スキルに自信のあるITエンジニアほど,他人の意見は聞かないといえば言い過ぎだろうか。どんなに素晴らしいアイデアも,顧客の環境や事情を無視したものでは,自分勝手な思いつきに過ぎない。
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イラスト 野村 タケオ |
情報サービス・ベンダーP社の営業担当者であるDさんは,ここのところ冴えない顔をしている。無理もない。久々の大型案件を逃したのだ。しかも,時間をかけて築いてきた顧客との信頼関係にもヒビが入ってしまった。「エンジニアの人選を間違えたばかりに」と,Dさんは後悔の日々を送っている。
ほんの1カ月ほど前,Dさんは小躍りしたくなるような気分だった。自分が担当している顧客企業から,ビッグな商談が飛び込んできたからである。インテリア家具販売会社であるA社が,事業変革に伴う新システム導入を決めたのだ。
ここ数年,A社の業績は低迷を続けていた。新築住宅の着工やリフォーム案件は年々減っている。そのうえ,消費者の購買意欲は下がる一方で,遠方からわざわざショールームに出向いて家具を購入しようという顧客は少なくなった。
A社はこうした現状を打開するため,インターネットによる新たなビジネス・モデルを展開することを決断した。Web上で電子カタログを閲覧できるようにするほか,間取りに合ったインテリア製品の提案や見積もり,納期回答までをインターネットを通じて提供する計画を立てた。A社の情報システム部門を率いるSマネジャーはさっそく,P社を含むベンダー3社に提案を依頼した。
3年待った受注チャンス
Dさんは,このチャンスを何とかものにしようと燃えていた。A社を担当するようになってすでに3年。やっと巡ってきたチャンスだったからである。A社のニーズを的確に把握・分析して,「さすがにDさんの提案は素晴らしい」と,Sマネジャーを唸らせるような提案を持ち込もうと意気込んでいた。3年の間に,A社の業務をほぼつかんだという自負もあった。
新システム導入にあたってA社が最優先していたのは,稼働までのスピードだった。「一刻も早く新規事業を立ち上げたい」という思いからである。これに加えて,低コストであることが条件だった。「Dさんなら分かってくれていると思うが,当社は厳しい経営環境の中で精一杯のことをやろうとしている。そこのところを理解してほしい」。こう話すSマネジャーの真剣なまなざしに,Dさんは「なんとしてでも希望に応えよう」と心に決めた。
システム案を作成するには,エンジニアの力が不可欠だ。Dさんは,K主任に協力を要請した。K主任は,最新技術に関する知識に定評があるSE部隊きっての精鋭である。「画期的なビジネスに打って出る」というA社の構想を聞いて,K主任はがぜん張り切った。こうして,DさんとK主任を中心に,A社の新システムに向けた提案書作りがスタートした。
凝り過ぎの提案で受注逸する
最初の打ち合わせから1週間後,早くも原案ができあがったという知らせに,Dさんは「さすがK主任」と感心した。期待を胸に,さっそく説明してもらうことに。
ところがK主任のプランを見た途端,期待は不安にとってかわった。K主任のシステム案はパッケージソフトに様々な機能を追加することを想定しており,SEの作業工数が膨大になることが一見して分かった。加えて,ハードウエア構成は異常なほど重装備。とにかく,恐ろしく金のかかる内容だった。
「シンプルなシステムでよいから,開発期間は短く,投資額は低く」というA社の事情は,K主任にも伝えてあるはずだ。それが,ふたを開けてみると全く正反対の提案になってしまっている。むやみに最新技術を盛り込んだ「凝り性」で「大風呂敷」のシステム構成図を見て,Dさんはがくぜんとした。「この提案内容は,A社にとって現実的ではありません」と強く訴えた。
しかしK主任は平然としていた。しかも,「A社が考えていることを実現するためには,これくらいの開発工数は必要だ。レスポンス・タイムや障害対策を十分に考慮するとそれなりのハードも欠かせない。自分が手がけたシステムでは,これでもミニマムだよ」と言い放ったのだった。
「このままではまずい」と直感したDさんは,「まだ時間はあります。コストを下げた別の案を考えてみてくれませんか」と頼み込んだ。しかしK主任は,「この案がベスト。きちんと説明すれば客も分かってくれるはずだ」と取り合わなかった。
K主任に依頼した以上,今さらほかのエンジニアを引っ張り出すわけにはいかない。もはや,Dさんにはなす術がなかった。こうして,A社向けの提案書は完成に近づいていった。
そして提案当日。K主任の熱弁を聞いた後,Sマネジャーは残念そうにこう言った。「当社には,これだけのシステム・コストに耐える体力はない。当社の現状を熟知しているP社の提案とは思えない。今回は,他社に頼むしかないようだね」。Dさんの心配は,やはり現実のものとなってしまった。
Sマネジャーの反応が面白くなかったらしく,K主任はA社の案件から手を引いた。そこでDさんは,一筋の望みを託して別のエンジニアを手配し,大急ぎで代替案をまとめた。しかし,すべては後の祭り。Sマネジャーは,P社のライバル企業であるB社にシステム開発を委託する腹を固めていた。
技術に強いITエンジニアには,自分の意見や考えを曲げない人が少なくない。顧客の状況や制約条件を無視して,自分の「こだわり」だけでシステムを考えてしまうのだ。Dさんは,そのことを考慮せずに技術力だけでエンジニアを選んで失敗した。「顧客が使うシステムを作るのが仕事なのに,その顧客の事情や要望を無視するエンジニアなんて無意味だよ。今後,K主任と組むのは遠慮したいね」。今のDさんの偽らざる心境である。
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