樋渡 雅幸
トーマツ コンサルティング シニアマネジャー

 日本企業の多くの経営者から聞かれる言葉として、「米国は性悪説に立脚し、法が構成されているが、日本は性善説に立っているはずだ。このため、日本では社員を信用しなければ経営は成り立たない」というものがあります。

 マネジメントを担う以上、社員を信頼して経営を進めることは当然です。しかし、現在の日本において、数多くの大手有名企業などで起きている不祥事はどう説明がつくのでしょうか。また、多くの企業では、社員が横領などへの誘惑に左右されるというリスクを懸念し、お金を預かる担当者と、会計データの担当者は区分しているはずです。すなわち、社員を信頼していながらも、その社員が行う業務について、職務分掌を明確にすることによって、リスクが顕在化しないように牽制(けんせい)を効かせているのです。このような牽制については、性善説も性悪説もないはずです。

マネジメントとして「責任」は明確ですか?

 次のようなケースを想像してください。日本企業の多くの管理職が陥りがちな、過去からのしがらみに縛られているケースです。

 社長に就任したあなたは会社の経営内容を確認しました。

あなた「なんだ、この取引は! 初めて見るぞ。先代? いや先々代の社長の時から継続されている取引だぞ。いったいどういう取引なんだ?」

担当者「社長、経緯は全く分かりませんが、先代の社長の代から、この取引先からの注文に関しては特別の割引を計上するようになっているようです。今までは気にもせずやっていましたが、社長からのご指摘で確認すると明らかにおかしいですね。しかも、この取引は社長にお見せする資料と決算の書類では異なった記載になっていることを考えると、明らかに違法です。どう対応すればよいのでしょうか。先代からの関係に弓を引いてよいのでしょうか。弊社の販売の50%を超える部分がこの会社との取引です。打ち切られたりしないでしょうか」

あなた「確かに、この会社との取引がなくなると当社にとっては大打撃だ。しかし、不正な取引が公になり、また決算の不正操作まで懐疑があるとなると会社の存続自体が危うくなるぞ。どうするべきなのか」

 勝手なシチュエーションではありますが、このような違法な取引というものは、自分の在任期間だけに起因するものではないことが多々あります。しかし、事が公になると、社会から批判にさらされるのはあなた、すなわち、その時にマネジメントを担っている方なのです。しかも、この件が引き金となり、企業がマーケットから退場を強いられることすらあり得るのです。

 その際に、「私も部下も悪くない、というより何も知らないんだ。どうすればいいんだ」と発言しても社会は経営者の責任を追及します。経営者として後悔をしないためには備えることが必要な時代になったといえます。この「備え」こそが、内部統制なのです。

 企業運営を担う経営層が、自分が担当している時期に社内で実施されている業務に関して、責任を持つ。すなわち、企業が行っている業務(=企業としての社会での存在意義)に対して説明責任を果たす、ということになります。

 しかし、すべての業務を経営層が把握し、説明責任を果たすということは、物理的に難しいといえます。このため、説明責任を果たすべき業務ごとに社内のプロセスを規定し、そのプロセスにのっとって業務が間違いなく遂行されていることを(自己監査を含めて)監査し、マネジメントが適正に実施されていることを宣言するということが求められるのです。当然のことながら、この際に規定したプロセスが法に準じていることが必須です。

 これが最も簡単な内部統制の定義となります。

事例に学ぶ内部統制構築の意義

 次に具体的な事例を基に、先ほどの「内部統制の定義」を実現するに当たり、現在の経営の中に内包されているリスクについて考えてみたいと思います。

 「うちの会社は社員がしっかりしているから」「うちの会社の人間は基本的に悪い人はいないから大丈夫」。このような何の根拠もない過信だけで自社の管理体制を把握している経営者もいるようです。ここまで、幸運にも新聞沙汰になるような大きな問題が生じていなかったのかもしれませんが、このような思い込みこそが最も大きなリスクです。

 もし、大きな問題が生じていたにもかかわらず、担当部署がすべての処理を行い、社長へは都合よく加工された事後報告しか上がってきていないといった状況の場合、先ほどの経営者の後悔となってしまうのではないでしょうか。もし、経営者が「自分の任期中に問題となるようなことは起こってほしくない」という願望で目をつぶっているのだとしたら、これは本末転倒といえるでしょう。

 経営者が「社員を信頼しているから」「管理なんて不要」というようなきれいごとや見ないふりで「何のために管理しているのか」を意識しない、もしくは「現実的に、どのようなリスクがあり、それらの影響度はどの程度なのか」を認識していないのであれば、与えられた責任を果たせていない――。そんな時代となったといえるのです。

 こうした「内部統制のあり方」という視点から見ると、数多くの有名企業の不祥事は説明がつきます。

 例えば、ライブドア事件の逮捕理由は証券取引法違反(偽計取引、風説の流布)容疑でした。なぜ、このようなことが起きてしまったのでしょうか。防ぐ手立てはなかったのかという角度から考えてみたいと思います。

執行と監督の分離

 ライブドアは上場企業であり、商法上の大会社であったため、監査役会などの設置は法律上からも対応していました。しかし、結果としてトップマネジメントの暴走を食い止められなかった可能性があることを見ると、こうした仕組みが十分に機能していなかったといえます。すなわち、執行者と監督者が同じであり、十分な牽制が効いていなかったとも考えられます。

意思決定プロセスの透明性

 少数の、しかも創業期から気心が知れているメンバーで占められた取締役会が最高意思決定機関であったのかもしれません。このため、重要な意思決定は、すべて社長の一任で判断が下されて、かつその意思決定プロセスは関与しているメンバー内のみで進められることになっていたのかもしれません。もし、そうだとすれば、十分な透明性が確保されておらず、結果として第三者からの適切な牽制が効かなかったということになります。

マネジメントの順法意識

 報道されている多くのコメントを見る限り、必ずしも順法意識が高かったとはいえないようにも思われます。このため、結果的にはマーケットからの目を意識した牽制すら、実は効かない状況になっていたとみることもできます。

部門責任者の責任と権限

 先の通り、最高意思決定機関である取締役会の不正行為について、経理責任者に指示を出して実施させていたことが報道などで明らかになっています。組織的には難しいことではありますが、部門責任者のプロ意識ということも希薄していたようでもあり、一方では責任者に対する責任と権限の付与についても、このような結果を生む余地が存在したともいえます。

 これらはあくまでも報道されている事実関係を基にした推察の域を出ませんが、すべて他人事とは言い切れない示唆も含んでいるに違いありません。実は、ライブドアの例に掲げた確認項目はすべて、内部統制の構築の際に確認されるべきチェック項目にほかなりません。

 結果論を基に、「それ見たことか」というようなつもりは全くありません。ただ、内部統制の本来の意味を理解し、その構築を行っていた場合、上記の項目は必ず担保されるべく構築される項目なのです。これらの項目を網羅する内部統制を構築しておけば、マーケットからの退場を迫られていなかったかもしれないということをお伝えしたいのです。