法務省入国管理局出入国情報管理室
君塚 宏

 バイオメトリクスは,昨今,行政レベルでも採用されつつあり,具体的には,空海港における出入国管理の場面での利用が進んでいます。ここでは,どのような目的でどのように活用しているのかを紹介します。

出入国管理行政が目指すもの

 出入国管理行政に対する国民や外国人からのニーズには大きく二つの流れがあります。その一つは「世界各国から多くの外国人を積極的に受け入れてほしい。そのための手続きは出来るだけ簡素で迅速なものとし,事務処理の効率化を図るべきだ(Smooth & Smart)」ということです。もう一つは「日本がテロや犯罪に巻き込まれないように安全・安心な社会の実現を図るため,国の入口をしっかりガードしてほしい。ルールを守らず法律に違反して滞在する外国人は速やかに国外に退去させるべきだ(Strict & Secure)」というものです。

 これらのニーズは四つの「S」(便利・円滑,厳格・安全)で表せます。前者のS(便利・円滑)が審査手続面での行政サービスの向上を指向したものである一方,後者のS(厳格・安全)は要注意人物の水際防止・取締り強化を求めているものです。一見すると相矛盾する内容のようにも見受けられます。

 しかしながら,こうした入管当局に寄せられる要請やニーズはいずれも至極ごもっともであり,私たちはいずれか一方を軽視したまま行政運営を進めていくことはできません。他方で人員体制をもっと強化すればいいのではないかとの声もいただくのですが,昨今の厳しい行財政事情の下では行政事務の効率化・省力化を図ることが先決と言わざるを得ません。こうした現状の下で,最新の技術を取り入れた業務・システム改革を進めていくことが重要な課題となっているのです。

より迅速かつ正確に個人を特定したい

 ところで,出入国管理行政の分野でキモとされているのが,「個人の特定」に関することです。全国の空海港では入国審査官による審査(厳密には,外国人の入国については上陸許可の付与に関する「審査」,外国人の出国及び日本人の出帰国については「確認」)が実施されます。この中でまずもって実施されるのが「旅券等による本人確認(Verification)」及び「要注意人物との照合(Identification)」です。

 現在の業務フローにおいては,「旅券等による本人確認」は渡航者本人から提出のあった旅券の身分事項欄(大方,旅券の表紙をめくると最初のページに表示されているもの)の所定位置に貼り付けられている(あるいは転写されている)顔写真と,目の前に立っている本人とを目で見比べることで対比照合(1:1)します。「要注意人物との照合」は,要注意人物情報(ブラックリストと呼ばれることが多い)に登載されている者であるかを,氏名などの身分事項に基づいたテキスト・データを用いて逐次照合(1:n)します。

 これらの作業を最新のコンピュータ技術によって,“より迅速かつより精緻に処理することができないか”というのが,出入国管理行政におけるバイオメトリクス導入の原点・契機となっています。

バイオメトリクスを導入したシステム

 現在,当局において設計・開発を進めているシステムについて紹介します。このうち(1)は一部につき本年度から,その他については2007年秋からの運用開始を予定しています。

(1)IC旅券認証システム“e-Passport Authentication System”

 このシステムの主な目的は,「旅券の偽変造対策,旅券の不正利用・なりすましの防止」にあります。

写真1
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 日本および各国の政府は国連の専門機関であるICAO(国際民間航空機関)の定めた国際基準に従い,ICチップが組み込まれた旅券(IC旅券)の発給を開始しています。これに伴い,出入国審査においてIC旅券を機械的に読み取り,ICチップ内に格納された電子情報を基に「発給国政府が確かにその旅券を発行したものであって,身分事項の改ざんがなされていないか」を電子的な認証手段(PKI認証)でチェックします。同時に,顔画像によって渡航者本人の同一人性をチェックすることにより,「機械の目」と「ヒトの目」でなりすましを防止できると考えています。

 日本のみならず,世界各国の入管当局を悩まし続けているのが,渡航文書の偽変造事案の多発・巧妙化です。正規旅券の発給を受けられない,あるいは正規旅券では入国することができないといった個々の事情を有する者が,このような偽変造旅券の行使にかかわっているのですが,従来のように印刷技術のみに頼った対策では「いたちごっこ」を繰り返すのみです。そこで,国際社会において一定の約束事に基づいて電子媒体(ICチップ)を旅券に登載し,電子認証を併用することにより表面的な改ざんが巧妙に施されたとしてもそれを簡単に見破れるようなしくみが新たに作られることになったのです(写真1)。

 今後,技術の進展や移転がさらに進むことによって,近隣諸国でも順次IC旅券が発行されることでしょう。これにより,出入国審査での偽変造事案が遠からず一掃されることが期待されています。

(2)外国人個人識別情報システム“Biometrics Immigration Identification & Clearance System(BICS)”

 このシステムの主な目的は,「テロ・国際犯罪対策,不法滞在のリピータ防止」にあります。

 2006年5月に「出入国管理及び難民認定法」の一部を改正する法律が国会で可決・成立されました。このうち「上陸審査時の個人識別情報の提供義務化」に関する規定は,公布の日より1年半経過後の2007年11月までに施行されることとなっています。この「上陸審査時の個人識別情報の提供義務化」というのがまさしくバイオメトリクスの活用を意味しており,16歳以上の外国人(外交・公用目的,特別永住者を除く)が日本に入国する際,全国の空港・海港での上陸審査において,指紋および顔の画像情報を電子的に取得した上で,テロリスト・犯罪容疑者さらには過去に日本で退去強制処分を受けた者の指紋および顔の画像情報と照合するというものです。

写真2
写真2

 テロリスト・国際犯罪容疑者については,ICPOといった国際機関あるいは日本の警察機関から適宜情報提供を受けることになっています。また,不法滞在外国人については現在も退去強制手続時に電子的にバイオメトリクス情報を取得することとしています。それぞれのバイオメトリクス電子情報を蓄積した上で,日本への入国希望者から取得したものと照合することにより,例えば偽変造旅券を行使しようとする者や本国で改姓・改名,生年月日の訂正を受けて改めて旅券の発給を受けた者であっても(すなわちどのような身分事項をかたろうとも),要注意人物情報として登録された指紋・顔に合致する者は入国審査という水際において国内への流入を阻止できるようになります。

 現在の要注意人物情報(ブラックリスト)は,国籍,氏名,生年月日,性別を中心としたテキスト・ファイルで構成されているために,その一部を変えられることで要注意人物であることが看破できず入国審査をすり抜けられる可能性があります。しかし,今後は指紋および顔といったバイオメトリクスとの照合により,要注意人物にかかわる情報が確保されている限りにおいて,その情報への該当の有無を迅速かつ正確に判断できます(写真2)。今後は身分を詐称し入国審査官を欺くことにより不正に入国することが極めて困難となります。

(3)自動化ゲートシステム“Automated Biometrics Clearance Gate System(ABCG)”

 このシステムの主な目的は,「行政サービスの向上,審査業務の合理化・省力化」にあります。上記の(1)と(2)は「審査の厳格化」につながるものですが,こちらはどちらかと言えば「審査の円滑化」にかかわるものです。

 自動化ゲートシステムは日本人および日本に滞在する外国人のうち,ビジネス目的などで頻繁に日本と外国との間を往来する渡航者を主な対象としています。あらかじめ指紋と顔の画像情報を用いて利用登録をします。その上で,日本の国際空港での審査手続きの際,リモート・コントロール型の自動化ゲートを利用してもらうことで待ち行列を作ることなくスムーズに審査場を通過できるというものです。

 いったん利用登録をすれば,旅券の有効期間内は自動化ゲートを設置した国際空港で優先的な出入国審査を受けられるというメリットがあります。さらにその「進化系」として,近い将来,航空会社や空港管理会社との連携協力によって,あらかじめインターネットで座席予約を行うなどの一定の条件を満たしている場合には,自動化ゲートでチェック・インと出国審査を同時に受けられる,いわゆる「ワンストップ型」のサービス提供を目指しています。

 IATA(国際民間航空輸送協会)では「SPT(Simplifying Passenger Travel)」と呼ばれるフレームワークの研究が進められています。これは,「海外渡航手続にITを導入することを通じて簡素化を図り,旅客の利便性と高度なセキュリティを両立しつつ,コストの低減を実現することを目的とした官民一体のフレームワーク」です。既に欧米,アジアのいくつかの国ではSPTの実用化が図られています。

 日本でも国土交通省,法務省,成田国際空港会社(NAA),日本航空,全日本空輸などが参加して,平成19年1月末~3月の間,成田空港において自動化ゲートを用いた連携実証実験を実施しています。実証実験では空港勤務職員だけでなく一般の渡航者からもボランティアを募って,上述したような航空会社によるチェック・インと入国管理局による出国審査を同時並行で行うことを想定して,バイオメトリクス認証の速度・精度や機器の使い勝手などについて検証することにしています(写真3・4)。

写真3   写真4
写真3   写真4

バイオメトリクスの活用は出入り管理に尽きる

 基本的にバイオメトリクスの活用場面というのは「出入り」管理に尽きると思います。これにはヒトの出入りだけでなく銀行ATMによる金銭の出入りも含みます。日本国内において,顔,指紋,虹彩,静脈などのバイオメトリクスを活用した「ホーム・セキュリティ」や「オフィス・セキュリティ」の分野では既に数々のソリューションが実用化されています。そして今回紹介した「ボーダー・セキュリティ」については,欧米や一部のアジア諸国に続く形で一歩踏み出すことになりました。

 「センシティブ情報」とも言われるバイオメトリクスを実際に利用するにあたっては,利用目的の明確化や情報管理の徹底など個人情報の保護の確保のために遵守すべき条件もあります。バイオメトリクスを活用した出入国管理体制の構築にあたっては,情報漏えいが生じることのないようデータの暗号化,厳格な利用者認証,閉鎖的ネットワークの利用など堅牢なシステム構成による万全な情報セキュリティ対策をとる一方で,現行の個人情報保護法制の下で取得・利用・管理につき厳格な運用を図っていくことが重要です。

 バイオメトリクスは,人間の体の一部の特徴に基づいて電子データ化したものによって「本人確認」や「多人数照合」を迅速かつ正確に行うという本来の特性を活かし,国民や在留外国人の安全・安心な暮らしを保障するための「国の出入り」管理に大いに貢献してくれるものと確信しています。