顧客との取引関係が長くなると,ベンダー側に気のゆるみが出てきがちだ。だが,「長い付き合いだから,顧客のことはよく分かっている」という自負が行き過ぎると,契約打ち切りや失注といった取り返しのつかない事態に発展してしまうことがある。

イラスト 野村 タケオ

 2003年9月中旬,大手ベンダーのC社で営業担当者として活躍中のN君(30歳)に,SE部門のYさんから緊急の電話連絡が入った。N君の担当顧客であるX社が,C社製のサーバーをライバル社製のマシンにリプレースするというのである。「しまった!」。真っ青になったN君は,とりあえずX社に向かった。その途中ずっと,頭の中にはYさんの言葉が響いていた。「2カ月も前に伝えたじゃないか。『X社の新しい情報システム部長が,これまでの分散システムを集中型に刷新することを検討中だから,当社も早く提案を準備しないと手遅れになる』って」――。

 N君はC社に入社して7年間ずっと,営業畑を歩んできた。今では10社以上の顧客企業を担当している。顧客からの要求に応えるため,毎日遅くまで資料作成や調査に精を出す姿に,上司からの信頼も厚い。

 そんな誠実な勤務態度が認められ,N君がX社を任されるようになって1年たつ。全国に6つの事業所を展開する中堅の加工食品メーカーであるX社は,C社にとって十数年来の重要顧客だ。業務システムやメールシステムなど,X社が活用するシステムの大部分はC社が構築した。現在も,担当SEであるYさんが人事システムの変更作業に従事している。

現場からの情報を無視した

 そのX社で大規模な人事異動があったのは,2003年7月のこと。A部長が,情報システム部長に着任した。A部長はコンピュ-タの専門家ではないが,業務管理部での経験が長く,全社の業務に精通している。仕事ぶりはクールで厳しいと評判だった。

 システム変更作業でX社に常駐しているYさんは,こうした動きをいち早く察知し,すぐN君に電子メールを送った。「X社のシステム部長が変わった。近日中にあいさつに行った方がいい」。数日たってもN君から返事はなかったが,「まぁ,真面目なN君のことだから,わざわざ知らせなくてもひんぱんに顔を出しているだろう。余計なお世話だったかな」と,さほど気にしなかった。

 ところが,N君はそれどころではなかった。ちょうど,担当する別の案件が火を噴いていたのだ。想定外の追加作業が発生し,その対応にかかりっきりだった。毎晩遅くまで顧客との善後策について相談をしたり,社内調整に奔走していた。X社にも,顔を出せずにいた。「新任部長へのあいさつなど,後回しだ」というのが正直な気持ちだった。

 そのころ,A部長はさっそくらつ腕を振るっていた。「現在,年間のIT関連費用が売り上げの2.3%を占めているが,この数字を3年後に1.5%まで削減する」と宣言。社内に約40台設置しているサーバー機を,数台に集約する断を下した。運用コストの削減とセキュリティ強化を,一挙に実現させる狙いだった。「付き合いの長さではなく,提案内容やコストをシビアに比較して発注先を決める」というA部長の方針に従い,ただちにベンダー選定に入ることになった。

 この計画を耳にしたYさんは急いでN君に電話したが,外出中でつかまらなかった。仕方なく,「X社がサーバー統合に動き出した。至急,対策を練るべき」という伝言を残した。「N君,大丈夫かな」という一抹の不安は残ったものの,人事システムの変更作業は佳境に入っており,Yさんは本来の業務に専念することにした。

 当のN君は,前述のトラブルにまだ振り回されていた。開発遅延を余儀なくされ,顧客との交渉や要員確保に手間取っていた。時折,Yさんからの伝言メモが頭をかすめたが,目の前の問題をつぶすのに必死だった。「X社とは,長年にわたる取引関係がある。経営トップ同士も親しいから,そう簡単に他ベンダーに乗り換えることはないだろう」という甘えの気持ちがあったことも否めない。

 こうして2カ月が過ぎた9月のある日,YさんはX社のシステム担当者の話を聞いて腰を抜かしそうになった。X社がC社抜きでコンペを実施し,発注業者を決めたというではないか。「N君はいったい何をやっていたんだ」。本人に直接問いただそうと,慌てて電話に飛びついた。そして,冒頭のシーンにつながる。

顧客への甘えを見抜かれる

 Yさんからの連絡を受けてA部長のもとに駆けつけたN君は,初対面のあいさつもそこそこに頭を下げた。「長年,弊社のサービスをご利用いただきながら対応が後手に回り,ご迷惑をおかけしてしまいました。すべて私の怠慢と不注意が原因です」。だが,A部長は「謝られても困る。今まであなたの会社と当社との付き合いがどうだったかは知らないが,ITはすべてC社に決めているわけではない」と,取り付く島もない。

 N君は,なんとか挽回しようと「弊社にも一声かけていただけたら…」と言いかけた。その瞬間,A部長はN君をギロリとにらみ,こう言った。「別に,C社をわざと排除したわけではないよ。各ベンダーの営業担当者が来社してくれた折に,提案を依頼することにしていただけだ。逆に言わせてもらえば,当社のメイン・ベンダーと言いながら,2カ月もほったらかしにされてはね。信用できないよ」。

 痛烈な一言に,N君は一瞬言葉に詰まったが,「すべて私の責任です。ぜひ,弊社にも提案させてください」と食い下がった。A部長の答えは素っ気なかった。「その必要はない。今回のサーバー統合は,J社にお願いすることに決めたよ」。

 X社を後にしたN君は,「いくらトラブルに忙殺されていたといっても,他の営業担当者を差し向けるといった手段は講じられたはずだ」と自分を責めた。あの様子では,A部長の決断を覆すのは不可能に近いだろう。主要顧客であるX社の案件を失注したとなっては,大事件である。N君は,帰社後に上司に報告することを思い,ただただ憂鬱だった。

今回の教訓
・長く取り引きしている顧客企業でも,慣れは禁物だ
・顧客企業の人事異動時は要注意。ゼロから新たな関係を作り直す必要がある
・現場のSEやプログラマとは,密接なコミュニケーションをとって連携すべし

岩井 孝夫 クレストコンサルティング
1964年,中央大学商学部卒。コンピュータ・メーカーを経て89年にクレストコンサルティングを設立。現在,代表取締役社長。経営や業務とかい離しない情報システムを構築するためのコンサルティングを担当。takao.iwai@crest-con.co.jp