年明け,せわしない日々の業務からつかの間解放され,ふとこんなことを考えた。「もしGoogleの覇権を相対化するものがあるとすれば,それは何だろうか」。浅学非才の身で何を大それたことをと自分でも思うが,記者はかつて日経オープンシステムという雑誌の,現在はITpro オープンソース/Linuxテーマサイトの編集者として,IBMとMicrosoftの覇権が相対化されていく過程に立ち会っている。もしかしたら,読者が頭の整理をするお役ぐらいには立てるかもしれない。

オープンシステムがハードを,オープンソースがソフトを相対化した

 GoogleはIT産業において,IBM,Microsoftに続く第三世代の中心であると多くの識者が指摘している。IBMはハードウエア,Microsoftはソフトウエアの時代の覇者である。Googleはサービスの時代の覇者といわれる。かつてはNetscapeがネットワークの時代を制覇すると目されていたこともあった。しかしNetscapeはソフトウエア企業であり,それを超えることはできなかった。

 IBMのハードウエアによる覇権を相対化したのは,オープンシステムだった。WindowsやUNIXにより,ユーザーはハードウエアを自由に選べるようになり,コモディティ(日用品)となった。コンピュータ・メーカーはアーキテクチャでユーザーをロックイン(囲い込み)できなくなり,競争が激化,ハードウエアの利益は激減した。

 代わってソフトウエアによるロックインが発生,独占的なシェアを獲得したソフトウエア・ベンダーに利益が集中した。

 ソフトウエアによるロックインを“開放”しようとしているのがオープンソース・ソフトウエアである。ソフトウエアによるロックインがある程度避けられない以上,基盤となるソフトウエアは誰にも独占できない社会的インフラとして共同で整備する。そうすることで,基盤的なソフトウエアが特定の企業にコントロールされる状況に比べ,社会全体にとっての便益を高め,リスクを軽減できるという考え方だ。

 もっとも,市場が政府や企業に比べて常に正しいわけではないように(ほとんどの場合は市場が正しいが),上のテーゼはこれから実証される,あるいはうまく機能するように整備されるべき部分を含んでいる。

 ロックインが望ましくないのは,競争を阻害するためだ。競争が十分に機能していないと,適正な価格が設定されないだけでなく,製品を改良するインセンティブも低下する。ハードウエアの価格が激しく低下しているのに対して,Microsoftのソフトウエアの価格はいっこうに安くならない(しかし,Microsoftも企業情報システムに参入した際,ミドルウエアではUNIX向け製品に比べて一桁低い価格を提示する“価格破壊者”だった)。

サービスがコモディティ(日用品)となる可能性

 Googleが提供するようなサービスがコモディティとなることはあり得るのだろうか。

 Googleの競争力の源泉は,そのインフラである数十万台とも言われるサーバー群と,集積されたデータだ。

 Googleは膨大なサーバー群によって,検索をはじめとするインターネットのサービスをユーザーに提供した。こうした巨大なインフラを必要とするサービス分野で,Googleへの挑戦権を得ることは簡単ではないように思える。

 ここでもキーワードは「オープン」だ。ひとつの可能性は,ユーザーがコンテンツを提供するCGM(Consumer Generated Media)のように,ユーザーがコンピュータ資源を互いに開放(オープン)することにより,仮想的な巨大サーバー群を作ることだ。すでにユーザーが提供した遊休CPUで分子解析を行いがんの治療薬を探索したり,電波望遠鏡のデータを分析して地球外生命体の存在を探ったりするプロジェクトが存在する。P2PソフトのWinnyやShareは,ユーザーが提供するディスクによる巨大な分散ストレージである。無線LANのルーターをオープン化するFONは,ネットワーク資源をユーザーが互いに拠出しあうことで,地球規模の無線LANサービスを作り上げようという試みだ(関連記事)。

 Webがプラットフォームとして進化するに従い,デスクトップの機能はネットワークの“あちら側”に吸い上げられていく。しかし,“こちら側”ではムーアの法則に従いCPUパワーとストレージが年々膨れ上がっていく。この資源をどう使うのか。ダムの水位が上がるように蓄積されるこの不均衡は,ネットワーク環境の向上がある臨界点を超えると“決壊”するかもしれない。膨大なコンピュータ資源を無料に近い価格で使用できることで,Googleへの挑戦権を誰もが得られるようになる。

 ではデータはどうだろうか。Googleにある情報の多くはユーザーが生産したものだ。今のところ「ロックインにより囲い込んでいる」といった世論はあまり耳にしない。一般ユーザーにとって無料であることや,率先してAPIの公開を行っていることなどがその理由だろう。ただAPIを利用したサービスが開発されることは,OSの上にアプリケーション・ソフトが開発されることにも似ている。Googleのデータを利用できるが,それに依存することにもなる。だからこそ積極的にAPIを公開する。

 それでも将来,ユーザーが見たもの,聞いたもの,語ったことを無意識のうちに記録するライフログと呼ばれるようなデータが蓄積されていくとき,ユーザーはデータによるロックインを回避し,完全にコントロールしたいと考えるだろう。自分のデータをネット上の様々なサービスに分散して預けるようなあり方は許容できない。だが,どこにいてもリアルタイムでその膨大なデータにアクセスして必要な分析と抽出を行いたい。そのようなニーズに対し,Googleのように巨大なサーバー群が提供するサービスという形態は十分に整合的だろうか。

サービスを超えるパラダイムは存在するか

 だがしかし,サービスの枠内だけの相対化では,Googleの覇権を脅かすには十分ではないだろう。ハードウエアがソフトウエアによって,ソフトウエアがサービスによってその地位の座を追われたように,サービスに主役交代を迫るようなパラダイムは存在するのだろうか。

 それは,サービスが人間のリクエストに答えて受動的に提供されるもの,という限界を超える技術かも知れない。それは「エージェント」という名称で呼ばれるのだろうか。答えは幾重にもベールで覆われたイノベーションの壁の向こうだ。

 いずれにせよ,現在のパラダイムの上で実現できる新しいサービスの可能性はまだまだある。おそらく記者の貧しい想像力をはるかに超える技術がこれからも続々と登場するだろう。

 IT産業の面白いところは,予測ができないことだ。今日のGoogleのビジネス・モデルである検索連動型広告は,その創業時には存在しなかった。最初に始めたのは米GoTo.com(現OverTure)である。Googleが年間1兆円の売り上げ,数千億円の利益を叩き出す企業になると,創業時に予想した者はいなかった。

 パソコン産業の成長を描いた「コンピュータ帝国の興亡」(ロバート・X・クリンジリー著,アスキー刊)を信じるなら,Microsoftがその礎を築いたIBM PCのOS「MS-DOS」を受注できたのは多くの偶然が重なった結果という。原題は「Accidental Empires(偶然の帝国)」である。

 しかし多分に偶然の要素があったとしても,一度標準が選ばれればそれを基盤として新しい技術やサービスが成長していく。細い道でも一度定まれば踏み固められ,広い道になり店が建っていくことに似ている。願わくばITproが,その道を早く,間違いなく歩くためのガイドブックでありたい。今後も,新しい道の誕生や成長をいちはやく読者にお知らせできるようにするため努力していく所存である。