高橋 俊樹 グローバル ナレッジ ネットワーク 人材教育コンサルタント

 ITプロフェッショナルに求められるヒューマン・スキルは多岐に渡っており,そのすべてを習得し,実践できるようになるのは難しいものです。そこでこの連載では,多岐に渡るヒューマン・スキルの“基本”となる「聴く力」「話す力」に焦点を当てます。

 具体的には,聴くスキルと話すスキルを向上させる考え方やポイントを,具体的な事例やエピソード,筆者自身の経験などを織り交ぜながら,分かりやすく解説していきます。この2つの基本的なスキルをより意識して使うことで,仕事を円滑に進め,さらに良い成果に結びつけるための考え方,ヒント,方法を身に付けます。

 第1回目は,聴くスキルと話すスキルの重要性についてを説明します。2回目以降で,基本的な考え方や注意すべきポイント,実践的なテクニックを紹介します。

多岐にわたるヒューマン・スキル

 本論に入る前に,少しだけ私自身がヒューマン・スキルにかかわることになったきっかけや経緯をお話ししましょう。

 気がつけば,ヒューマン・スキル系の研修企画・開発・実施に携わり,今年で13年ほどになりました。そもそもヒューマン・スキル研修に関わるようになったのは,新卒で就職した自動車メーカーが始まりです。配属先は,国内を対象にした販売本部。販売台数を上げるための様々な施策を,主に特約販売会社(皆さんのご近所にある車のディーラーです)に対して行う部署です。

 このときに,販売目標達成のための一つの手段として,ディーラーの店長や営業担当者向けに研修を実施していました。営業力強化,顧客対応力,接客応対,電話応対,マナーなど,様々な研修がありましたが,基本はヒューマン・スキルを中心としたものです。

 この経験から,ヒューマン・スキルの必要性,重要性に興味を持ち,「異なる業種であっても基本は共通である」という想いから,現在はIT教育専門の会社で,新入社員から管理職まで,ITエンジニアの皆さんをヒューマン・スキルの切り口でサポートしています。毎年,延べ1000人前後のITエンジニアの方と研修でお会いしますが,受講者の感想,意見からも,ヒューマン・スキルは業種・業界を問わずに重要なスキルであると実感しています。

 それでは本題です。まず,そもそも「ヒューマン・スキルって何?」という方も多いでしょうから,本連載におけるヒューマン・スキルの意味を定義しておきましょう。本連載では,コンピュータに関する基礎知識や分野別の専門技術,製品知識といった「テクニカル・スキル」に対して,「ヒューマン・スキル」を「どのような職種であっても仕事を円滑にすすめる上で必要となる対人能力」と定義します。

 「私はエンジニアだからヒューマン・スキルは必要ない。技術力だけあれば十分だよね」。こういう人はあまりいないのではないでしょうか(もっともそのように言い切れる方は,ここまで読んでいないと思いますが・・・)。

 言うまでもなく,現在のITエンジニアにとって,単にITの知識やスキルがあるだけでは仕事はうまくいきません。テクニカル・スキルとヒューマン・スキルをバランスよく持つ必要があります。

 IT関連サービスの提供で必要とされるスキルを明確化・体系化したITSS(ITスキル標準)でも,職種を問わず,ヒューマン・スキルを共通に必要なスキルとして定義していますし,最近では企業が新入社員を採用する際に求めている能力も,専門的な知識やスキルではなく,対人能力つまりヒューマン・スキルが大きな割合を占めています。
 
 それではITエンジニアに求められるヒューマン・スキルにはどのようなものがあると思いますか?

 いくつか挙げてみましょう。まず一番最初に思い浮かぶのは,社内外の人間関係を円滑に進めるための「コミュニケーション・スキル」でしょう。その他にも,大勢の人前で分かりやすく説得力ある話をするための「プレゼンテーション・スキル」,顧客との折衝交渉で必要となる「ネゴシエーション・スキル」,会議などを効率よく運営するための「ファシリテーション・スキル」なども,年齢や役割の変化とともに必要性が高まります。
また,ドキュメントを書くことが多いエンジニアにとっては文章力や図解力,ロジカルシンキングのスキルも必要になります。

 部下やメンバーを持つようになると,リーダーシップ・スキルや部下・後輩を指導育成していくスキルも必要になります。このように,少し考えてみるだけでも,ヒューマン・スキルは非常に多岐に渡っていることが分かります(ちなみに前述のITSSでは各職種共通スキルとしてコミュニケーション,リーダーシップ,ネゴシエーションを挙げています)。

ヒューマン・スキルの基本は聴くことと話すこと

 身に付けておくべきヒューマン・スキルは非常に多岐に渡っているため,そのすべてを身に付けるのはとても難しいことです。そのための時間や暇も,忙しい皆さんはなかなか取れないでしょう。

 でもご安心!ヒューマン・スキルは多岐に渡りますが,そのほとんどのスキルに共通の「基本」と言える部分があります。そう,それは私たちが毎日行っていること――「聴くこと」と「話すこと」に他ならないのです(図1)。

図1●ヒューマン・スキルは多岐にわたるが,ほとんどのスキルの基本は「聴くこと」と「話すこと」である

 「当たり前だろう」と思われる方もいるかもしれませんが,この当たり前のことが,じ・つ・は,大変重要なのです。そして筆者の経験では,この当たり前のことを苦手とするITエンジニアが大変多いことも事実です。

 先日,あるITベンダーで,部長などの管理職向け研修を実施した際,研修の冒頭で先方の社長が次のような印象深いメッセージを受講者に話されました。

 「要件定義では顧客の要望を上手く引き出せないために,後でそごをきたしてしまい,結果としてユーザーとの協働ができていない。また相手の立場に立ったコミュニケーションができていないため,話した内容やメールの内容が理解できていないなど,手戻りが発生し,余計なロスが多い。もう一度,相手の言うことを正しく理解し,自分の言いたいことを分かりやすく伝えることを,管理職の皆さんもこの研修で意識してほしい」

 私も,この社長がおっしゃるとおりだと思います。まず相手の話を正しく,より深く聴くことができないと,プロジェクトの仲間や上司,後輩あるいは顧客と情報共有ができず,仕事がうまく立ち行かなくなるばかりか,相手のことを理解できていないので人間関係まで悪化してしまうことがあります。話すスキルも同様です。自分の考えや想いをきちんと話す,あるいは伝えることができないと,余計な時間がかかったり,こちらの意図が正確に伝わらずに意図したことと全く異なる方向へ進むこともあります。

 顧客との交渉では,相手を打ち負かすテクニックや,相手を「うん」と言わせる術もあります。でもそのようなネゴシエーション・スキルを身につけるよりも,聴くスキル,話すスキルを身につける方がはるかに重要です。
 
 誰しも,プロジェクトが暗礁に乗り上げたり,人間関係で葛藤が生じたりといったトラブルを経験したことがあるでしょう。これは,駆け引きなどのネゴシエーション・スキルが不足していたからでしょうか。いいえ,そうではありません。多くの場合,相手の話を正しく聴いたり,自分の考えをきちんと伝えたりすることができていないことが原因なのです。