日本情報システム・ユーザー協会 IT匠フォーラム

JUAS産業のレガシー・システム刷新プロジェクトは、崩壊の危機を迎えていた。間近に迫る役員デモはうまくいきそうもない。立ち上げ時の確執以降、一歩身を引いていたシステム企画部長の金山は、危機を見かねてプロジェクトのいったん中止を提案する。だが、社長室長でプロジェクト・マネジャの木下は聞く耳を持たない。あろうことか、金山の部下でシステム企画部課長の永山も、木下に同調してしまう。



 木下が金山のプロジェクト中止提案を拒絶したころ、角川は青い顔をして仕事をしていた。役員デモを翌々週に控え、ここ1カ月間、平日は毎晩終電、土日も出勤が続くなど、疲労はピークに達していた。

 プロジェクトだけでなく、家庭もうまくいっていなかった。5年前に結婚した妻の雅子は、もともとシステム企画部の同僚だ。何かとストレスがたまる角川の仕事をよく理解しており、これまではよくサポートしてくれていた。

 その雅子がついに切れた。

イラスト:今竹 智

もう一つの危機

 その日も角川の帰宅は終電だった。あわただしく入浴をすませると、すぐに寝室に向かおうとした。4歳になったばかりの長男は別室ですでに寝ているが、顔を見る体力が角川には残っていない。生後7カ月の次男の様子を雅子に尋ねる気力もわかない。

 次男をあやしていた雅子は、当然、機嫌が悪い。「最近のあなた、変。いったい会社で何が起きているの」。声のトーンが上がった。

 「今日は疲れているんだ、休ませてくれ」。角川はいつものように寝室に逃げ込もうとした。しかし、今日に限って、雅子は許してくれない。「仕事が忙しいことは分かっています。でも、これまでとは忙しさの中身が何か違うみたい。会社で何があったの? 私に手伝えることはないの? 夫婦なんだから、教えてくれもいいじゃない」。

 「その通り」。角川は思った。最近の自分はどうかしている。「家族あっての仕事」というのが自分なりの哲学と信じていたが、どうやら家族よりも仕事のほうが心配らしい。

 我ながら情けなかった。そんな反省をしながらも、どうしてか今日は素直になれない。口から出たのは別の言葉だった。「だれのために、毎日遅くまで働いていると思っているんだ」。

 言ってはいけないひと言だった。雅子の顔色がみるみる変わった。「それはどういう意味。私と子供たちのために苦労しているのだとでも言いたいの。本当は自分のために働いているんでしょう。この子を生む時にあなたはどれだけ協力してくれたって言うの。みんな私に任せきりで…」。雅子の甲高い声を後に、角川は寝室に逃げ込んだ。

 翌朝、角川家の雰囲気は最悪だった。雅子は、表情を押し殺したまま、無言で朝食の準備をする。

 角川もなぜか素直になれない。昨年末、次男が生まれたとき、角川は生産管理システムの外部設計に追われ、本当に何もできなかった。雅子は長男を連れて実家に戻り、一人で出産したようなものだ。そのことに引け目を感じていたこともあり、和解を言い出せなかった。

 それが雅子の怒りを増幅させたようだ。玄関を出た角川は、大きな音を立ててドアのカギが閉まるのを背中で聞いた。

 その夜、角川は珍しく7時前に会社を後にした。駅前で雅子の好物の和菓子を買い求め、8時過ぎには家に着いた。ところが家の中は真っ暗だ。「まさか!」と思ったが、やはり家には誰もいない。食卓には、「子供を連れてしばらく実家に帰ります」とのメモがおいてある。

 角川はネクタイもほどかず、しばらく呆然としていた。30分後、気を取り直して雅子の携帯電話を鳴らしたが、応答がない。仕方なく、雅子の実家に電話をした。

 電話に出た雅子の母は案の定、冷淡だった。「しばらく雅子はおあずかりしますわ」と一方的に宣告する。角川は雅子の実家とあまりうまくいっていない。雅子を出してくれと言っても、「冷却期間をおくことをお勧めしましてよ」とやんわり断られる。こうした気取った態度が角川には我慢できないのだが、ここは大人になってこらえるしかない。

 自分の食事や洗濯はなんとかなるが、妻の実家とのこの先の話し合いを考えるとうんざりする。「気位の高い義母のご機嫌を損ねたらエライことになる」。雅子が機嫌を直してくれることを祈りながら、角川は引き下がった。