日本にまつわる数々の問題が指摘されて久しい。改革しようという声もかねてより聞かれるが,まるで何も変わらない。私に言わせれば,日本の最大の弱点は「論理思考に基づいた建設的な議論ができないこと」である。

 問題を論理的に分析していないから,解くべき問題の設定からして間違っていることが少なくない。道路公団の民営化などがその典型だ。「有料道路は国道として20年経てば無料にする」という法律が本来あったのに,このことを初期の議論から外してしまったために,それ以降多くの議論が行われたものの,本質的な論点が欠如したまま間違った方向に行ってしまった。こうした環境下で本質的な解決策を議論しようとすると,今度は事実や論理を超えた感情的反発が出てくる。

 事実に基づいた全うな議論ができないというのは,ボーダレスの時代にあって,大変不利な国民性と言わざるをえない。日本企業の会議に出た人なら経験があると思うが,議案について事実に基づく分析をベースに理詰めで議論を戦わせることが極めて少ない。ある人の意見に反対しようとすると,お互い感情的になり喧嘩腰になってしまう。だから表面上だけ波風が立たない会議にしようとする。しかし意見の一致などしていないから,会議が終わると仲良し組に分かれてそれぞれ飲みに行き「あいつはけしからん」などと悪口を言い合っている。

頭に汗をかけ!

 しかし「日本人だから仕方がない」などと言っている場合ではない。私は,改革意欲と危機意識を持つ若者が真剣に勉強すれば,次世代を担える能力,世界のどこに行っても通じる論理的議論ができる能力を身につけることができると思っている。ここでいう勉強とは,頭を徹底的に使って考え抜くことを指す。私の表現では「頭で汗をかく」と言うことになる。残念ながら日本の若者はこうした訓練をほとんど受けないまま,社会に出てしまう。もともとの国民性に加え,成長過程でそうした能力をまったく磨いていないのだから,日本人の多くが世界で通用しないのも無理はない。

 「日本人は語学力が不足していて世界ではなかなか通用しない」とよく言われているが,私はそれ以前の問題として,事実に基づく分析力と論理的思考能力,この二点に関する能力開発が不十分だと思っている。しかし,私がマッキンゼーで五百人以上の人材を教育した経験から,これらは十分トレーニングすれば開発可能な能力であると断言できる。

 こうした思いから,2005年4月3日,専門職大学院「ビジネス・ブレークスルー大学院大学(BBT大学院)」を開学した。私が学長になり,生徒を直接指導し「ビジネスにインパクトを与える人材」を育てている。この大学院の新しい点の一つはサイバー・ネットワークを駆使した遠隔教育である。学生達はいつでもどこからでも授業を受け,議論に参加し,企業に在籍したままMBAを取得できる。

ビジネススクール,三つの欠陥

 米国などに社員を留学させる制度を持っている経営者の多くは「高い金を出してMBAを取らせても頭でっかちになるだけで明日の仕事に少しも役に立たない」と言う。しかし,要は使い方,チャンスの与え方であり,またリスクをとる生き方をする人物かどうか,という個人差の問題でもある。

 とはいえ,MBAが行きづまり,社長に「役に立たない頭でっかち」と言われるのはもっともな面がある。それは,欧米のビジネススクール,それをまねた日本のビジネススクールの問題であって,三点ほど挙げられるだろう。一つはハーバードに代表されるケースメソッドが今の時代に合わなくなっている,と言う問題である。ケースとなったほとんどの企業が,クラスで討議する頃には潰れていたり,買収されていたり,不祥事で消滅,という時代になった。

 もう一つの問題はフレームワークを中心に教える点である。今日,世界のどのビジネススクールも,ポーターのバリューチェーンやバーニーのリソースベースのフレームワークを教える。私が『企業参謀』という著書で展開した“三つのC”に基づく戦略立案方法を教えているところも多い。しかし,シスコやデル,そしてグーグルとつづく破壊力のある新興企業を見ると,すべて従来の枠組みを踏み外したところからスタートしている。フレームワークの中でしか発想できない人間は現代の経営者としてまったく不適格,ということになる。

 三つ目は先生の問題である。先生とは,うまくいっている企業を外部から観察し,その共通項を見つけて,それを教室で教える商売である。自分で新しいものの見方や仕事の仕方を考える起業家とは異なる。したがって,今のビジネス社会の動きから数年遅れてしまう。これから先数年後の世界を見ながら企業の設計をしなくてはいけない事業家を養成する力はない。若い人にとってはむしろ,今現在事業を手がけている人々の生の声を聞き,刺激を受けて学んだほうがはるかにためになる。

ビジネスインパクトのある人材を作る