今年は「行政評価10周年」である。行政評価は96年度、三重県庁で始まった。多くの自治体にすぐに普及し、やがて中央省庁と独法にも法律で義務付けられた。よくここまで普及したものだ。初期に導入を提唱した一人としてたいへん感慨深い。

■漫然と続ける弊害--行政評価は見直しの時期に

 振り返ってみれば過去10年の日本の行政改革は「財政危機」と「情報公開」を基軸としてきた。右肩上がりの経済成長が終わるとこれまでの計画行政の限界が露呈した。予算の優先順位が問われるとともに食糧費問題、カラ出張、官製談合など組織的不祥事が発覚した。そんな中、行政評価は「役所は何にどれだけお金を使っているのか」「本当に成果を出しているのか」といった国民(住民)の疑問に答える役割を果たした。

 その象徴が「説明責任(アカウンタビリティ)」と「成果(アウトカム)」の2つの概念だ。今までの役所は公務員が良かれと思うことをやってきた。いわゆる「お任せ民主主義」だった。背景には高い公務員への信頼があった。人々は役所がやることには間違いがないと信じてきた。それがバブル経済の崩壊と同時に崩壊し始めた。行政評価は情報公開と相俟って役所の正統性と成果を説明する道具に使われた。

 さらに行政評価は無駄遣いや不正を抑止する力も発揮した。例えば政治家の利益誘導に対し「国民(住民)に対し説明のつかない事業は提案できない」と抗弁する道具になった。また多くの自治体幹部が「行政評価の結果を情報公開することで懸案事業の予算を削減・廃止できた」と述懐する。行政評価は財政危機の中で官僚組織の自浄機能を顕在化させるうえで一定の役割を果たしたといえそうだ。

 だが、いかなる制度も10年も経てば綻びが出る。行政評価も例えば「もともと設定した目標が低いためチェックの用を果たさない」「毎年“適正”と報告書に記載され続け、今では現状肯定に使われる」といった弊害が各地で起きる。行政評価、特に事務事業評価は漫然と続けると逆効果だ。見直しの時期だろう。

■マニフェストと行政評価は車の両輪--トップダウンで目標設定を補正

 これからの10年はどうか。行政評価とマニフェストとの連動が不可欠だ。マニフェストは選挙の際に政党(自治体の場合は首長)が政権を取ったた暁に実行する事項を具体的に掲げる政権公約である。理念と具体的な達成目標を数値と期限と共に提示する。当選後はマニフェストが政策運営の中心基軸となる。マニフェストは行政評価を凌駕し、上位の立場から目標設定を誘導する。いわば憲法と法律の関係に相当する。

 従来の行政評価は、所詮は行政内部の自己点検だった。体系的かつ精緻だが目標設定はどうしても甘くなる。また既存の制度や予算の枠組みを踏襲しがちになる。マニフェストはそれをトップダウンで補正する。また、マニフェストのほうも行政評価という具体手法を手足に持つことで初めてその威力が発揮できる。マニフェストは選挙の際に有権者にとって分かりやすいものでなければならない。そのまま官僚組織に提示してもどの部門が何をすればよいのか分からない。マニフェストは行政評価に翻訳して初めて官僚組織にとっての達成目標となる。その意味で行政評価とマニフェストは補完関係にある。

 来年春の統一地方選挙ではおそらく、多くの首長候補者がマニフェストを作成する。その際にはぜひ、行政評価の報告書を参考にして欲しい。読んで感じるもどかしさをマニフェストにそのまま反映させて欲しい。当選後はマニフェストに沿って行政評価の目標設定を修正して欲しい。そうすることで両者はパワフルに機能を発揮する。また当選した政治家も自治体の経営者へと進化を遂げるのである。

 ちなみに、筆者も参加して首長のマニフェストの進ちょくを議論するシンポジウム「第3回ローカル・マニフェスト検証大会」が今週末(11月19日)に早稲田大学14号館で開催される。2003年の選挙で当選した知事、市区長のマニフェストの進ちょく状況を検証し、第1期マニフェスト・サイクルの最終評価のあり方を検討するというものだ。

上山氏写真

上山信一(うえやま・しんいち)

慶應義塾大学教授(大学院 政策・メディア研究科)。運輸省、マッキンゼー(共同経 営者)、ジョージタウン大学研究教授を経て現職。専門は行政経営。行政経営フォーラム代表。『だから、改革は成功する』『新・行財政構造改革工程表』ほか編著書多数。