「通信・放送の在り方に関する懇談会」(竹中懇談会)の狙いは,ネットワークの「IP化」をキーワードに通信と放送のインフラを融合させ,そのインフラの上で自由闊達(かったつ)なコンテンツ競争を花開かそうというもの。そのために,通信・放送分野の9本の縦割りの法律をレイヤー型の横割りの法体系へ見直すことや,通信業界と放送業界で最も影響力を持つプレイヤーであるNTTグループとNHKの改革に着手したわけだ。

IT戦略本部のレポートにシナリオが隠されていた

  図1 IT戦略本部が2001年12月6日に公開した「IT分野の規制改革の方向性」では,縦割りの通信・放送事業を横割りの情報通信産業へと変革する必要性が訴えられている
(クリックすると画面を拡大)
  図 IT戦略本部が2001年12月6日に公開した「IT分野の規制改革の方向性」では,縦割りの通信・放送事業を横割りの情報通信産業へと変革する必要性が訴えられている

 その竹中懇談会のシナリオは5年前の2001年12月6日に内閣府が公開した「IT分野の規制改革の方向性」に隠されていた。IT戦略本部の配下に組織された「IT関連規制改革専門調査会」がまとめた報告書である。IT関連規制改革専門調査会の構成員には,オリックスの宮内義彦会長,インターネットイニシアティブの鈴木幸一社長や慶応義塾大学の村井純教授,ソニーの出井伸行会長(当時)などそうそうたるメンバーが名を連ねた。この調査会の報告書は,座長を務めた宮内氏の名を取って「宮内レポート」とも呼ばれる。

 宮内レポートは,「通信,放送の制度を事業ごとの縦割り体系から,機能ごとの横割り体系に転換して,競争の促進と通信・放送の融合の促進を図るべき」という文言から始まる。通信と放送に縦割りされた二つの事業分野を,通信・放送インフラとその上に乗るコンテンツ・サービスの横割りの構造に変革し,情報通信事業として成長させるというシナリオを描いたのである(図1)。

 さらに,通信と放送の伝送路を融合させた「情報通信インフラ」に対して,(1)公正競争の促進,(2)光ファイバ網の構築,(3)電波の効率的利用を提言した。特に(1)では,「NTTのあり方について早急に議論を深めるべき」と提起している。(3)では「帯域免許」の導入に言及。現在の電波利用は,用途ごとに特定の周波数帯を割り当てるのが通例で,同一の周波数帯域を複数の用途で使うことはできない。これを用途ではなく,事業者に対して特定の周波数を割り当て,複数の用途に使うことを認めようというのが帯域免許である。

 情報通信インフラの上で展開されるコンテンツやサービス,プラットフォームに関する提言としては,著作権などの権利情報の整備やNHKのインターネット進出などを挙げた。

 縦割りの通信・放送業界を,横割りの構造へ変革するという基本コンセプトをはじめ,それぞれのレイヤーに対する提言は,竹中懇談会の報告書と共通する部分が大きい。竹中懇談会が打ち出した,NTTのあり方の見直しや,帯域免許の考え方,NHKのインターネット進出の容認などは宮内レポートにその姿を見せていた。

IT戦略会議の仕掛け人も竹中氏

 竹中氏の情報通信へのかかわりは,2000年にまでさかのぼる。竹中氏はIT戦略本部の前身に当たる「IT戦略会議」の設置にも関与していたのだ。本誌のインタビューに対して竹中氏は「2000年に慶応大学の村井教授と共に,当時の森喜朗総理にIT戦略会議の設置を進言した」と打ち明けた。「当時から通信分野は技術環境の変化に社会がついていってない,著作権の扱いも遅れていると認識していた」(竹中氏)のがその動機だ。2001年に小泉内閣が発足し,IT戦略本部が設立された後は,内閣府のIT分野の特命担当大臣として議論に参加。宮内レポートの公開は,その時だった。

 竹中懇談会の開始当初から,その論点を見て「宮内レポートの再来ではないか」という声が業界内には存在した。事実,竹中氏に近い関係者は「(宮内レポート)が竹中懇談会の議論の原型になった」と認めている。

 だが宮内レポートが公開された当時は,放送業界などの猛烈な反対により,その内容が政策に反映されることはなかった。竹中懇談会の報告書が,政府・与党合意や骨太方針に盛り込まれたのとは大きな違いだ。

 この差はブロードバンド環境が,2001年当時と現在では全く異なることが原因だ。2001年といえば,下り最大1.5Mビット/秒のADSLサービスが立ち上がったばかり。2001年後半になって,最大8Mビット/秒のサービスが出始めた。常時接続のブロードバンドが,ようやく普及期を迎えようというところだったのである。最大100Mビット/秒のFTTHサービスが当たり前のように使われ,ブロードバンドで映像を見ることが珍しくなくなった現在とは,かけ離れた環境にあったのだ。

 ある総務省の幹部は「2001年当時でも『いずれはブロードバンドで映像を見る世界がやってくる』と語られてはいた。だが誰も実感がなかった」と振り返る。ネットワークが電話網からIP網へと移行し,各世帯へブロードバンド回線が張り巡らされた現在だからこそ,「通信と放送の融合」議論がリアリティを持って展開できるようになったわけだ。竹中氏が呈した「なぜインターネットで放送番組が見られないのか」という疑問を,直感的に理解できるようになったのも,ブロードバンドの普及のたまものなのである。

 竹中氏がIT戦略本部で描いたシナリオは,5年の抱卵期間を経て,竹中懇談会で改めて議論された。基本コンセプトはそのままに,情報通信インフラやコンテンツ・レイヤーに対する提言は,ブロードバンドの進展をかんがみ,大幅に深堀りした。そして今回は,宮内レポートがお蔵入りになった教訓から竹中氏自らが政策への反映のレールを敷いたのである。