ベテラン・エンジニアほど,自分が経験してきた既存技術に肩入れしがち。未知の技術を採用するリスクを知っているからだろう。しかし,新技術によるブレークスルーを望む顧客にまでそれを押し付けては逆効果。新たな試みの芽を摘んでしまう。

イラスト 野村 タケオ

 Kさん(35歳)は,情報サービス会社であるM社に入社して13年になるベテラン・エンジニアである。オープン・システム開発事業部に長く所属し,顧客企業のシステム開発を数多く担当してきた。特にクライアント・サーバー(C/S)システムに関しては豊富な知識と開発経験を誇り,社内で右に出るSEはいないほどだった。「そろそろ新技術を身に付けようか」とは思ってはいたが,日々の業務に追われて先延ばししていた。そんなKさんが任されたのが,D社の研究支援システム構築プロジェクトだ。

 健康補助食品の製造・販売会社であるD社はここ数年,業績を順調に延ばしてきた。自然派指向の商品が,消費者の支持を受けたのである。しかし,近年の健康ブームに乗って新規参入企業が増え,競争は激化の一途をたどっている。今後も勝ち続けるには,消費者のニーズに合った“売れる”商品を他社に先駆けて開発し,素早く市場に投入できる体制を整える必要があった。

 そこでD社は,研究支援システムを刷新することにした。卸や小売店といった取引先から営業担当者に寄せられる声や,市場調査結果などを蓄積し,自由に参照できるようにする。さらに過去の基礎研究や開発データを,約80人いる研究担当者が共有することで重複研究を防ぐ。これらにより,商品企画から試作品開発までの期間を大幅に短縮しようというのである。「そのためのシステムを,Web技術で開発して欲しい」というのが,D社の要望だった。

比較材料を用意せずに提案

 Kさんは,D社の要求事項を詳しく聞き取ると,システム構想に取りかかった。「Web技術か。確かに最近,流行っているようだけれど,私が最も得意とするのはC/Sシステム。それに画面処理の自由度も低いと聞く。わざわざ新技術に手を出すリスクを犯さなくても,優れたシステムを作ってみせる」。こう結論付けたKさんは,C/Sシステムで押すことにした。さっそくシステム案を作成すると,D社の情報部門と研究部門に対する説明会に臨んだ。

 Kさんが提案を説明している間,参加者の反応はどことなく冷ややかだった。説明し終わったKさんは,D社のAマネジャーに「それで,他の案は?」と聞かれて,「いいえ。この案をお薦めします」と胸を張った。

 その後,参加者の大半から激しい反論が始まった。研究部門からは「我々は外部の情報収集にインターネットを利用することが多いから,システム画面や操作はWebブラウザに統一したいんだよ」,システム部門からは「今まで,クライアント・ソフトのインストールやバージョンアップに苦労してきた。Webシステムならば,そうした作業から解放されるはず」といった声が噴出したのである。

 それでも,KさんはC/Sシステムにこだわった。確かにバージョンアップやユーザー・インタフェースの統一といった問題はあるものの,自分の提案にはそれを補って余りある利点があるし,費用も予算枠に納まっている。Kさんは,「システムの拡張性や,一度に多くのアクセスが集中した場合の安定性は,C/Sシステムの方が明らかに優れています」と,自分の提案の利点を懸命に強調した。クライアント・ソフトの更新については,「サーバー側の更新と同期して実施すれば,大きな問題にはなりません」と言い切った。しかし,D社の担当者たちは納得しなかった。結局,議論は平行線のまま。説明会は,時間切れになってしまった。

自案にこだわり担当を外される

 説明会が終了した直後に,AマネジャーからKさんの上司であるY部長に電話が入った。「Kさんではラチがあかない。次回からは,Y部長と他のSEが出席してください」。面食らったY部長は,Aマネジャーから事態の概要を聞いて受話器を置くと,腕組みしてKさんが戻るのを待った。

 間もなく,Kさんが帰社した。Y部長はKさんを打ち合わせスペースに呼び,Aマネジャーからの申し入れを伝えた。Kさんが驚いていると,Y部長は「はっきり言って,君の手抜きと思われても仕方ないね。C/Sシステムを薦めるにしても,顧客であるD社が要望するWebシステムでの構築案を検討・提示して,それぞれのメリットやデメリットを丁寧に説明すべきだった。自分の考えだけを顧客に強要するようでは,プロのエンジニアとは言えないよ」と冷静にコメントした。

 “手抜き”と言われて,Kさんは考え込んでしまった。これまで,C/Sシステム一筋に磨いてきた知識やスキルは,誰にも負けない自信がある。だからこそ今まで,顧客や社内の同僚から信頼されてきたのだ。ところが今回はそれが裏目に出て,顧客の不信感を買ってしまったというのか。

 思案顔のKさんに,Y部長は「そういえば,君は社内の技術研修会にさっぱり顔を出していないそうじゃないか」と尋ねた。Kさんが「忙しくてなかなか時間がとれなくて…」と言葉を濁すと,Y部長は「新しいスキルを習得することによって,従来からある技術の素晴らしさを再認識することもある。君の優秀さは認めるが,得意分野に安住せず専門領域を積極的に広げる努力は必要だよ」と言い残し,仕事に戻っていった。

 Kさんは,しばらくその場を動けなかった。得意分野にしがみつき,周りが見えなくなっていることをずばりと指摘されたからだ。振り返ってみると,研修を避けていたのも,多忙だけが理由ではなかった。「私はC/Sシステムでは第一人者だ」というプライドが,未知の分野にゼロから取り組むことを許さなかったのだ。「『お山の大将』だったのか」。Kさんはつぶやき,うなだれた。

 だが,落ち込んでばかりもいられない。「ITの進歩は早い。置いてきぼりを食わないよう,新規巻き直しだ」。何とか気持ちを切り替えようと,Kさんは勢いよく立ち上がった。

今回の教訓
・得意分野に固執してばかりでは,進歩は期待できない
・複数案を提示してこそ,自分が薦める案の良さが光る
・“新しきを温(たず)ねて故(ふる)きを知る”ことはよくある

岩井 孝夫 クレストコンサルティング
1964年,中央大学商学部卒。コンピュータ・メーカーを経て89年にクレストコンサルティングを設立。現在,代表取締役社長。経営や業務とかい離しない情報システムを構築するためのコンサルティングを担当。takao.iwai@crest-con.co.jp