明日3月16日は,CSK創業者の大川功氏の七回忌である。時が経つのは本当に速い。今やメディア上で大川氏が話題になることはほとんどない。ITpro読者の方でも,大川氏の名前を知らない人がかなりいるだろう。

 インターネットの検索エンジンに「大川功」と入れてみると,検索結果は2万900件であった。少なくはないが,大川氏が存命中に振りまいた数々の話題を考えるといささか寂しい結果と言える。ちなみに検索結果の先頭には,筆者が6年前に書いた追悼記事が出てきた。自賛になってしまうが,この追悼記事に対する反応は当時相当あり,記事を読んだ方から「大川氏に関する本を書いてはどうか」と言ってもらったりした。ぜひ書いてみたいと思ったものの,それから6年間,何もしていない。2年ほど前であったか,CSK関係者が集まる会合に出席した際,「七回忌には何か記録として残るものをまとめたいですね」と言ったのであるが,有言不実行となった。

 インターネットといえば,ウィキペディアかと思い,そちらを調べてみたがCSKホールディングズがあっただけで,「大川功」の項は無かった。検索ついでに,CSKホールディングズのサイトを見たが,大川氏のことはほとんど説明されていない。「発行物」というところに,大川氏の著書が記載されているくらいである。大川氏の死後,CSKはゲームや出版事業を手放す一方,証券会社を傘下に収め,現在では大川氏が率いていた時とかなり異なった姿になっている。ことさら創業者のことを強調する必要はないのだろう。ただ,大川氏が創った「サービスこそ我が社の命なり」という社是は現在も残っている。

 このように一世を風靡した経営者であっても,インターネット上に記録が残っていない場合が少なくない。NTTの社長を務めた真藤恒氏のことを調べた時は,NTTのサイトにすら記載されていないので,驚いてコラムを書いたことがある。インターネットはコミュニケーションの道具としてはたいしたものだと思うが,図書館としては頼りない面がある。そこでインターネット上の情報を多少なりとも充実させるべく,7年前の追悼記事に書かなかった大川氏の逸話を二つほど紹介したい。

 大川氏は晩年,しばしば米国を訪れ,ベンチャー企業を訪問したり,大手IT企業のトップに会った。投資先を見つけるためと,情報交換が目的である。一時期は米国に家まで購入していた。ある時,大川氏と側近がベンチャー企業を訪問し,大川邸に戻ると,大川氏の家族が来ていた。手元にメモがないのであるが,確か,孫の顔を見せに来たといった話であったと思う。企業訪問の後,大川氏はその会社の評価を巡って側近や関係者と激論を闘わせるのが常であった。お孫さんが来ていることを知った周囲は,「今日は会議はなしだ。少し休める」と思った。ところが,帰宅後しばらくして大川氏がやってきた。そして「どや,今日の会社は」といつも通りに会議を始めたので関係者は「孫より仕事か」と仰天したという。

 一時期,CSKグループであったセガが,ゲーム機とタッチパネルディスプレイを組み合わせたアプリケーションを作った。「オーナー(大川氏)にこれを見せよう」とデモンストレーションをしたところ,大川氏はタッチパネルディスプレイにいたく感心し,「これは預金を引き出す機械に使えるとちゃうか」と言った。ATM(現金自動預け払い機)である。説明者は「タッチパネルディスプレイを初めて触り,直ちにATMへの応用を思いつくとは天才だ」と舌をまいた。もっともタッチパネルはATMにとっくに採用されていた。つまり当時の大川氏は銀行のATMを使っていなかったのである。


(谷島 宣之=「経営とITサイト」編集長)