コンピュータ産業史の中で最大の事件となった、米IBMと富士通の知的財産権紛争に、日経コンピュータはどう切り込んだか。二代目編集長として報道の陣頭指揮をとった松崎稔氏が、緊迫した舞台裏の状況を明かす特別寄稿の第2回。取材を続けていた日経コンピュータ編集部は86年春、IBMと富士通、日立製作所が結んだ「秘密契約書」のコピーを入手する。それは驚くべき内容であった。

 1985年は、日本において著作権法が改正された年である。コンピュータ・ソフトの法的権利保護のあり方をめぐり、新たな「プログラム権法」を立法すべきとする当時の通産省と、世界の流れに沿った著作権法の改正で対応しようとする文化庁間の対立に象徴されるように、80年代前半、法曹界・業界利害関係者の間で激しい議論と紆余曲折はあったが、最終的には急遽「改正著作権法」に収束した。日経コンピュータは84年2月6日号において、「互換ソフトの法的扱いで文化庁(著作権法)、通産省(プログラム権法)実質的に方向一致」と報道している。

「秘密契約とその後の紛争の実態を公開すべき」が編集部のスタンス

 そうした中、OS・ソフトの知的財産権は具体的にどのような範囲・形を取り、どの程度の対価に値するものなのか、コンピュータ分野の健全な発展という視点からも、IBM・富士通・日立の秘密契約(合意)とその後の紛争は広く関係者の関心・注目を集めていた。一般的に著作権法は、知的財産をアイデアと表現に切り分け、前者を公的共有財産部分とし、後者を知的財産権(著作権)として法的権利保護を行うものである。

 しかし実際のOS・ソフトにおいてどこまでがアイデアでどこまでが表現かは、具体的な事例を通してしか深められない。このような状況下、83年時点でIBMと富士通、日立はOS・ソフトの知的財産権に関して具体的にどのような形で合意(秘密契約)できたのか、またその後の紛争はどの点が問題になっているのか、当事者は公開すべきだし、これを報道し、社会的合意へつなげていくのが本誌の務めである。これが前回述べたように、筆者が日経コンピュータ編集長に就任した85年10月における編集部のスタンスであった。

 公表を前提にしない2社間の秘密協定という形は、他の局面で抱える2社の利害得失に影響されがちであり、OS・ソフトの知的財産権のありようの本質に迫ること、ソフトの法的権利保護議論の質を高めることが難しくなる。3社はコンピュータ業界の雄でもあり、OS・ソフトの知的財産権のありようはこの業界の健全な発展に大きな影響を与えるだけに、公表に耐えられる合意内容、広く業界のコンセンサスが得られる紛争解決内容にもっていって欲しいし、もっていくべきだとの考えからだ。

 85年末にかけ、日経コンピュータ編集部は上記スタンスに立ってIBMと富士通、日立の秘密契約ならびにIBM・富士通紛争の確定的で具体的な全体像解明に向けて精力的な情報収集と取材を行うとともに、当事者に情報公開を求めた。しかし秘密契約、非公開調停という厚い壁に阻まれ、目立った進展、情報は得られなかった。ただ、秘密契約に結び付けて捉えることはできなかったが、EI(外部仕様情報)の概要とIBMがそれに対しても対価を求めていることは明らかにした。それが、86年1月20日号に掲載した「米IBMが富士通、日立に「外部情報」使用で要求」という記事である。

86年春、IBMと富士通、日立の秘密契約書のコピーを入手

 秘密契約、非公開調停である以上、具体的な全体像に迫ることは無理なのかと思いかけた86年春のある日、デスク(副編集長)の一人が「こういう秘密扱いの資料を手に入れたがどう扱いますか」と、かなりの枚数からなるマル秘マーク付きのコピーを持ってきた。著作権侵害の有無は別にして対価を払うことで免責される富士通と日立の「指定プログラム」を列挙した和解契約書、ならびに、IBM、富士通、日立のEI(外部仕様情報)に対して何らかの対価を互いに払うべきだとするEI契約書、そしてこのEIの定義・対象(範囲)・対価を払うべき法的根拠などに対するIBM、富士通、日立の担当者の緊迫した交渉・議論(議事録)のコピーであった。

 これを読んだ私は、その内容に驚愕した。交渉・議論に登場している富士通と日立の担当者は、私が日経エレクトロニクス記者時代、日経データプロ編集長時代に何度も取材させてもらった人だったのだ。彼らの見識・技術知識の深さは承知しており、なぜこのコピーが手元にあるのかはともかく、この資料が偽物でないことは確信した。同時に、IBMと富士通、日立間の紛争の全体的骨格が「83年にIBMと富士通、日立の間で和解契約書とEI契約書からなる秘密契約(合意)が結ばれたが、EI契約書の具体化段階で解釈が異なりIBMと富士通、日立の間で紛争・交渉が始まった。加えて富士通の場合、IBMは和解契約書違反も指摘し、AAA(米国仲裁協会)へ舞台を移した紛争となった」であると明確に把握した。

 ただこれだけ注目されている秘密契約のコピーが手元にあること自体が尋常でないため、デスクなど編集部の数人に絞ってこのコピーを見せ、取り扱いについて議論した。情報提供者の保護に加え、緊迫した交渉過程の最中にあることを顧慮し、本物であることはほぼ疑いないが、このコピーを直接使用した情報掲載は当分見合わせる、コピーは編集部で厳格に管理し、コピーの存在も口外しない、しかし取材により、このコピーを直接使わない形でIBMと富士通、日立間の争点・紛争の具体的・全体像を明らかにする記事を早期に掲載すると決めた。

※この特別寄稿は書き下ろしの連載です。第3回は10月17日に公開します。

(松崎稔=日経BPソフトプレス社長)

第1回・編集長に就任直後、「秘密契約」問題に遭遇