米国「Windows IT Pro Magazine」の名物ライターであるPaul Thurrott氏が振り返る「Windows Vista開発史」の第5回。今回は,「CTP」と呼ばれる配布先を限定した評価版が頻繁にリリースされ始めた2005年後半を取り上げる。Windows Vistaの開発は,ようやくゴールが見え始めた。

 2005年。期待外れや遅延に満ちた数年間を経て,Windows Vistaはようやく完成に向かっているように思われた。2005年4月の「WinHEC 2005」で,久々に公開された「ビルド5048」は失敗に終わったが,2005年の7月下旬に発表された「ベータ1」の出来が予想外に良かったので,Microsoftは勢いを多少は取り戻した。

 さらに良い知らせがあった。Microsoftは,2005年9月に開催する「PDC 2005」で,暫定ビルドをリリースすると公約したのだ。2005年夏の時点で,それから起きようとしていることを予測するのは不可能だった。だが過去の経験からリリース間隔の長いビルドに慣れてしまっていたベータ・テスターたちは,2005年末から2006年にかけて,毎月のようにリリースされるビルドの洪水に押し流されようとしていたのである。その状況を以下で解説する。

2005年8月:サイド・バーの復活

 2005年8月上旬に筆者は,MicrosoftがWindows Vistaに「サイド・バー」機能を再び追加しようとしていることを知った。筆者は当時次のように書いている。「Microsoftは,ベータ1以降(例えば,ビルド5200シリーズ)に,同機能を復活させた。筆者の情報源によると,同機能はデフォルトでは無効になっており,Mac OS X TigerのDashboard機能に驚くほど似ているそうだ」。この情報は悲しくなるほど真実に近かったということが,後になって判明した。

 8月の中旬になると,MicrosoftはIEのことを「Windows Internet Explorer」と呼び始めた。これは,Windowsの事実上すべての機能がWindowsブランドを名乗るようになる傾向の始まりだった(例えば,Photo GalleryはWindows Photo Galleryになった)。

 8月16日に筆者は,「The Road to Windows Vista 2005」という記事を公開した。この記事には,当時人々が把握していたWindows Vistaの機能セットの長大な説明と,当時の最新Windows Vista出荷スケジュールが掲載されていた。さらに同記事では,Windows Vistaに求められるハードウエア要件に関する,Microsoftの社内ガイドラインも取り上げた。これには,最高の性能を引き出すには3GHzのプロセッサと512Mバイト以上のRAMが必要だと明記されていた。

 8月に下旬になると,筆者はWindows Vistaのベータ版と製品版のMac OS X 10.4「Tiger」を比較する試みを開始した。最終的にこの試みは頓挫したのだが,ほとんどの比較においてAppleが優勢だったことに,Windowsファンは動揺していた。一方Appleファンは,製品版のOS Xとベータ版のWindowsを比較したことについて,筆者を非難した。後に発表されるWindows Vistaの暫定リリースで,筆者のベータ1比較テストが無意味なものになったので,筆者はこの比較テストを完遂できなかった。

開発モデルを変更し「2005年末までに機能追加を終了」

 8月29日に筆者は,Windows VistaとLonghorn Server,WinFS,そしてYukon(SQL Server 2005)の新しいスケジュールに関するMicrosoftの内部文書を受け取った。筆者は記事で「これとは逆の内容のうわさが出回っているが,筆者が何カ月か前に『SuperSite for Windows』で発表したスケジュール通りに,Microsoftは2006年の前半ではなく2005年の後半に,Windows Vistaベータ2を出荷する予定である」と書いた。当時の記事をもう少し引用しよう。「筆者が最近受け取った内部文書によると,Windows Vistaベータ2は2005年の9月29日までには『基本機能が完成した』ものになる予定である。2005年10月から11月9日までの間に,Windows Vistaベータ2の仕様は確定され,厳重管理体制に入る。この日以降,ベータ2は第三者に預託されることになる。現在,Microsoftは12月7日,つまり筆者が最後に入手したスケジュールより3週間遅れて,Windows Vista ベータ2を出荷する予定である」

 「ベータ2以降は,どうなのか?筆者が月曜日に閲覧した第二の文書群によると,MicrosoftはWindows Vista Release Candidate 0(RC0)を2006月4月19日に, Windows Vista RC1を2006年の6月28日に,それぞれ出荷するようだ。Microsoftの現在の予定では,2006年の8月9日にWindows Vistaを製造工程向けにリリースして,2006年の11月15日までには同製品を広く一般に発売することになっている」

 今では誰もが知っているように,このスケジュールは守られなかった。だが今回は,その理由を初公開しようと思う。

 2005年8月下旬になっても,Microsoftは依然として過去のWindowsのときと同様の方法で,Windows Vistaの開発を進めていた。つまり,リリース候補版(RC)の段階が終わるまで,新機能を行き当たりばったりで追加し続けるという方法だ。だが2005年秋,MicrosoftのBrian Valentine副社長は,ある危険を伴う決断を下した。彼は,過去のWindowsの開発モデルを踏襲するのではなく,2005年の末までにほとんどの機能をWindows Vistaに追加するよう,同社の製品開発グループに命じたのだ。この結果,Microsoftは2006年の大半を,調整と仕上げ,性能の向上,そしてその他の微調整を必要とする問題の解決に費やせたのである。

 この決定は,いくつかの派生的な効果をもたらした。まず第一に,テスターたちはベータ・サイクルの中で,過去のWindowsのときよりもはるかに早い段階で,Windows Vistaの主要な新機能を,基本的にすべて見られるようになるのだ(これには思わぬ悪影響があった。今後の暫定ビルドには大きな変更が加えられないため,「退屈」なものと思われてしまう可能性が高いのだ)。

 第二に,2006年の中頃までずっと,これらの機能の多くはバグの多いものになった。なぜなら,これらの機能は通常よりもずっと早い時期にWindows Vistaに追加されたからだ。そして最後になるが,Microsoftは開発の非常に遅い段階,つまりRelease Candidate 1(RC1)の段階になって,性能や信頼性,調整と仕上げといった点で,大幅な進歩を遂げたのだ。この変化には,筆者のような傍観者だけでなく,テスターたちも驚かされた。

 その一方で,MicrosoftはWindows Vistaから機能を削除し続けた。Longhornの開発の初期段階で,同社はいわゆる「Palladium」と呼ばれるセキュリティ機能のことを,大げさに宣伝していた。この機能は後に「Next Generation Secure Computing Base(NGSCB)」と改名され,その後,ほぼ完全に削除されることになる。2005年8月下旬の時点で,MicrosoftがWindows Vistaに搭載したPalladiumの機能は,「Secure Startup」と「Bitlocker」だけになっていた。これは,機能の削除が実際に歓迎すべきことだったという稀な事例の1つである。なぜなら,MicrosoftはPalladiumを使って,非常に全体主義的な方法で,PCに鍵をかけようとしていたからだ。

2005年9月:製品ライナップの決定

 9月になると,MicrosoftはTablet PC機能を特定のエディションだけでなく,すべてのWindows Vistaに拡大するという自らの決定を,自画自賛するようになった。Microsoftは,タッチ・スクリーンのサポートや,新しいText Input Panel(TIP)機能,ネイティブでの64ビット・サポートを,Tablet PC機能に追加すると発表した。

 そして,その後大変なことが起きてしまった。MicrosoftがPDC 2005でWindows Vistaの製品エディション(SKU,Stock Keeping Units)を正式に発表するほんの二日前に,Windows部門の中枢にいる筆者の情報源の一人が,同社の発表内容についての情報を筆者に転送してくれたのである。

 筆者がその情報をすっぱ抜いたことにより,Microsoftは大きく揺れた。結果として,同社の法律部門も含めた醜い争いに発展し,筆者とMicrosoftの関係はその後何カ月間もぴりぴりしたものとなった(その数日後PDCの会場で,何人かのMicrosoft社員はWindows Vistaの製品ラインアップのスクープに関して,筆者を祝福してくれた。これは,気分のいいものだった。正直に言うと,そのうちの一人は筆者のことを「SKUを漏らした負け犬」と呼んだのだが,その口調は冗談めかしたものだった。少なくとも,筆者はそう感じた)。

 このときの発表内容は,最終的な製品ラインアップとほぼ同じであり,大まかな区分は全く同じである。つまり,Windows XPの現状と同じく,Windows Vistaも,大まかに言うと2つに分類できる。Windows XPの場合,「Home」はStarterとHome,Media Centerで構成されており,ProにはProfessionalとProfessional x64,Tablet PCが含まれている。Windows Vistaの場合は,HomeとBusinessの2つに大きく分けられる(写真1)。

写真1●マイクロソフトが作成した製品エディションの一覧図
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 Microsoftは,Homeに分類される製品エディションを4つ作った。すなわち,Windows Vista Starter EditionとWindows Vista Home Basic Edition,Windows Vista Home Premium Edition,そしてWindows Vista Ultimate Edition(以前は「Uber Edition」として知られていた)だ。一方,Businessに分類されるエディションは全部で3つある。Windows Vista Small Business EditionとWindows Vista Professional Edition,そしてWindows Vista Enterprise Editionだ。

 つまりWindows Vistaでは,全部で七種類の製品エディションが予定されていた。ただし,ヨーロッパ向けの「N」エディションと,韓国向けの「K」エディションはこれに含まれていない。なお,このなかで立ち消えになった製品エディションがある。Small Business Editionだ。Vista ProfessionalはBusinessに改称された。

 Windows Vistaにおける製品エディション区別の狙いは,すべての顧客区分に対して「明確な価値の提案」を行い,Media CenterやTablet PCの機能といったWindows XP時代に生まれた革新的技術を一般にも広めることだった。さらにWindows Vistaは,x64プラットフォームに向けた過渡的な製品と位置付けられていた。ほぼすべてのWindows Vistaエディションは,x86(32ビット)とx64(64ビット)の両方のバージョンで提供される。Microsoftは,Windows Vistaの次の時代でx64への完全移行を果たす考えだ

 Microsoftは,Windows Vista Enterprise Editionのことを「Windows Vista Professional Premium Edition」,Windows Vista Professional Editionを「Windows Vista Professional Standard Edition」と呼ぼうと,一時検討していた。彼らが結局そうしなかった理由は分からないが,Professionalという単語を含む製品が2つあったら,混乱を招いていたことだろう。

 他にもこぼれ話がある。Microsoftは明らかにこうした情報がすっぱ抜かれたことに動揺していたが,これら多種多様の製品エディションのニュースは,どのみちPDCで露呈していたはずなのだ。というのも,PDCで私たちが受け取ったWindows Vistaのビルドには,これらの製品エディションの存在を示すフォルダが含まれていたのだ。

2005年9月:XPにも提供する予定だった「サイドバー」