アステラス製薬は、災害など非常時でも重要な事業を止めないためBCP(事業継続計画)を策定し、2007年4月にも実行に移す。このBCPでは、“継続する”業務を、(1)受注・発注、物流(2)生産、(3)製品の回収や当局への報告――の三つに絞り、いざというときに各部署や各社員がどのように動くべきかを策定する。

 日常業務の情報システムへの依存度が高まっている中、BCPの実行では、必要な情報システムを使えるかどうかが一つのポイントになる。そこで同社は、情報システムのバックアップ対策も強化している。とはいえ、無尽蔵にコストをかけられるわけではない。いかに費用対効果の高い方法、仕組みでバックアップを実現するかに知恵を絞っている。

合併でデータセンターの有効活用が可能に

 アステラス製薬は、2005年に旧・山之内製薬と旧・藤沢薬品工業が合併して誕生した。合併前にも、両社それぞれで段階的に情報システムの災害対策を進めてきた(図1)。

図1●アステラス製薬は合併を機に情報システムのBCP対応を大幅に見直した
図1●アステラス製薬は合併を機に情報システムのBCP対応を大幅に見直した
外部センターの活用を検討していたが、旧2社のセンターを活用することに方針を転換した
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 例えば山之内製薬の場合。全国に分散していたサーバーの統合をほぼ完了した2000年、“集中のリスク”を懸念していた。「東京のセンターが大規模災害などで被災したら、全社のビジネスに大きな影響を与えてしまう。大阪の物流センターに医薬品の在庫があっても出荷できなくなる」(情報システム本部情報システム企画部の佃利明課長)との危機感を持っていたのである。

 ITベンダーやデータセンター専業業者にバックアップ・システムの構築を依頼しようと考えたが、当時は同社の要求を満たしてくれるところがなかったという。同社はWindowsサーバーをメインにシステムを構築していたが、「どこの事業者のバックアップ・メニューもメインフレームが中心。たまにUNIXを引き受けていた程度だった」(情報システム本部情報システム企画部の竹沢幹夫次長)からだ。その後、2004年3月にUNIXサーバーで運用していた基幹のERPシステムのみ、日本IBMのセンターにバックアップを置いた。

 状況が変わってきたのは、2005年だ。2社が合併し、東京都板橋区の旧山之内製薬のセンター、大阪市淀川区の旧藤沢薬品工業のセンターという、東日本、西日本それぞれに自社のデータセンターを保有することになった。整合性を取るため両社が取り組んでいた災害対策をいったん白紙に戻し、合併直後の2005年4月に再検討を始めた。

 最終的に東京をメイン、大阪をバックアップとすることにし、2006年4月にカットオーバー。2006年中に切り替え手順の試験を終えた。通信回線も増強し、非常時のアクセス経路を確保している(図2)。

図2●BCPを強化するため、通信回線の冗長性を高めた
図2●BCPを強化するため、通信回線の冗長性を高めた
赤色がBCP対応のため追加した回線

権限の委譲で“人的問題”を回避

 バックアップ・システムの構築にあたっては、「コスト削減のため、割り切るところは割り切った」(竹沢次長)。「Windows向けバックアップ技術が成熟し、2006年になってやっとコストが見合ってきた」(情報システム本部情報システム企画部の須田真也課長)ことが追い風ではあったが、それでも完全なバックアップを目指しては、費用が膨大になってしまうからだ。

 割り切りの一つが、システムの冗長性だ。バックアップの大阪はセンター内でのシステムを単一構成にした(図3)。性能も、メインである東京のおよそ半分である。保守は平日の業務時間内だけに限定し、災害時に稼働させるシステムやサーバーを絞り込んだ(図4)。内線電話や海外に関係するシステムはバックアップの対象としていない。

図3●BCP対応のシステムは規模やサービス・レベルを落としてコストダウンを図った
図3●BCP対応のシステムは規模やサービス・レベルを落としてコストダウンを図った

図4●アステラス製薬は基盤系のシステムから冗長化し、BCP対応を強化している
図4●アステラス製薬は基盤系のシステムから冗長化し、BCP対応を強化している

 頭を悩ませたのが、非常時の切り替え作業だった。

 BCPでは、非常時になると社内で「BCP事務局」を発足すると決めている。同事務局が2時間以内にバックアップへの切り替えを宣言し、大阪のセンターで4時間以内にシステムが立ち上がる計画だ。

 しかし、大阪センターにはIT部員が常駐しておらず、運用は外部のITベンダーに任せている。「東京が壊滅するような災害では、切り替えを指示できない場合があるかもしれない」(佃課長)。ITベンダーには、一定の条件がそろったら大阪に切り替えることを依頼したが「当初は顧客のシステムを切り替えることに大きな難色を示されてしまった」(同)。責任を持てないというわけだ。

 ITベンダーと相談し、最終的には、条件がそろった時点で無条件で切り替えることを取り決めた。具体的には、「東京のバックアップ対象のサーバーが監視システムで見てすべてがダウンしている」、「アステラス製薬のIT部員の誰とも連絡がつかずに2時間経過」、の二つがそろった場合である。「条件がそろった状況で切り替えたのであれば責任は問わない」として、合意に至った。現在はまだ契約書に盛り込んでいないが、正式な契約を交わすことも検討している。

 将来的には、日本IBMのセンターで運用しているERPのバックアップ・システムについても、大阪のセンターに収容する考えである。また、2007年度に本格運用を始めるBCPについては「訓練とその後の検証で、改善を重ねていく」(佃課長)との構えだ。