徹底ぶりはあっぱれと言える。もっとも筆者はガースナー会長の嫌いな記者を生業としており、同氏の言い分をごもっともと受け入れるわけにはいかない。「取材を受けるのは経営トップの責務」と書きたいところである。しかし、これだけ執拗にマスコミの姿勢や間違った報道をあげつらわれると、そうも言えなくなる。俗論に基づく安易な批判記事を書かない、トップの発言は正確に引用する、といった基本を自分で徹底することが先決かもしれない。