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頭の中の“軸”を増やす方法

2007/02/06
谷島 宣之=経営とITサイト編集長

 「新しいことを考え,そしてやり抜くために,技術者は頭の中に複数の“軸”を持つ必要があります。技術の軸は当然として,ビジネスの軸と競争の軸を必ず持って欲しいですね」。技術者が成果を出すために何が必要かと聞いたとき,こんな答えが返ってきた。

 「頭の中に多軸を持て」と語ってくれたのは,セイコーエプソン社長の花岡清二氏である。花岡氏はプリンターの開発技術者として,業務用小型プリンターの開発を手がけていたが,途中からプリンターの事業企画も手がけるようになり,家庭用カラープリンターで大ヒットを飛ばした。エプソンを1兆円企業にしたプリンター事業を牽引した功績により,社長に上り詰めたが,根っからの技術者でもあり,若い技術者たちと気さくに話す点は昔と変わらない。

 「ビジネスと競争の軸」とは次のような話である。技術者は自分が手がけている技術に思い入れを持つ。それは素晴らしいし,そうあって当然だが,その技術が顧客に受け入れられないようでは困る。「顧客に買ってもらえる技術なのか」,すなわちビジネスになるのかどうかという軸で,自分の技術を検証する必要がある。顧客が求めている技術だとして,それだけで成功するとは限らない。市場で競合他社が類似の技術で先行しているかもしれない。まったく独創的な技術なのか,先行事例はあるものの十分,差を付けられる技術なのか,“競争の軸”を持って考えないといけない。

 こう書くと当たり前のようだが,技術の専門化・細分化が進んでいる今,技術者はどうしても自分の技術を極めることで手一杯になりがちという。技術とビジネスと競合と,場合によってはグローバル,環境,といったことまで考えて仕事をするのは,そう簡単ではない。

 技術者が多軸を持つことは,異なる専門分野の技術者がコミュニケーションをとる際にも役立つ。新しい製品を開発する場合,複数の技術を融合させることが当たり前になっている。たとえばエレクトロニクス,メカトロニクス,そしてITの技術者が共同作業をする場合,三人が自分の専門技術のほかに,ビジネスやマーケットといった軸を頭の中に持っていないと,うまく連携できない。三人が「ビジネスのために自分の技術をどう使うか」と考えることにより,話がかみ合うわけだ。

 専門化・専門家の弊害に関して,夏目漱石が95年前に発言した内容を昨年のITProメールで紹介した。その内容はメールに掲載しただけで,ITProのWebサイトには掲載しなかったから,ご参考までに以下に再掲する。


「自分の商売が次第に専門的に傾いてくる上に,生存競争のために,人一倍の仕事で済んだものが二倍三倍ないし四倍とだんだん速力を早めて遂付かなければならないから,その方だけに時間と根気を費しがちであると同時に,お隣りの事や一軒おいたお隣りの事が皆目分らなくなってしまうのであります」

 漱石は明治44年(1911年)の8月,明石・和歌山・堺・大阪で講演した。一連の講演内容は,『私の個人主義』(講談社学術文庫)に納められている。引用部分は明石における講演からで,『道楽と職業』と題されている。

 ITプロフェッショナルはITの専門家である。ただし「IT一般」の専門家というものはおらず,セキュリティの維持,オブジェクト指向による開発,Linuxまわりのサポートといったように,各領域の専門家が存在している。ITプロフェッショナルは担当領域の仕事をし,その領域の勉強を続けなければならない。

 漱石の指摘をITに当てはめてみると,ITの専門家は金融の専門家や医療の専門家のことが分からない,となる。金融や医療を支える情報システムの開発が難しいのは無理もないことと言える。さらにITの専門家同士であっても,自分の担当領域ではない「お隣りの事や一軒おいたお隣りの事」は案外分からなくなっている。専門領域の細分化は進む一方である。漱石は同じ講演でこう語っている。

 「現今のように各自の職業が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば,吾人は表面上社会的共同生活を営んでいるとは申しながら,その実銘々孤立して山の中に立て籠もっていると一般で,隣り合せに居を卜(ぼく)していながら心は天涯に懸け離れて暮らしているとでも評するより外に仕方がない有様に陥って来ます。これでは相互を了解する知識も同情も起こりようがなく,せっかくかたまって生きていても内部の生活はむしろバラバラで何の連鎖もない。(中略)根ッから面白くないでしょう」

 社会生活に関する指摘だが,IT関連のプロジェクトに絞ってみても,この言葉は的を射ている。「表面上」共同プロジェクトを「営んでいる」が,ユーザー企業やIT企業から集められたプロジェクトメンバーは「銘々孤立して山の中に立て籠もって」おり,「心は天涯に懸け離れて暮らしている」。「相互を了解する知識も同情も起こりようがなく」,プロジェクトの諸活動は「バラバラで何の連鎖もない」。

 これでは情報システムの開発プロジェクトは「根ッから面白くない」。面白くないから失敗する可能性が高まる。失敗したとしても,「相互を了解する同情も起こりようがなく」,「ユーザー企業が要件をきちんと定義しないからだ」「請け負ったIT企業に業務知識が不足していた」といった言い合いになってしまいかねない。

 専門化・専門家の弊害はITに限ったことではない。社会生態学者のピーター・ドラッカーは『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社)の中で,「専門知識はそれだけでは断片にすぎない。不毛である。専門家の産出物は,ほかの専門家の産出物と統合されて初めて成果となる」,「今日の若い高学歴者のもっとも困った点は,自らの専門分野の知識で満足し,他の分野を軽視する傾向があることである」と痛烈なことを書いている。

 無論,専門化は不可避であり,専門家の専門知識は極めて重要である。その知識を発揮するためにこそ,他の専門領域を知る必要がある。


 それでは,頭の中に多軸を持って,専門化・専門化の弊害に陥らないようにするには,どうしたらよいのか。セイコーエプソンの花岡社長は若いころ,プリンターの企画・設計・開発・製造・販売・サポート・クレーム処理まで,一人で手がけることで,頭の中に多軸を持つことができた。「ほかに人がいなかったから」(花岡社長)だが,ある意味で幸運だったと言える。ITの世界でも,企業情報システムの企画から設計・開発・運用まで手がけられれば,全体像を把握でき,頭の中にビジネスやソフト開発,運用といった軸を立てられるが,現状ではそうした経験を積むことは困難である。

 相当に我田引水ではあるが,Webサイトや雑誌などから,専門以外の情報を収集することは役立つのではないか。今日の仕事に役立つ専門情報を得るだけではなく,明日の仕事に関係するかもしれない知見を,ITProの中から見つけ出していただければ幸いである。ITProの姉妹サイトであるEnterprise Platformでは,ITリーダーに向けた“横断的な”情報を提供しようと試みている。例えば,「IT指南役からの提言」というコーナーにおいては,大手ITリサーチ会社,ガートナーのアナリストの知見を多数紹介しており,多軸形成の一助になると思う。本年を乗り切るために,「2007年,ITリーダーの行動計画」や,「ITリーダーがとるべき八つのアクション」をぜひご一読いただきたい。

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