ITが金融機関のビジネスに大きなインパクトを与えている。金融先進国の米国では、新たな規制に伴って「取引を自動化するIT」の注目度が急上昇。IT武装による顧客獲得競争が激化していると同時に、顧客サイドも投資収益のアップを企図して取引システムを意欲的に導入している。その動きは個人投資家向けサービスにも広がっている。一方で、金融機関を狙うIT犯罪も増加。連邦法の改正によって、米企業はすべての電子メールの保存を義務付けられるなど負担も重くなっている。

 ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)9人、リーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)6人、バンク・オブ・アメリカ(Bank of America)40 人……。今年になって米金融機関の証券部門が証券取引所の立会場要員を解雇するという報道が相次いだ。証券取引所の立会場を経由した伝統的なフロアー取引から、より効率的な電子取引へシフトしていることを象徴する動きだ。

レギュレーションNMSのインパクト

 こうした動きを促す主因は、米証券取引委員会(SEC)が施行した新ルール、レギュレーションNMS(National Market System)だ。NMS は「全米市場システム」と訳される。情報や取引の分散化で市場全体の効率性を低下させる「市場の分裂」(market fragmentation)を回避することが目的。ニューヨーク証券取引所(NYSE)やナスダック市場から地方証取、さらにECN(電子証券取引ネットワーク)の起源となった第三市場と呼ばれる私設取引所や代替取引システムなどまで、米国内で複合・重層化してきた株式市場の統合を目指す。今回施行されたレギュレーションNMS は、これまで制定された関連規則を再整理し、現在の市場環境の変化に対応するために導入された改正ルールだ。

 レギュレーションNMSの下では、これまで弱小と見られてきた地方証取やECNが、NYSEやナスダックと互角に競争することになり、証券取引所競争の構図が大きく変化することが予想される。証券取引所に注文を出す証券会社の株式売買仲介ビジネスも大変動しつつある。

「リクイディティ・ストラテジスト」登場

 リクイディティ・ストラテジスト―。リーマン・ブラザーズでは昨年5 月にこんな役職を新設した。リクイディティとは、この場合、株式売買の流動性を意味する。つまり、どの取引所が最も流動性のある市場かを把握した上で株式売買を執行するための戦略を立てる仕事だ。株式取引市場の電子化が進み、ECN や地方証取などが競って売買執行技術の向上を図っている現在、セルサイドの証券会社がバイサイドの投資家に最も効率的な売買機会を提供するには、あらゆる取引所や取引システムを吟味する必要がある。

 リクイディティ・ストラテジストは、まさにその象徴。ECN や複数の証券取引所の売買執行状況を把握し、その時々に最も有利で効率的な売買注文を出せるシステムの構築や新たな取引技術開発の役割を担う。同時に将来有望な地方証取に出資して電子化を進め、その証取の売買注文拡大の恩恵を受けるといったベンチャー投資的な動きもする。大手証券各社は名称こそ異なるものの、似たような役割の人材を登用して株式取引事業の強化を進めている。

 この数年で急速に普及してきたアルゴリズム取引は、証券会社の株式売買事業の最先端と言える。アルゴリズム取引とは、あらかじめ設定した処理手順(アルゴリズム)を基に、コンピューターが株式売買注文のタイミングや数量を自動的に判断して売買注文を入れる取引方式だ。米大手証券の大半がアルゴリズム取引を導入済みである。

 レギュレーションNMS の施行によって、アルゴリズム取引の役割は、これまで以上に重要になっている。異なる証取やECN のどこに注文を回送すれば最良の売買執行ができるかを、アルゴリズム取引を通じて実現するシステムも開発されている。新ルールの目的に叶う技術開発に証券各社やITベンダーがしのぎを削っている状況だ。

ITが顧客獲得の決め手に

 株式の電子取引の普及に伴い、投資家が証券会社に求めるサービスの内容も変貌しつつある。「ソフトダラー」の意味の変化が、それを象徴している。ソフトダラーとは、投資信託運用会社など大口の機関投資家が証券会社から株式調査リポートなどのサービスを受ける見返りとして、株式取引のコミッションを高めに支払う慣行。手数料の上乗せ分をソフトダラーと呼ぶ。ソフトダラーを支払う意味が、ここ数年の間に「株式に関する調査情報を受け取る見返り」から「最良の株式売買執行のためのIT提供の見返り」にシフトしている。

 例えば、バイサイドのトレーダーが今最も注目しているITに「エグゼキューション・マネジメント・システム(EMS)」がある。EMSはトレーダーが使用するデスクトップ・コンピューターで使うソフトウエアで、このシステムを通じて複数の証取やECN の中から最良の売買執行ができる取引システムに売買注文を回送することができる。証券会社は顧客の機関投資家に、このシステムをソフトダラーの一環として提供するわけだ。優れた売買執行システムを持っている証券会社が、より多くの顧客を獲得するという構図になっており、証券各社にとって株式売買執行システムの巧拙が顧客獲得を左右するようになっている。

 機関投資家は、より効率的な売買執行によって投資収益率を上げるためにアルゴリズム取引を求める。米調査会社タブ・グループによれば、運用資産総額が500億ドル以上の米大手機関投資家のほぼ100%がアルゴリズム取引を利用していると言う。

図1●アルゴリズム取引を提供している金融機関の世界市場シェア
図1●アルゴリズム取引を提供している金融機関の世界市場シェア
出所:米タブ・グループ顧客投資家からの回答集中度をシェアとして表現しているため合計は100%を超える