■コミュニケーションにおいては「人」そのものへのアプローチだけでなく 、「場」に対するアプローチも大切です。「場」の空気をいかにコントロールするか----。商談でも議論でも、ただ漫然と過ごしていると情報は通り過ぎていくだけです。それを学びに変えるためにはどうすればいいのでしょうか。
前回のコラムで、場を盛り上げるためには、「その場が成長につながる」という実感を演出しなければならない、と書いた。それでは「成長できる場」とはどういうものだろうか。
私はIT関連のビジネスに従事する方々を集めた「ナレッジワークショップ」という勉強会を定期的に開催している。「ナレッジ」と言うとなんだか難しく感じられるが、要はビジネスにおけるさまざまな経験談を話し合う場だ。
しかし、あえて「ナレッジ」という言葉にこだわっているのは、それが単なる「経験」ではなく、「経験知」を指す言葉であり、その経験知こそが成長の糧であると考えているからだ。ただ単に「私はこんなことを経験しました」という話は単なる経験情報だ。日常会話レベルの話であり、経験そのものによほどインパクトがない限り、あまり記憶には残らない。
しかし、「こんな経験をしました。そこからこういうことを学びました」というとそれは知識となる。経験情報がメモリーに記録されたデータだとすると、知識はアプリケーションであり、人を成長させるツールだ。人は「経験」を「知識」に変えることで成長する。
「経験」を「経験知」にエディットする
ファシリテーターとしての私の役割は、ワークショップで参加者が無意識のうちに話す経験情報の中から「学び」となる部分を掘り下げて、「経験知」として客観的に示すことだ。「XXさんのこの経験にはこんな学びがあるのですね。」というふうに。このようなアプローチを私はエディットと呼んでいる。
会議や商談に限らず、日常の会話の中ではたくさんの経験情報がやりとりされているが、いつも自分の経験を経験知として整理して語れる人はあまりいない。もちろん、そんな人ばかりなら、会話が説教くさくなって仕方ないかも知れないが。
ただ会議や商談の場で、無意識のうちに話される経験情報について、それを経験知へとエディットしていく力を持つ人がいれば、その場を成長できる場に変え、議論への参加意欲も高められる。
それでは、そのためには高度なエディット力がいるのか。プロとして仕事をしている私の立場としては、「そんな簡単なもんじゃない」と言いたいところだが、意外に簡単である。
主語を自分に変えて考えてみる
最も簡単なのは、誰かの経験談を、主語を変えて考えてみることだ。
「私はこんなすごい仕事をやり遂げたんですよ。」という自慢話はよく効く。それだけで終わると、「あんたすごいね」というただの評価情報なのだが、「私だったら、どのようにすればそんなすごいことができるか?」という問い掛けをしてみると、違った視点が表れる。
その経験は、その人にしかできないのか。その人の何がうまくいった要因なのか。他の人に置き換えたなら、どのような条件がそろえば再現できるのか。そこに、「すごいこと」をやるための要因、ノウハウが浮き彫りになる。
失敗談も同じだ。「他の人でも同じようにすれば失敗するのか?」そこに失敗の本当の要因が隠されている。
我々は、四六時中いろんな情報に囲まれて働き、生活している。そして、そのほとんどが他者による経験情報だ。そのほんの少しでも、自分や第三者に主語を置き換えてみることで、情報の持つ本質や、学ぶべき教訓、ノウハウが見えてくるのだ。
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