東京証券取引所は、2009年後半の稼働を目指す次世代売買システムの開発ベンダーを富士通に決めた。証券取引所の中核をなす売買システムを巡って、2005年11月以来3度の大きなシステム・トラブルを経験した東証は、初の国際入札を実施した。18グループに及ぶ世界の有力ベンダーの提案をどのように審査したのか。富士通の提案の何が決め手になったのか。東証が再生を賭けるプロジェクトにおけるベンダー選定の真相を詳報する。

 2006年初夏。梅雨雲が垂れ込め始めたころ、米IBMのサミュエル・パルミサーノCEO(最高経営責任者)、米ヒューレット・パッカードのマーク・ハードCEO、米マイクロソフトのスティーブ・バルマーCEOなど、IT業界のそうそうたる顔ぶれが次々に東京を訪れた。彼らが共通に訪れる先が1カ所だけあった。東証である。2009年4月以降に稼働させる計画の次世代システムを受注すべく、西室泰三社長へのトップ・セールスに動いたのだ。

 東証が2006年度からの3カ年中期計画に盛り込んだ次世代売買システムの開発費用は、300億円。その後も開発作業は続くと見られるため、開発総額は300億円をはるかに超える可能性が高い。開発規模だけでなく、海外でも抜群の知名度を誇る東証の売買システムでの実績は、ミッションクリティカル・システムを手掛けるベンダーにとって、喉から手が出るほど欲しい案件でもあった。

 東証は次世代システムの開発ベンダーを決めるにあたって、3段階の選考を実施した。書類審査、提案内容の技術評価、プロジェクト・マネジャとの面接である。

 書類審査の対象となったのは2006年9月8日の締め切りまでに応募があった18グループ。今回、システム開発全体を一括発注するという条件を課す代わりに、ハードウエア・ベンダーとSIベンダーなど複数の企業による共同提案を認めていた。証券システムの開発実績があるか、日本国内で開発要員を確保できるか、稼働後の継続的な保守・サポートが可能かなどを審査。この段階で、5グループに絞り込んだ。

国内2グループ、外資は3グループに絞る

 複数の関係筋の話を総合すると、残ったのは、国内勢が富士通と日立製作所。外資系は日本IBMと日本ヒューレット・パッカードの2社。残る1グループは、英ロンドン証券取引所(LSE)・アクセンチュア・マイクロソフト連合とみられる。LSE・マイクロソフトのグループとアクセンチュアは別だったが、書類審査の結果が出る前後に合流したもようだ。

 東証にCIO(最高情報責任者)を送り出したNTTデータは、立場上応募を見送った。NECも応募を検討し、パートナー探しに動いたようだが、結果的に応募しなかったようだ。

 書類審査に合格した5グループに対して東証は、次世代システムの詳細なRFP(提案依頼書)を提示した。RFPだけで100ページ。業務仕様書は1400ページを超える膨大なものとなった。ここでは、「システムの処理時間を10ミリ秒以下にするために、ハードウエアとミドルウエアをどう組み合わせるか」など、技術面での保証を求めた。東証はRFPと業務仕様書をまとめるにあたって、富士通総研と日立総合計画研究所、アクセンチュアからコンサルタントを迎えた。その費用は1億2000万円にものぼる。

 そのRFPを受けて各ベンダーが提出した提案書について、東証は70前後の評価項目を設け、重み付けして配点。100点満点で提案内容を評価した。業務面の評価項目は東証が、技術評価はNTTデータのコンサルタント5人が担当した。

最後は富士通と日立の一騎打ち

 提案書の評価が終わったのは2006年11月下旬。ここまで残ったのは、現行の売買システムを開発・保守する富士通と、1世代前の売買システムを担当した日立の2社だった。

 最終選定では、プロジェクト責任者との面接も実施。提案書の内容などを総合的に判断した。最後はUNIXサーバーを使ったシステムで審査に臨んだ日立を、LinuxとIA-64サーバー「PRIMEQUEST」の組み合わせで提案した富士通が退けた形になった。東証は2006年12月19日の取締役会で富士通への発注を機関決定した。

 選考結果だけを見ると、「結局、現行システムを担当する富士通なのか」という印象は残る。しかし、東証が富士通を選んだのは、提案内容について業務面はもちろん、高速性、信頼性、拡張性を評価してのことだ。この連載では次回以降、富士通がどのような提案で東証が求める要件を満たしていったのか、その細部に迫る。