ここ数回,ダメシステムの甦生に関わる人々を取り上げている。今回はその一環として,情報システム部門(以下,情シス)の人々を取り上げる。

 筆者はその昔,当時の勤務先でライン部門である製造課から情シスへの配置転換を命ぜられたことがある。そのときの筆者は,情シスの改革という使命感に燃えて赴任したことを覚えている。何故なら,日頃ライン部門から情シスを見ていて,その長所よりも短所の方が目につき,「情シスは変わるべきである。なぜ変わろうとしないのか」と考えていたからである。

 情シスの中に入ってみると,外から見たとおりの部分と,新たに発見して認識を改めた部分の両方があった。その後,中堅企業でCIO(最高情報責任者)を務めたときの経験も含めて,以下,情シスの短所・長所,あるべき姿を体験的に整理してみよう。それが,実はシステムのレイムダック化(弱体化)とその甦生に情シスがどのように関与するかに関連してくる。

自らを縁の下の力持ちに位置付ける

 情シスは閉じられた世界で,というよりは自らを閉ざして,マイペースで業務を遂行していた。彼らは若干コンピュータ・オタク的なところがあり,自分たちを「縁の下の力持ちで,表面に出てはいけない黒衣的存在」と位置付けていた。ユーザー部門を,コンピュータのことも知らなければ考え方も戦略性に欠けるとして,時にさげすむ。自信家であり,自尊心が高く,自意識過剰なところがある。これらの点は,外から見た印象と大差はない。

 例えば,「もっとユーザーと接触しろ」「経営者や幹部と渡り合え」と指導しても,「黒衣」だからと言って1歩も2歩も引く。それは自尊心とあいまって,あるところでユーザーからの意見に見切りをつけたり,自分の主張を優先したりすることに結び付く。

 あるいは,企業業績に直結するライン部門で日々刻々と修羅場が展開しているのに比べると,情シスはスタッフ部門だから当然と言えば当然のことだが,別世界の中,マイペースで業務を行っている。ライン部門からの切実なデータ加工要求やシステム変更要求は,多くの場合,情シスから見ると目先の短絡的要求であり,全社的・将来的視野から安易に受け入れることはできないとして,容易には応じない。

 ユーザーの立場で現実的に考えることを潔しとしない。それはある意味では正しく,ある意味では問題がある。いずれにしろ,それがライン部門の情シスに対する不満として蓄積されて行く。

 そういう閉鎖社会・マイペース・自意識過剰などの雰囲気が,社内で情シスを特別視することに拍車をかける。他部門からは「情シスの人材は視野が狭くつぶしがきかないので,他分野では使い物にならない」と見られ,彼らの将来性を狭くする。実際,ある調査では,システム部門自身の課題として,広い意味での「キャリアパスの未整備」が上位にランクされ,ユーザー部門と情シスとの「定期的人事交流」が極端に少ないという結果が出ている(日経コンピュータ2005年1月24日号「本邦初!システム部門/部長実態調査」より)。

トラブル発生時の橋渡し役から逃避することも

 こうした情シスの「閉鎖社会・マイペース・自意識過剰」は,良い面にも悪い面にも働くが,どちらかというと悪い方に働きやすく,往々にして諸悪の根源になる。もちろん,情シスには長所もある。それは次回後述するので,あなたがもし,情シスに所属する当該者なら少し我慢をしてもらいたい。もうしばらく情シスの意識が悪く働く方に焦点を当ててみよう。それが,システムのレイムダック化に関わりを持つからである。

 閉鎖社会・マイペースからは,チャレンジ精神はなかなか出てこない。仮に出てきても,的外れになる場合が少なくない。ライン部門では,全ての行動が業績確保・向上に直結し,行動の選択はできない。しかし,スタッフ部門である情シスの行動には選択の自由がある。そのため,しばしば企業方針からは的外れとなることがある。

 さらにシステム開発では,ベンダーに依頼する場合と,情シスが自力で開発する場合とある。いずれの場合も,情シスはベンダーとユーザー,ベンダーと経営者,経営者とユーザーの間に立ち,それぞれの橋渡し(通訳)をするのが任務だが,その任務を放棄する場合がある。

 例えば,アウトソーシングなどにより情シスが戦略部門化している場合は,ベンダーやユーザーの通訳が出来ない。逆に情シスがインフラ整備・システム運用など実務部隊化している場合は,ベンダーやユーザーから経営者への通訳が出来ない。さらに,そういう組織・機能上の問題ならまだしも,通訳する力を持ちながらその役から降りてしまう場合もある。利害関係者間で意見が対立したり,トラブルが発生して深刻化したりした場面でこそ通訳を買って出なければならないのに,それを自分たちの任務と認識しない,あるいはそこから逃避するのである。

 その背景には,情シスの「システムを完成すると終わり」という意識がある。彼らは「システムが完成したら,後はユーザーがうまく使いなさい,うまく使えないのはユーザーが悪い」という認識を持ちやすい。ここに,システムがレイムダック化する原因のひとつと,システム甦生のヒントのひとつが隠されている。

 ちなみにシステムの有効運用に関する情シスの役割について,情シスとユーザー部門との間で大きな認識の差があることを示した調査がある(財団法人 日本情報処理開発協会編「情報化白書2004」より)。調査では,「IT部門がビジネス知識を取得し,ユーザーのわかる言葉でコミュニケーションをとっている」「IT部門は,開発保守費用の削減以上に,効果の向上やシステムの実現内容の経営戦略への整合性に関心をもち,実現に向けて努力している」「IT部門は,ITの視点から業務プロセスの改革を全社に提案し,企画推進している」といった項目について,ユーザー部門の評点がIT部門自身の評点をかなり下回っていた。情シスがユーザーの期待に応えていないことが,調査結果に明確に表われていた。

 さて,これらの情シスの短所が,長所とどのように絡んでシステムのレイムダック化とその甦生に関わるのか。次回検討してみよう。


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■増岡 直二郎 (ますおか なおじろう)

【略歴】
小樽商科大学卒業後,日立製作所・八木アンテナなどの幹部を歴任。事業企画から製造,情報システム,営業など幅広く経験。現在は,nao IT研究所代表として経営指導・執筆・大学非常勤講師・講演などで活躍中。

【主な著書】
『IT導入は企業を危うくする』,『迫りくる受難時代を勝ち抜くSEの条件』(いずれも洋泉社)

【連絡先】
nao-it@keh.biglobe.ne.jp