知識労働では「何を行うか(What)」が価値を決める。経営学者のピーター・ドラッカー氏は,「明日を支配するもの-21世紀のマネジメント革命」(ダイヤモンド社,1999年)で,このような主旨のことを説いています。ドラッカー氏はさらに,「いかに行うか(How)は,何を行うか(What)の後に来る問題である」とも言っています。

 なるほど,全くその通りでしょう。それが開発言語であれ,手法であれ,下手にテクノロジーを知り,その扱いに慣れてしまった知的職業人は,どうしても手元に持つ「How」に意識が行きがちです。システム開発プロジェクトを手掛けた人ならば,Howにとらわれ,Whatを軽視し,痛い思いをしたことが少なからずあるのではないでしょうか。

 話に聞くに,焦ったプロジェクト・マネジャが,「とりあえず手を動かせ」などと無用にメンバーを急がせるケースは,枚挙にいとまがないようです。そのようなプロジェクトに待ち受けているのは,多数の手戻りとプロジェクトの遅延。プロジェクト・マネジャも気の毒ですが,メンバーも同じくらい気の毒です。

 いますべきWhatは何か,考える時間が少しでもあれば,そんな崩壊は防げたはずなのに――。そう後悔した経験をお持ちの方は,少なくないでしょう。仕事の内容はシステム開発とは異なりますが,記事を執筆する私にも,そんな経験が多々あります。

「まずは座して目を閉じよ」

 私は無宗教ではありますが,数年前,たまたまある禅寺で住職の講演を聞く機会がありました。「まずは座して目を閉じよ」。その講演での一言が,妙に心に残っています。

 「私たちの本質は実は賢く,いまの瞬間何をすべきか知っている。余計な邪念や雑念,心配事が,その“賢い自分”に到達するのを邪魔している。呼吸を整え,目を閉じれば,賢い自分に触れられる」。講演はそのような主旨でした。ちょうどいくつかの失敗経験を経た後という事もあり,かなり鮮明にその内容を覚えています。

 「精神と体の関係など,一見相容れない二つのものが,実は同一で,同一のものの両面である」。著名な仏教学者の鈴木大拙(1870-1966)はこのような視点に立ち,物事を説きました。呼吸を整えて目を閉じるという身体的な動作が,精神を落ち着かせることが経験的に知られています。その講演を聞いた後,私が意識してトライし始めたのは言うまでもありません。

 私がどれだけ“賢い自分”になれたかどうかはさておき,この話をシェアした友人(ある開発ベンダーでプロジェクトのサブリーダーを担当)が,なるほどとしきりにうなずいていたことだけは,皆さんにお伝えしたいと思います。プロジェクト・マネジャもプロジェクト・メンバーも,行き詰まった時,まずは深呼吸を心がけて損はなさそうです。