2月初旬,「情報処理学会がコンピュータ博物館の設立を提言」というニュースがあった。情報処理学会のWebサイトにある設立の提言を読むと,技術革新の本質を学ぶには,「各地に個別に保管されている機器を一堂に集め,体系的に展示することが必要である」とある。

 「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」という格言にもあるように,物事の本質を理解する上で,歴史を踏まえるやり方は有効である。それぞれの時代で絶対的優位に見えたIT技術も,年月を経て眺めることで,人件費に対するハードウエアの相対的なコスト,メモリーのアクセス速度や価格,ネットワークの帯域幅や通信コストといった相対的な条件の上で,偶然採用されていたに過ぎないことが理解できるからだ。

 工学的な技術は単独で存在するものではなく,いくつかの条件が重なってコスト的な優位が発生した時点で実用化される。コンピュータ博物館が実現したら,願わくばそれぞれの機器の横に,なぜこのような技術が当時採用されていたか,という解説を付けてもらいたい。そうでなければ,最新ITに慣れ親しんだ学生にとって,過去の機器はガラクタが展示されているとしか思えないだろう。

 「主流になれなかった技術」についても,それが何故主流になれなかったのかが解説されていれば面白いだろう。主流になれなかった理由には,純粋に技術的なものに加えて,開発元の資金不足,政治的な力不足などさまざまなものがあるはずだ。もちろん,国内の機器に大きな影響を与えた海外発の技術や製品についての説明も必要になる。関係者が業界に多数残っている時点では,いろいろ難しい面もあると思うが,そうした説明抜きでは「技術革新の本質を学ぶ」ことは難しいのではないだろうか。

 などと,いろいろ偉そうな注文を付けてみたが,単純に事実を記録する施設としても博物館には存在意義があるのだろう。過去の機器類は放っておけば散逸・廃棄されてしまう運命にある。ネオン管の明滅で計算の過程が見える機器を保存して何の役に立つのかと聞かれれば,正直「ごめんなさい,わかりません」としか答えようがないが,それでも縄文時代の石の鏃を全国津々浦々の博物館で保存するのであれば,一カ所ぐらいそういった施設があってもいい,と思う。

 先の「歴史に学ぶ」云々は,プロイセンの鉄血宰相ビスマルクの言葉だが,その同時代人である歴史学の泰斗ランケは,次のような言葉を残している。「皆さんは歴史から教訓を学ぼうとされるが,私はそんな大それたことは考えていない。ただ歴史の真実を追求するだけである」。博物館計画実現の暁には,とりあえずは謙虚に「後世の人々が真実を追求する」ための材料を残すことから始めてみてはどうだろうか。関係者が多すぎて客観的な解説を付けることが難しい最近の機器(ex.シグマステーション,ATM-LAN)についても,材料さえ残しておけば,ランケのように真実を追究することに喜びを感じる後世の人々が適切な解説を付けてくれるはずだ。