2月下旬,インターネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」で,ちょっとした騒ぎが起こった。責任編集者(administrator and contributor)の1人が肩書きを詐称していたという事実が発覚したのである(米国メディア)。報道によると,この人物は大学中退の24歳の青年だったが,自らをPh.Dを持つ宗教学科の教授だと名乗っていた。ウィキペディアでは,この青年を責任編集者から外すとともに,これまで匿名が原則だった執筆者・編集者に対し,専門家であることを主張する場合は肩書きの証明を求めることも検討しているという。

 ウィキペディアは,誰でも自由に記事を執筆・編集できることを“売り”にコンテンツを増やし,利用者を拡大してきた。ただし,「誰もが自由に参加できるため,情報の精度・信憑性は必ずしも保証されるものではない。特に政治や宗教,価値観のように意見対立が起きやすいテーマにおいては編集合戦がしばしば起こる」(ウィキペディア日本語版によるウィキペディアの解説から引用)という問題を抱えている。

 今回の騒ぎを受けて,ネット上では「これだけ大きなサイトになったのだから,情報の精度を上げるために(実名を明らかにするなど)編集・執筆の参加条件を厳しくしてもよいのではないか」という意見も出ている。確かに,実名を参加条件にすることで,単なる伝聞に基づく根拠の薄い書き込みが減る可能性は高い。実名などいくらでも詐称できるではないか,という意見もあるだろうが,それでも気軽に改変を試みようとする“愉快犯”を防ぐなど,一定の効果は期待できるだろう。

 ただし,その一方で執筆・編集を実名にするデメリットも考えられる。例えば,実名で執筆・編集したトピックについて,事実関係の間違いを頭ごなしに指摘されると,必要以上に感情的なやり取りに発展してしまう可能性がある。ひょっとしたら「××の書いた記事なら,何が何でも間違いを指摘してやろう」というストーカーのようなファンが付いてしまうかもしれない。少なくとも,匿名時代ほどの活発な書き込みは期待できなくなるだろう。

 あと,これはデメリットとは言い切れないのだが,実名が参加条件になれば,“知名度”を高めることを目的にウィキペディアに書き込む人も出てくるだろう。ウィキペディアのような注目度の高いサイトで自らの知識・見識を示して,その分野での活動に役立てようというわけだ。

 そうなれば,(これは記者の一方的な思い込みに過ぎないのだが)「善意の知識人が何の報酬も求めずに知識を持ち寄ることで成立するフリー百科事典」が,「他人から認められたいという“名誉欲”の強い人々が知識を見せ合うための場」に変貌してしまうのではないだろうか。

 その一方で,そういった私的な“欲望”が多数集まることで,“見えざる手”がより完成度の高いフリー百科事典を作り上げるかもしれない,とも思う。読者の皆さんは,どのようにお考えになるだろうか。