2006年6月、GMの情報化は新しい段階を迎えた。IT(情報技術)ベンダーと5年間にわたる世界的なアウトソーシング契約を結んだからだ。パートナーに選んだのは、米エレクトロニック・データ・システムズ(EDS)、米ヒューレット・パッカード、仏キャップジェミニ、米IBM、米コンピュウェア・コビシント、インドのウィプロ。彼らにシステムインテグレーション分野の仕事を委託する。今後、通信分野のアウトソーシングの計画も発表する。両分野を合わせた契約総額は150億ドル(1兆7500億円)。おそらく企業が結ぶIT関連の入札額としては、史上最高だろう。

 これでGMのアウトソーシングは、第3世代に入る。第1世代は1984年から96年で、当社がEDSを買収し、彼らにIT運営を任せた時期だった。第2 世代はEDSを独立させた96年から現在までの10年。この時期もEDSにIT運営を委託してきた。私はちょうど第2世代が始まる96年に入社した。

競合より圧倒的にIT関連出費が多かった

 10年前のGMの情報システムは“グローバル”ではなかった。信じてもらえるだろうか。当時世界に約7000種類ものシステムが存在した。システムの導入を各拠点、各部門の自主性に任せ、バラバラに導入していたからだ。外注先を基本的にEDSに限定していた結果、ほかの自動車メーカーと比べて圧倒的に IT関連の出費が多かった。

 私が赴任するまでCIO(最高情報責任者)はおらず、情報化についてのリーダーシップが弱かった。そこで組織を見直した。情報システムの変革には、業務プロセスをきちんと理解した人材が不可欠。GMの各部門から優秀な人材を約1000人抜てきし、社外からも約1000人のIT人材を採用し、 IS&Sという約2000人の組織を作った。

 それ以降、IS&Sが中心となり情報システムのグローバルな統一に取り組んできた。様々な業務プロセスを見直し、システムを2400に減らした。EDS以外のITベンダーとの契約も増やした。IT関連の出費は96年と比べて10億ドル以上減った。

 これから第3世代に入る。EDSとの10年間の契約が切れるので、抜本的な変更が可能になったのだ。第3世代では、ITベンダーとはすべてグローバルに契約を交わす。そのためにはまず仕事の手順をグローバルに統一しなければならない。2年前からITベンダーも参加して準備を開始。部品調達から設計、生産、販売、アフターサービスに至るまでの基本業務、幹部のための管理業務、内部統制やセキュリティーなど、ITが必要な「44の標準プロセス」を定め、全世界で仕事の流れやシステム様式を統一してきたのだ。

 私はIS&Sの社員を「ビジネスITブローカー」と名付けた。彼らは自分の責任でウォール街のブローカーのように、IT関連の機器やソフトウエアを購入し、運用しなければならないからだ。単に技術的なサポートをするのではなく、どれだけビジネスプロセスを変革できるかで評価は決まる。

 彼らが会社の考えを理解して正しく行動するためには、コミュニケーションが重要だ。そこで年4回、「グローバル・タウンホール・ミーティング」を開催。 IS&Sの全社員が参加する。電話やウェブで参加できる仕組みも整えた。ここでCIOの私が全社的な状況や方針を伝え、次にITを通じて会社に貢献した人を表彰し、最後に質疑応答を受ける。

 現在、GMは業績面で少々苦労している。しかしIT担当の立場としては、10年間前向きに努力してきた。例えば、製品開発期間はこの5年で半分に縮まった。製品開発に関連する情報をリアルタイムで共有できるシステムを構築するなど、ITがそれを支えた。トヨタなど日本の自動車メーカーに比べ、設計、生産、調達といった開発工程を同時並行的に進めるコンカレント・エンジニアリングではまだ劣っている面はある。だが、差は急速に詰めている。品質も急速に良くなっている。

 マスコミはそうしたことをあまり書かない。取り上げるのは、年金や医療費の高さ、原油高による悪影響、グループの大手部品メーカー、デルファイの労働争議ばかり。GMが直接関与できない問題を取り上げ、企業イメージが傷つくのは、残念だ。

 これから自動車産業はますますグローバルな競争の時代に突入する。第3世代のアウトソーシングを成功に導き、会社のグローバルな競争力を磨くのが、CIOとしての私の役割になる。

ラルフ・シゲンダ氏
1948年、米ペンシルベニア州生まれ。75年テキサス大学電気工学科修士課程修了。米テキサス・インスツルメンツに21年間勤めた後、93年米ベル・アトランティックに上級副社長兼全社CIOとして入社。96年GMに上級副社長兼全社CIOとして移籍。10年間にわたってGMの情報化を推進してきた。