小林雅一の世界最新ITウォッチ 連載に当たって
筆者はニューヨークに在住していた1990年代後半から2002年まで,ITpro上で「米国最新IT事情」というコラムを執筆していました。帰国後しばらく中断しましたが,今回,対象を広げて,世界のITとそれが社会に与える影響などを分析・解説するコラムを始めたいと思います。普段は電子メールや国際電話を使いますが,時には海外まで足を運んで,米国のみならず,韓国,中国,インド,ロシア,ベトナムなど,可能な限りの国を取材し,読者の皆様にその最新事情をお伝えしたいと思います。


 インターネット上に書かれた貴方への誹謗中傷などを探し出して,消してくれるサービスが米国で生まれた。今年10月に始まった「ReputationDefender」である。同サービスは今のインターネットが抱える深刻な問題を図らずも浮き彫りにしている。

 古来,「悪事,千里を走る」と言われるが,ブログやBBS,ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などが普及した現在,それは単なる比喩を超えて,手に負えない現実と化している。自らの失言,失態,こっそり撮られた写真やビデオ,あるいは根も葉もない噂や中傷などが,瞬く間にインターネット上を駆け抜けてゆく。例えば自分の醜態を撮られたビデオをYouTubeにでも流された日には,世界中の笑いものにされてしまうだろう。実際そういう目にあってうつ状態に陥ったり,クラスメイトに合わせる顔がなくなって転校する子供が,米国には存在する。またネット上に出回った失言や悪評が原因で,就職に失敗する学生も少なくない。

 ReputationDefender(これは社名でもある。所在地は米国ケンタッキー州)のCEO,Michael Fertik氏(28歳)がこのサービスを始めたのは,そうした悲劇的な運命を辿る青少年に心を痛めたからだという。彼はその動機を次のように語る。

 「若い人達がお互いをからかったり,精神的に傷つけたりするのは,昔からよくあることだ。私が子供の頃は,教師や級友の悪口を書いた紙をこっそり回し読みしていた。しかし,その紙は最終的に教室のゴミ箱に消えて,すぐに忘れられた。ところが今は,そうした悪口がインターネット上に掲載され,放っておけば,永久に人々の目にさらされる時代だ。しかも一旦,ネット上に出回れば,それを回収・除去することは至難の業だ。というより,普通の人にはほとんど不可能だろう。そうした無力な個人を守るために,ネット上の悪評を消すための専門的な知識や技術を持ったプロが必要だと考えた。世界で初めて,そのようなサービスを開始できたことを,我々は誇りに思っている」。

 自分にとって都合の悪い情報を消して欲しい人は,まずReputationDefender社と契約を結んでクライアントとなる。半年契約なら月額16ドルで,ネット上に出回ったクライアントに関する様々な悪情報を探し出してくれる。ReputationDefenderが探索対象とするのは,MySpaceをはじめとするSNS,ニューヨークタイムズのようなニュース・サイト,YouTubeなどのビデオ投稿サイト,オンラインゲーム・サイト,さらには個人のサイトやブログなどだ。これらに掲載された文章,写真,ビデオなど,あらゆるコンテンツから,クライアントに関する悪情報を探し出して報告する。クライアントがそれを消したいときは,1回につき30ドルを払えば,ReputationDefenderのスタッフがその情報を掲載しているWebサイト所有者と交渉し,ネット上から抹消させる。ただし,どうしても消せない情報が2種類ある。それはニュース・サイトに掲載された情報(記事)と,ネット上に公開された裁判記録(court record)だという。

過去は水に流したい

 元々は子供達や若者を守るためにスタートしたサービスだが,実際に始めてみると実に様々な人達から依頼が舞い込んできたという。

 ある臨床精神科医は,彼自身が学生時代に精神科医にかかっていた事実を消すことを求めた。その当時の彼は無邪気にも,そうした経験を日記感覚でブログ上に記載していた。それを読んだ知人らが,彼らのブログに色々書いてしまい,情報がネット上に広がって収拾がつかなくなった。ところが今や,彼自身が精神科医になったので,「昔のことを自分の患者に知られるのはまずい」と考えたのだ。

 他に多いのは男女関係の問題だという。例えばクライアントが昔,誰かと交際しており,2人が一緒にいるところの写真を自分のWebサイトに掲載した。一体,どういう場面を撮影したのかは知らないが,その映像が多数の人々の関心を惹いて,ネット上に拡散してしまった。その後クライアントはその人と別れて,今は違う人と交際している。今の相手が昔の写真を見つけたりするとまずい。頼む,消してくれ,といった依頼だ。

 「我々のところに舞い込んで来る依頼にはワガママなものも多い。しかし,過去の愚かな行為が今の人生を破壊してよいはずがない。それ(過去の失態)をしたとき彼は20歳だった。しかし今,25歳になった彼は昔の彼ではない。人は成長するのだから,インターネット上に残された過去は(当人が望むなら)抹消すべきだ」(Fertik氏)

 ReputationDefenderは「半分は技術,半分は(人手による)芸術」(Fertik氏)であるという。Googleのような誰もが使う検索エンジンではなく,独自の検索ソフトを利用しているが,その技術的な仕組みは非公開だ。悪情報を探すスタッフの数は11月末時点で28名だが,「依頼が多すぎて人手が足りないので,毎日2人づつ増員している」とのこと。クライアント数は明らかにしていないが,これまでのサービスに対する彼らの反応は上々であるという。

 クライアントの半数は,何らかの情報抹消をリクエストしてくる。その場合,同社スタッフがその情報を掲載しているWebサイト所有者と交渉に入る。大抵の場合,法的には情報を抹消する義務はないが,「サイト所有者の多くは,快く抹消要求に応じてくれる」(Fertik氏)。口論など面倒なことになるよりは,あっさり消した方がいいと考えるのだろう。

 しかし,こうした要求が「言論の自由を妨げる」とする批判もある。これに対してFertik氏は「私自身がハーバード法律大学院を卒業しているように,我々のスタッフは(言論の自由を保障する)合衆国憲法・修正第一条(First Amendment)をよく理解している。我々は(クライアントの要求の中でも)修正第一条に抵触する行為は決してしない」と答える。

 Webサイト所有者との抹消交渉には,高度な交渉術が必要とされ,そこでプロとしての手腕が必要とされる。クライアントが抹消を要求してきた情報が,法的には問題のない場合,当然,その情報を掲載しているサイト所有者の方に分がある。このような場合,ReputationDefenderのスタッフは終始,紳士的な態度で相手との交渉を進め,口説き落とすまで頑張る。しかし,クライアントに関する非合法な個人情報(全くの嘘や誹謗中傷など)が掲載されていた場合は,「最初は紳士的な姿勢で臨むが,相手が応じないときは,段々と紳士的ではなくなる」(Fertik氏)。どうしても抹消要求に応じない場合は,訴訟に持ち込まざるをえないが,これまで,そうなったことはないという。

 ReputationDefenderは現在,米国以外にもカナダや英国,ロシアなど15カ国にクライアントを抱えている。その中には日本在住の人も含まれているが,日本人ではなく英・米・豪州人だという。いずれは悪情報の検索ソフトを日本語対応にして,日本人へのサービスも開始したいとしている。


小林雅一(こばやし・まさかず)
ジャーナリスト,KDDI総研・リサーチフェロー,情報セキュリティ大学院大学・客員助教授。1963年,群馬県生まれ。85年,東京大学理学部物理学科卒。87年,同大学院・理学系研究科・修士課程修了。東芝,日経BP社勤務を経て,95年に米ボストン大学でマスコミュニケーションの修士号を取得。著書は「欧米メディア・知日派の日本論」(光文社ペーパーバックス),「隠すマスコミ,騙されるマスコミ」(文春新書)など多数。