企画の基本である「自らの頭で考えること」は,プランナーの専売特許ではない。Web制作・開発に関わるすべての人々,ひいてはWebを利用するエンドユーザーが「考える経験」を積んだなら,この業界は大きく変わるだろう。

Webプランナーを輩出する土壌作り

 プログラミングであれ,デザインであれ,方法論が確立されている既存媒体では,プロはユーザーの中から輩出される。既存のWebサイトやWebアプリケーションに触れたユーザーの一部が,「こんなWebを手がけられたら…」「自分ならもっと斬新なものができる」といった気持ちでプロのWebプランナーを目指す。

 つまり,より多くのWebプランナーを育成するには,プロの自己研鑽や,新人プランナーの支援以上に,裾野拡大が急務である。それには,プランニングの基本である「自らの頭で考える」経験を持つユーザーを増やさなければならない。

 スポーツを例にとると,わかりやすい。プロの選手だけでなく,スポンサーにもサポーターにも,何がしかの「スポーツを楽しんだ経験」があるからこそ,プロの仕事の難しさを理解でき,薀蓄を語ることができるのである。そして,努力の末の達成感―――シュートが沢山キマるようになった,速く走れるようになった,など―――を経験しているからこそ,高度なプレイに至る道のりを想像して心を湧き立たせ,エラーに対しては我がことのように嘆く「共感」が可能になるのである。

 ところが,こと「考えること」に関しては,その苦難や達成感を経験している人が多いとはいえない。そもそも経験以前に,考える仕事の現場を見たことのある人が,どれほどいるだろう? 人間誰しも悩みは持つが,一つのテーマを突き詰めるのではなく,複数の雑多なテーマについて思い巡らせがちになる。そもそも,日々の糧にありつくためには,突き詰める時間も余裕もないだろう。

 自らが経験してきていないがゆえに,プロの仕事の,素晴らしさや難しさを想像しにくいのではないだろうか。その結果,Webのうわべだけを,評価しがちになるのではないだろうか。

 一つのテーマに真摯な姿勢で対峙し,深く突き詰め,探り,発展させていく経験が,Webに関わるすべての人―――開発者・採用者・利用者―――に,求められている。そうした経験者を母胎として,プランナーは生まれるのである。

考えは「感じ,考え,表す」の繰り返しで深まる

図1●考えを深めるサイクル
図1●考えを深めるサイクル

 「考える」という行為は,三つの能力を使った作業を繰り返すことだ。その能力とは,図1のように,感受性,思考力,表現力だ。

 まず,どのような微細な情報も,震えるような繊細な感性で逃さずとらえ,広い精神で受容する,感受性というセンサーを研ぎ澄まさなければならない。

 このとき重要なのは,「情報=データ=bit」という観念にとらわれないことである。なぜなら,まだ,この地上の現象のすべてが,2進数で表現されているわけではないからだ。私たちが,「データ」として入手できる情報は,ごく限られている。これまで口を酸っぱくするほど書いてきたが(例えば,「第9回 良いアイデアがわく人とわかない人はココが違う」を参照),金銭,効率,五感の満足にのみ価値を見いだすことをやめなければならない。刹那的な快・不快や,直接的な利益のみを基準に情報をフィルタリングするクセが付いてしまうと,それ以外の情報をキャッチできなくなってしまう。

 また,ネット上で体験できる感覚と,現実の身体感覚を混同しないことである。いかに優れたシステムであっても,まだ,季節のうつろいを伝える風の香りのような情報は,ユーザーに伝えられない。このことを,忘れてはならない。

 次に,とらえた情報を分析し,集中力を高めて,深く分け入っていかなければならない。思考の袋小路で立ち止まったり,無数の選択肢に決断を迫られたり,バラバラの思考の断片の中に共通項を見つける必要性に迫られることもあるだろう。

 最後に,考えた結果を出力してみなければならない。そのためにも,自分の得意とする出力形式を,一つ持っておくとよい。書き言葉,話し言葉,絵,音,式,動作など,何でもよい。

 そして,一度出力した結果を,再度受け止めて考えてみる。この繰り返しによって,考えが深まっていく。そして,突き詰めた結果,達成感がもたらされる。そうか,わかったぞ!これまでなんと自分は無知であったろう!と,心が広がるような気付きが訪れる。それは,世界の見方が変わる,感動の瞬間だ。

「考える人」が育つ,環境づくりが急務

 考える行為の1サイクル,つまり,感じて,考えて,表現するまでには,一定の時間が必要だ。だが,考えている過程の脳の働き,苦痛,表現できないもどかしさ,焦燥感は,周りからは伺いしれない。

 「考えること」に理解のない職場では,口数少なく頭を抱えた様子は倦厭(けんえん)され,脳の疲労は見過ごされる。ロダンの彫刻のようなポーズを何日も続けていたら,職場の雰囲気を損うものとして歓迎されないだろう。仕事をサボっていると誤解されるかもしれない。

 このような環境では,形のあるモノを直接生み出すわけではない「考える」作業には,「面白くもない,何の価値もないこと」だという烙印が押される。そのため,工夫や提案を諦める人も出てくる。「考えれば考えるほど,立場が悪くなるだけだ。顧客の言葉通りのものを実装すれば,責任は果たしたことになる」と。

 スポーツの例と比べてみれば,大きな違いである。「身体も使う」経験は賞賛されるが,「頭のみを使う」経験は尊重されない。その理由は,単純だ。スポーツでの練習や汗やケガは目に見える。身体を使うことの辛さやケガの痛みを誰もが経験しているために,基礎練習の意義と,その困難を,自分のこととして想像し,理解できるからだ。

 だから,もし,Webに関わるすべての人が「考えること」を自ら経験し,その意義と困難を想像できるなら,プランナーが育ちやすい,考えることに対して理解の得られやすい環境が作られるに違いない。

「考える経験」を持つ人の増加による,Web業界のメリット

 Webに関わるすべての人が,程度の差はあれ「考えること」を経験したなら,Web業界は,大きく変わるだろう。具体的には,次の三つの効果が期待できる。プランナーを輩出するだけでなく,Webそのものの底上げにつながると考えられる。

(1) 企画案の採用基準と利用者意識の向上

 Web提供者(プランナー)の力と,Web発注者(顧客)とWeb利用者(エンドユーザー)の力は,ニワトリとタマゴの関係にある。

 顧客側に見る目があればこそ,ユニークな企画が採用される。ユーザーに見る目があればこそ,斬新なアイデアが評価される。顧客とユーザーの要求レベルが高ければ,プランナーは受注のために努力する。ハイ・クオリティなWebに慣れた顧客とエンドユーザーの期待は,いっそう高まる。プランナーは,ますます努力する。かくして,Webは洗練されていく。

 Webという媒体は,利便性のみを提供しているわけではない。情報には「納得」や「安心」を,ネットショップで売られるモノには「満足」を,コミュニケーション・ツールには「共感」を,音楽のダウンロード・サイトには「いやし」や「感情」が付加されている。顧客もユーザーも,Webに対して,情報やモノだけではなく「感動」を求めている。

 「感動」はインタラクティブなものだ。感受性の鈍った相手に,いくらクールなコンテンツを企画しても,感動を与えることは難しい。例えば第22回(「言葉」こそ,Webコンテンツの基本)で取り上げた「レモン」と「檸檬」の違いを顧客やユーザーがわからないなら,どちらの文字を使うかは考えるまでもない。顧客やユーザーが,考える経験によって,高い感受性を獲得していればこそ,大味なWebは姿を消していく。

 顧客とユーザーは,もっとワガママであっていい。ただし,それは,仕様膨張や,予算削減,工期短縮といったクオリティの低下を招くワガママではない。企画段階で,インタフェースやデザインやコンテンツなどに対して,もっと高い要求をすればいい。

(2) 制作・開発チーム力の強化

 スポーツのチームでは,特定ポジションの選手の役割とその重要性を,監督や他の選手が理解できるからこそ,協力し合うことができるのではないだろうか? Web開発のプロジェクト・チームにおいても,「考える」仕事の役割をメンバー全員が理解していればこそ,団結力が強まるだろう。メンバー全員の「考える経験」は,プロジェクト・チームを強くする。

(3) 異業種のコラボレーションの円滑化

 通常,デザイナーとエンジニアの相互理解は難しく,コラボレーションでは,スレ違う部分もある。それは,デザイナーとエンジニアのいずれか一方が「考える仕事」―――Webに限らず他媒体のプランニングでも同様―――の経験者で,もう一方が実装のみ経験しているケースで多く見られるのではないかと思われる。「考える」経験に極端な差があると,「考え」を伝えても一方通行になり,論点がズレかねないからだ。

 だが,デザイナーもエンジニアも「考える仕事」を経験していたら,どうだろう? 相手の言葉を傾聴し,高い感受性で受け止め,熟考し,自分の意見を的確に表現できる者同士であれば,侃々諤々(かんかんがくがく)やりあったとしても,互いのハードルを上げるための意見や指摘や提案が飛び交うだけだ。それは,結果的には,制作物のクオリティを高めるための有益なやり取りとなる。「考える」者同士なら協業しやすいはずである(表1)。

表1●「考える仕事」の経験者同士なら,職種が異なっても無益な争いは避けられるはずだ
表1●「考える仕事」の経験者同士なら,職種が異なっても無益な争いは避けられるはずだ

 考える経験を積んだユーザーから,Web制作・開発者が輩出すれば,職種の異なる者同士の関係は好転すると思われる。いろいろなコラボレーション・ツールが登場しているが,それらはあくまで知識や技術を補助,支援する手段であって,コミュニケーション能力や共感能力を高める道具ではない。「考える経験」を持つ人が増えれば,デザインと技術の間の無益な争いは減っていくに違いない。

「考えることを実践するプロ」が,今なすべきこと

 考える経験を持つユーザーを増やすには,できるだけ人生の早い段階から,考える経験を重ねるほうがよいと思う。

 学童期に「なぜ?」という疑問を抱き,突き詰めて考えていると,浅く考え迅速に成果を上げる方法から,何歩も遅れてしまう。そして,遅れを取り戻すために,質問と回答を紐付けて暗記するようになり,ますます考える余裕がなくなってしまう。この体験を繰り返せば繰り返すほど,「考えること」に対するマイナス・イメージが定着してしまう。

 断っておくが,ここで言う「考える経験」とは,○×式で成否を判定可能な,唯一の正解がある問題の解を見つけることではない。複数のアプローチ方法,複数の解釈方法があるテーマに対して,一人で思い巡らすことである。例えば,数学の一つの問題に対し,正解を導き出す方法を何種類も「考える」。小説を読んで,登場人物の言動の背景を,様々な角度から「考える」といったことだ。

 このような考える経験を積む前に,人生をナビゲートされ,回答を与えられてしまうと,余程の反骨精神がない限り,プランナーの素質を閉じ込めようとする周りの環境に抗えぬまま,社会人になってしまいかねない。考える経験を積まないままWebプランニングに携わり,いきなり,企画案を考えようとしても,戸惑うのは必至だ。

 筆者も含め,プランニング経験者が今なすべきことは,「考えること」の意義と価値を声高に叫ぶことではないか。そして,自分の頭で考えることのできる人を,一人でも増やしていくことではないか。

 そうすれば,顧客やユーザーの見る目も高くなり,プランナーを目指す人も増え,Webのクオリティは自ずと高まるはずだ。さらに,Web業界に限らず,問題解決能力を獲得し,指示待ち人間から脱却する人々が増える,という副産物も期待できるかもしれない。

 「考える」価値を広める行為には,さらに重要な意味がある。これから,「利益=金銭(貨幣,あるいは数字)」というシステムは激変するだろう。労働の対価は,手に触れる物質あるいは,目に見えるものではなくなるだろう。情報しかり,知しかり,感動しかり。そのとき,Webの存在意義は激変するに違いない。

 これまでWebプランナーには,Webサイトそのもののプランニング―――利潤追求の企画―――がもとめられてきた。これからは,Webサイトという媒体を通して伝える新しい価値のプランニング―――例えば社会のバランス機構を維持する企画や,ネット社会を実社会と遊離させずシームレスにつなぐ企画―――が,求められるようになってくる。そのような全く新しい企画を考えるには,社会の縮図である自分という存在について深く突き詰めなければならない。その結果として得られたものを,現実の生活や仕事につなげていくことこそ,「考えることを実践する仕事」に就く者の役割ではないだろうか。