大和総研企業調査第三部シニアアナリスト  中村 哲也 氏 中村 哲也 氏

大和総研企業調査第三部 シニアアナリスト
伊藤忠商事を経て,2000年に大和総研に入社。現在,ソフトウエアと情報サービスセクターで主に中・小型株式の調査を担当。

 ライブドア事件から1年が経過した。思えば2006年は,同事件によって多くの投資家が損失を被り,企業価値について自問した1年だったのではなかろうか。筆者も同事件やその後の株式市場を通じて企業価値について再考を促され,「ネットキャッシュ(有価証券と現預金の合計から有利子負債を差し引いたもの)」の使途について関心を高めた一人である。

 ネットキャッシュが潤沢な情報サービス企業の多くが,(1)厳しい経済環境下を生き残るためと,(2)将来の急なキャッシュ需要への備え―をキャッシュ備蓄の理由に挙げる。しかし,これは経営者の誤解とエゴである。余剰資金は投資家へ還元されるべきであり,新しい投資先へ向かうかあるいは消費された方が,業界の新陳代謝につながり,経済全体にとっても好ましい。

 投資の世界では,フリー・キャッシュフローをWACC(加重平均資本コスト)で割り引いたDCF(ディスカウント・キャッシュフロー)を企業の理論価値とし,DCFとEV(エンタープライズバリュー,=時価総額+有利子負債)を比較して,株価が割安かどうかを判断することが多い。この方法で主要な情報サービス企業40社の企業価値を分析すると,実に多くの企業で,EVがDCFに基づく理論価値以下にとどまることに気付く。

 筆者は,「EV÷当期純利益≦17~20倍」となるような企業は,何らかの理由でディスカウントされていると考えている。その理由の一つは,ネットキャッシュが株主還元の原資と見なされていないことだ。ネットキャッシュは,ストックとして直ちに投資家へ還元可能なキャッシュであり,本来であればネットキャッシュを控除したEVこそが企業価値だからだ。

 情報サービス企業は,ユーザー系,ベンダー系の親子上場が多く,キャッシュ備蓄などで少数株主の利益を軽視した結果,株価が割安となっている企業が少なくない。EV÷当期純利益が16倍以下だったのは40社中14社で,そのうち9社は,株式保有比率50%超の安定大株主を有する企業であった。

 大株主の存在によってEV÷当期純利益が割安放置されてしまう上場企業は,いったん非上場化するのも資本政策上,有力な選択肢といえよう。例えば,EVが100億円,有利子負債ゼロの企業を51%保有する親会社が,少数株主持分の49%に対して,2割のプレミアムを払うTOB(株式公開買い付け)を行ったとする。EV÷当期純利益が16倍以下ならば,会計上は最大60億円ののれん償却と,税引前利益6億円増とのトレードオフとなる。少数株主に配慮するあまり柔軟な経営ができない,内部統制厳格化で上場コストがかさむ,などの悩みから開放されるメリットの方が大きいのではないか。

 「株価が割安放置されている」と嘆く経営者がいたら,まず自社のEVについて自問すべきだ。村上ファンドが今なお健在だとしても,これらの企業の株主名簿には名を連ねまい。経営者は,資本コスト以上のリターンを狙える事業投資先が見付からないならば,配当性向見直し,自社株買いなど,資本効率の向上に努めるべきであろう。

 ライブドア事件から1年が経過し,外資による三角合併が解禁される今年こそ,すべての情報サービス企業が,上場意義とは何か,株主還元とは何か,経済合理性とは何か,を問われている。