つい最近,「ネット時代の反論術」という本を読んだ。なじみのサイトで取り上げられていて,ちょっと面白そうに思えたからだ。ただし,著者である仲正昌樹氏もあとがきで断っているが,この本は「ネット時代の反論術」を正面から解説した本ではない。反論術の細かいテクニックも多少は記載されているが,大半はネット上の議論で「何が何でも相手に勝とうとする反論合戦がいかにバカらしいか」を,アイロニカルに距離を置いて論じる内容になっている。読み手にもよるが,“脊髄反射的”にネットでの論争にのめり込む前に,「一歩引いたところで論争の目的を客観視しよう」という意識が身に付くところが,本書最大のメリットだろう。こうした意識は,ネットに限らず現実世界でも役に立つはずだ。

 この本では,論争を3つに分類している。1つは「見せかけの論争」。身内へのアピールなど,議論の相手ではなくギャラリーに良く見せることを目的に行う議論のことだ。2番目は「相手をちゃんと見た論争」。論争相手に論理的に勝とうとするもので,いわゆる“狭義”の意味での論争に相当する。そして,3番目が「反論という形を通じて,とにかく相手を潰したい」というもの。論争相手のイメージダウンのためには人格攻撃を含めて手段を選ばず,というタイプの論争だ。

 例えば,昨年12月に開かれた「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」のシンポジウム(関連記事)における,保護期間延長賛成派の三田誠広氏や松本零士氏の発言は,最初の分類である「見せかけの論争」と考えると理解できる。同シンポジウムでは,富田倫生氏(著作権の保護期間を過ぎた作品をネット上で無償公開する電子図書館「青空文庫」呼びかけ人)など延長反対派の「社会全体のグランドデザインという観点から著作権保護期間を考えよう」というスタンスに対して,延長賛成派の三田氏と松本氏は「著作権者の遺族,少なくともその子息の存命中は著作権を保護すべき」と主張。議論はいっこうにかみ合わなかった。記者自身は著作権の利用者側の立場にあることが多いためか,正直に言って延長賛成派の主張に説得力を感じられなかった。

 しかし,三田氏や松本氏の目的が,保護期間の延長反対派を論破したり,(記者のような)中間派を延長賛成派にくら替えさせることではなく,「身内へのアピール」だったと考えると,彼らの発言はすんなり理解できる。三田氏は日本文藝家協会の知的所有権委員長,松本氏は日本漫画家協会の著作権部責任者である。協会メンバーに対して「我々はあなた方のことを大切に思い,行動している」とアピールするための発言だとすれば,「若死にした作家の遺族にとって,著作権保護期間が作家の死後50年では足りない。死後70年に延長すべし」と繰り返し主張すれば,それだけで十分。反対派の主張に正面から反論する必要はないのである。

 好意的に考えれば,彼ら自身が保護期間延長の必要を感じていなくても,延長を望む一部協会メンバーの声を代弁して,そのように主張していた可能性もある(ちなみにシンポジウムでは,両氏とも「本日の発言は協会の役員としてではなく個人の立場での発言となります」と断っていた)。
 
 もちろん,延長反対派の人たちも,そんなことは百も承知なのだろう。それでも理詰めに反論するのは,1人でも多くの延長反対派を増やすという目的のためであり,その意味では延長反対派もまた,ギャラリーにアピールするための「見せかけの論争」を戦っていると言える(シンポジウムの様子は,同会議のWebサイトで動画配信されている)。

 ちなみに「ネット時代の反論術」で3番目に分類されていた「とにかく相手を潰したい」という論争は,現在,ネットのあちこちで目にすることができる。芸のある悪口が,第三者にとっての娯楽になることは否定しないが,それらは不毛なエネルギの消費であり,傍目で見ていても,何ら建設的な結果をもたらさないように思える。著作権保護期間の延長反対派が注意すべきなのは,松本氏など延長賛成派の発言の端々を捉えて,人格攻撃に陥らないようにすることだろう。同書にもあるが「とにかく相手を潰したい」という発言は自らを貶(おとし)め,本来の支持者をも遠ざけることになるからだ。