「人と動物の共生」がしばしば話題になる。希少動物の保護が目的だ。典型が鯨の捕獲制限やコウノトリの人工孵化だ。欧米で野生動物保護の概念が生まれたのはわずか100年ほど前のことだ。大きな転機だったが、今再び、行政は(いやヒトは)転機を迎えている。死ぬはずの動物を人為的に生かすことで、人の生活と生態系を狂わせつつある。今回は人と動物の命のかかわりについて考えてみたい。

■クローン猫を愛せるか--あるベンチャー企業の廃業

 まずは心温まる話から。知人が愛想の悪い猫を飼っていた。老衰で寝たきりになり、懸命に世話したが獣医からあと数日の命と宣告された。翌日、不思議なことが起きる。何気なく猫を見る。すると猫が力をふり絞って立ちあがった。知人の眼をじっと見入る。いよいよお別れだと猫はお礼を言っている……。涙があふれ出る。それを見て猫は再び倒れた。数時間後、猫は息を引き取ったそうだ。

 さて今般、米国で富裕層向けにクローン・ペットを作るベンチャー企業ジェネティック・セービングズ・アンド・クローン社が廃業した。クローン羊のドーリーと同じ技術を使えば愛犬や愛猫が再生産できる。お気に入りの色・体型・鳴き声の犬猫を何代にもわたって飼える。だが失敗や奇形が多く廃業した。筆者はこれは、技術の良しあし以前に文字通り不自然なビジネスだと思う。携帯電話やPCのデータは新型に移せる。クローン猫ではDNAが「新型猫」に移せる。だがクローンは世の中の基本原則を壊す。人はやがて死ぬから恋をし、子供を作り、冒険をする。ペットと人の関係も同じだ。いずれお別れだ。だから本当の意味で愛せる。クローン・ペットができると病気のペットは殺して「新型」に買い換える輩も出てくる。「ペット・ロス」に悩む人は多い。だがクローンを愛し続けてはいけない。クローンは原水爆同様、使ってはいけない技術だ。

■鹿の食害--保護一辺倒の行政を転換すべき時期

 クローンでは死ぬべき個体を無理やり残すが、生態系レベルでもヒトは同じような誤ちをおかしつつある。鹿などの食害だ。まずは筆者の体験談から。

 「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき」(古今集)。先週後半の3日間、栃木・奥日光の山奥にいた。あちこちで野生の鹿に出あう。発情期の雄特有の「おひょーん」という鳴き声も聞く。さて、この鹿が現地では大変な問題になっていた。奥日光ほか各地(例えば支笏湖や大台ケ原など)で野生鹿が増えた。おかげで草木が育たない。奥日光で鹿の食害の現場を見たがひどい。山の木の下が透けて見える。成木しか生えず、下草や木の芽がない。鹿が食いつくしてしまった。鹿は木の皮も食べる。食べられた面積に比例した分だけ葉も落ちる。カッコウや鶯もいなくなった。下草に巣がかけられないからだ。尾根の下草がなくなると風で落ち葉が飛ばされ積もらない。腐葉土がなくなり、尾根の木が減り、斜面崩落も始まる。

 今回、奥日光に足を運んだのはこうした鹿の食害に関する調査のためだ。野生鹿が増えた原因は鳥獣保護行政の行き過ぎとハンター不足、そして地球温暖化(弱い個体が越冬してしまう)らしい。対策は適正数までの駆除狩猟と防護柵作りだ。だが「殺すと可愛そう」というナイーブな世論がそれを阻む。確かに鹿の親子は微笑ましい。2歳までは親と行動する。今回の調査でも小鹿がぴょんぴょん跳ねる姿をたくさん見た。しかし古来、鹿は害獣とされてきた。保護一辺倒の行政を転換すべき時期だ。さもなければ生態系は破壊され、鹿も結局、死んでしまうだろう。

上山氏写真

上山信一(うえやま・しんいち)

慶應義塾大学教授(大学院 政策・メディア研究科)。運輸省、マッキンゼー(共同経 営者)、ジョージタウン大学研究教授を経て現職。専門は行政経営。行政経営フォーラム代表。『だから、改革は成功する』『新・行財政構造改革工程表』ほか編著書多数。