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Enterprise温故知新

【25周年記念特別寄稿】
初めて明かす、「IBM・富士通紛争」と徹底報道の舞台裏

第1回・編集長に就任直後、「秘密契約」問題に遭遇

2006/10/13 日経コンピュータ
日経コンピュータ1985年10月28日号
日経コンピュータ1985年10月28日号

過去25年間、コンピュータ産業を巡る様々な事件を報道してきた日経コンピュータが、もっとも力を入れて報道したのは、米IBMと富士通の間で起きた知的財産権を巡る紛争であった。IBMと富士通がメインフレームの基本ソフト(OS)に関して秘密裏に協定を結んだが、富士通に協定違反があったとしてIBMが仲裁を申し立てた。世界最大手と日本最大手のコンピュータ・メーカー同士がソフトの知的財産権をめぐって激突したのである。両社の戦いは、今日に至るまでコンピュータ産業史最大の事件となっている。この事件について日経コンピュータは質量ともに、他紙・他誌を圧倒する報道を続けた。二代目編集長として報道の陣頭指揮をとった松崎稔氏に、IBM・富士通紛争とその徹底報道の舞台裏について寄稿してもらった(全6回)。

 今から21年前の1985年10月1日、私は日経データプロ編集長から日経コンピュータ編集長に異動した。40歳のときである。就任直後にデスクから「富士通・IBM「著作権」紛争――対抗OS開発過程で富士通がXAにアクセス」と題された原稿を受け取った。「米IBMが米国仲裁協会(AAA)に仲裁を申し立てたのは、83年にIBM・富士通で合意したソフトに関する協定(秘密契約)に富士通が違反した証拠をIBMが握ったからだとみられる」という主旨の原稿である。

 日経データプロで5年間、当事者(コンピュータメーカー)が公開した、あるいは当事者に事実確認した製品・技術情報を中心に編集してきた私は、一瞬とまどった。秘密協定の内容を雑誌に掲載(公表)するとはどういうことなのか、本来的に当事者に確認できない情報(秘密契約)をどう取材し取り扱うべきなのか、改めて雑誌編集・報道のあり方を真剣に考える必要があると感じたからだ。当時の当社雑誌編集の基本は、「専門分野の専門家に向け新鮮な情報を提供することで経済・産業の健全な発展に貢献する」であった。要はこの基本を揺るがさないことである。信憑性を確認した上で上記原稿を85年10月28日号に掲載した。

日立が基本ソフトを回収、関係者に大きな衝撃

 当時、日経コンピュータの業界キーパーソンへの食い込みと、取材力はかなりのものであった。82年6月22日に起きたIBM・日立産業スパイ事件の報道(82年7月12日号「特集●IBM機密情報事件」)など、創刊以来の取材・報道活動によって培われてきたものである。83年10月末に日立が出したOS(オペレーティング・システム)回収の通達は業界に大きな衝撃をもたらしたが、それについてもいち早く報道している(83年11月14日号「日立がIBM互換OS:VOS3/SPを回収」)。しかしながらなぜ回収するにいたったのか、なぜ回収しなければならないのか、日立とIBMとの間で何が起こっているのか、その具体的全体像は示しえていない。

 83年初め頃から業界の一部で、IBMと富士通、日立との間で何らかの問題が起きているとの噂はあった。互換ハードウエア開発に関する問題は83年10月6日の和解合意書(83年12月12日号「特別調査●IBM産業スパイ事件:IBM-日立和解合意書全訳」)で一応の決着を得ていることから、互換OS・ソフト開発に関する著作権などに絡んだ問題だろうとの認識はあった。しかし、83年11月28日号に、「日立がユーザーからOSを回収、IBMとの直接契約も依頼―広がる日立ユーザーの衝撃」という記事を掲載、その中で次のように報道しえたのが精一杯であった。

 日立の内情に詳しい筋は、「IBMから1985年3月までに、疑わしきソフト(PPの5%、約20~25種)は著作権に抵触しないように書き直すよう期限を切られている。それまで正規のIBMソフト価格を支払い続ける。日立は急ピッチで書き換え、支払い金額を減らす必要に迫られている。書き直し作業は昨年夏から開始された。VOS3/SPの見通しがついたので交換をユーザーに申し出たのだ」という。

「今、何が起こっているのか」、全体像を求める声が急速に広まる

 これを境に日立、富士通ユーザーに不安が広まるとともに、IBMと富士通、日立の間で何が起こっているのか、その具体的全体像を求める声が業界全体で急速に広まった。しかし84年が終わり、85年になっても、当事者(IBM、富士通、日立)からは一切の説明はなく、取材の壁は非常に厚く高かった。本誌の報道も断片的なものにとどまらざるを得なかった。例えば、84年11月12日号には、「IBMが日立、富士通にソフト検査の代理人を派遣」という記事が掲載されている。

 ただこの頃になると編集部は、確定的には報道できないが、IBM のOSについての知的財産権をどこまでどの程度認めるかの秘密契約(合意)が83年にIBMと富士通、日立との間で結ばれており、その後それに関連して何らかの問題が起きているとの確信を得る状態にはなっていた。

 そして本誌はメディアとして初めて、85年7月22日号に「富士通、日立の汎用機輸出戦略に影――IBMとの秘密契約が明るみに」と題した記事で秘密契約の大筋を、また本稿の冒頭で紹介した85年10月28日号の記事で、富士通による秘密契約違反を理由にIBM-富士通間で紛争が起きていることを報道した。

 ここまでが私が編集長に就任する以前の、日経コンピュータ編集部とIBM・富士通紛争の係わりと経緯である。また、冒頭記事の掲載を決めるとともに、確定的・具体的でなくても、まずわかっている範囲で全体像を至急まとめるように指示した背景でもあった。至急まとめてもらった全体像の記事が、85年11月11日号に掲載した「IBM・富士通の秘密契約:開発体制化から手足しばる、互換ソフト開発に大きな影響必死」という記事である。

 しかし、ことの全貌を突き止めるまでに、相当の取材と時間が必要だった

(松崎稔=日経BPソフトプレス社長)

※この特別寄稿は書き下ろしの連載です。第2回は10月16日に公開します。

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