2006年は,ゲームソフト市場が大いに盛り返した年だった。ゲーム専門誌を発行するエンターブレインによると,2006年の国内のゲームソフト販売本数は前年比44%増の5765万本。1999年以来,7年ぶりに5000万台を回復し,昨年までの市場の低迷を一気に跳ね返した。

 躍進の立役者はNintendo DS(以下,DS)。こちらも7年ぶりに,機種別のソフト販売数ランキングでPlay Station2(以下,PS2)から首位を奪回しただけでなく,6割近いシェアを確保し,2位のPS2を大きく引き離す強さを見せた。

 DSソフトの販売数が伸びたのは,「脳を鍛える大人のDSトレーニング」「いまさら人には聞けない 大人の常識力トレーニング」などのトレーニング系のソフト7本が軒並みヒットし,合計で913万本も売れたからである。2005年は2タイトル・188万本を販売し,ゲームソフト市場全体の4%を占めるに過ぎなかったが,2006年には15%を占めるまでになった。もはや従来のゲームソフトの範ちゅうとは別に,トレーニングソフトなる新市場を形成したと言っていい。

世界で1000万本を売ったお化けタイトル

 先駆けとなった「脳を鍛える大人のDSトレーニング」と「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」(以下,合わせて脳トレ)は,発売以来,国内で累計700万本,欧州で200万本,米国で100万本を売り上げているお化けタイトルである。なぜ,ここまで多くの人を惹きつけることができたのか。

 世に諸説ある中,筆者が実際に使ってみて感心したのは,コーチングのうまさである。あまたある学習ソフトの中でも,脳トレほどユーザーのやる気を引き出すための仕組みが緻密に設計され,実装されているものはない。これを脳トレ流コーチング・メソッドと名付けたい。

 コーチングと言えば,もともとスポーツの分野で開発された「選手の能力を引き出すための手法」。それが,ビジネスの分野でも脚光を浴び,「社員の能力と自発性を引き出し,個人の自己実現と組織の目標達成を同時にサポートするための手法」として活用されている。

 ビジネス・コーチングの指導を手掛けるコミュニケーション・テクノロジー研究所の上村光弼氏は,コーチングをうまく機能させる要素として「コーチングする人とされる人とのパートナーシップ」「双方向・対話型」「気づかせる,考えさせる,決めさせる」「協働型・参加型」「質問中心」「やりたくなる(内的動機付け・自発性)」などを挙げている。

 もともと人には「成長したい」「能力を発揮したい」という基本的かつ根元的な願望がある。脳トレは「脳の機能を高める」という明確な目標と,簡潔なトレーニング方法を提示することで,ユーザーから高い支持を得た。普遍的なニーズに,普遍的な手法をマッチングさせることで巨大市場を掘り当てたのである。

テクニック+コミュニケーションでやる気を引き出す

 コーチングを正しく行うテクニックとしては,1.自分の現状を認識し,2.目標を設定し,3.目的や意図を明確にし,4.やり方を選択し,5.行動計画を立て,6.意志を確認する,といったプロセスが必要である(上村氏の説による)。実は脳トレは,この一連のプロセスをシステム化したツールなのである。

 まず,「1.自分の現状認識」だが,脳トレの「脳年齢チェック」がこれに当たる。簡単な計算問題や漢字合成などをやっていくと「あなたの脳年齢は○歳です」と判定してくれる。筆者も試してみたが,最初は62歳だった。ここで大抵の人は青くなる。「自分はこんなに衰えているのか。何とかしなければ」となる。

 また脳トレでは,ユーザー登録すると,まず脳の機能についての講釈からスタートする。「加齢とともに脳の機能は低下するが,毎日,積極的に脳を使う習慣をつければ,機能低下は防げる」(3.目的)と説明する。そして具体的な目標として,最も機能が高まる「脳年齢20歳」までがんばりましょうと鼓舞するのである(2.目標を設定)。脳年齢チェックをするたびに,結果を必ずグラフ化して見せるので,それがまた向上心を煽ることになる(6.意志を確認)。

 「5.行動計画」についてはカレンダー機能を備えている。毎回,10分ほどのトレーニングが済むとカレンダーが現れ,自分でわざわざ「済」あるいは自分でデザインした「Myハンコ」を押させる仕組みになっている。おかげで,サボった日は一目瞭然である。

 さらに「コーチングのテクニックを支えるのは,コミュニケーション力」という上村氏の主張を裏付けるがごとく,監修者である東北大学未来科学技術共同研究センターの川島隆太教授の顔(ポリゴンCG)が登場し,仮想トレーナーとしてユーザーを励ましたり,進め方についてアドバイスしてくれる。

 例えば,しばらくサボった後に脳トレを始めると,川島教授が表情豊かに,「○さん,2週間ぶりですね!」と話しかけてくる。トレーニングの成績が良くないと「お疲れですか?次回はがんばりましょう」と励まし,成績が良いと「驚きました!すばらしい成長ですね」と喜んでくれる。毎回,トレーニングが終了すると豆知識を披露してくれるのも楽しみの一つだ。

目標とプロセスをできるだけシンプルに

 数年前にブームになったビジネス・コーチングは今,かつてのような盛り上がりはない。「思ったより効果が上がらない」「考え方はいいが,実際どうすればいいのか」などの声が聞こえてくる。

 コーチングの成果が上がらない理由として,リーダーの使命感や情熱不足がよく指摘される。確かにその通りなのだろう。本気になっていないリーダーの下では,人や組織を変えることは到底難しい。だが精神論だけでは片づかない部分があるのも事実である。

 脳トレは,コーチングのプロセスをDS上でシステム化し,能力向上という満足をユーザーに与えることに成功した。実際の組織マネジメントにゲームの手法がそのまま持ち込めるとは思えないが,多様な目標設定やプロセスの柔軟性など,経営環境に適応できる実用的なツールを開発できれば,コーチングの導入効果は相当高まりそうだ。

 逆説的だが,脳トレの成功に鑑み,目標とプロセスを極力,簡潔にするという考え方もできる。目標がシンプルであればあるほど,仕事のプロセスが簡潔であればあるほど,人は集中力を高め,持続力を保ち,能力を発揮しやすくなる。

 仕事の成果が思うように上がらず悩んでいる方がおられるとしたら,今一度,組織の達成目標やプロセスが複雑になり過ぎていないか点検してみてはいかがだろうか。