西室 泰三氏 東京証券取引所代表取締役社長

 21世紀に入り、どのような変化が続いているか。この潮流は、20世紀の終わり頃から明らかだが、1つはグローバル化。デジタルネットワーク化。そしてもう1つが多様化・地域化。これら3つの要素がそれぞれ顕著になり、しかもお互いに影響し合っている。

 東芝と東京証券取引所とは違うところが多い。違うところは多いが、東芝時代からずっと感じ、しかも経験してきたグローバル化、あるいは多様化、地域化、デジタルネットワーク化という流れは東証にも押し寄せてきている。そして、その結果の1つが東証システムのトラブルとして現れた。

 ネットワーク革命によって、従来の時間・距離・形などを超えたコミュニケーションの手段が発達し、株式の取引量というのは飛躍的に増大し得る。増大し得ると予想し得たにもかかわらず、東証では、それに対する対応ができていなかった。つまり、社会環境の変化を俊敏に察知することができなかった。

東証は世界で初めて株の売買システムを稼働

 実は東証は、1982年に世界に先駆けて株式の売買のシステム化に踏み切った。コンピュータを導入し、世界にそのトレンドを広め、無人化ができることを実証した世界で最初の証券取引所である。しかし、その後の変化は極めて遅々たるものであった。人力からコンピュータ化への全面的移行に99年までかかった。

写真●東京証券取引所とIT化されたその内部

 底抜けの楽観主義というのは当然ながら危険であるが、悲観主義では決して経営はできない。経営には将来への楽観、将来への希望を持ち、そして物事を直視していくという姿勢が必要だ。

 リーダーは常に前向きでなければいけない。その上で、常に複数の視点、視座を持つべきである。物事をさまざまな視点から見つめることは、冷静な分析、経営判断には欠かせない。では、どのような眼で物事を見つめるべきか。

 細部に目を行き届かせ、目の前のことを筋道立てて考える「虫の眼」の視点。大きく広く、一歩引いたところで俯観する「鳥の眼」の視点。潮の流れをしっかりと見定め、自分の置かれた環境がどのように変化しているかを常に把握する「魚の眼」の視点。経営を行う中では、予期せぬことに敏感に反応する動物的な勘も必要で、しかも動物のごとくアグレッシブであれという「動物の眼」。いろいろな方がそれぞれの視点を持っている。

 いずれも大事な視点だが、いちばん大事なのは「人間の眼」そのものであると思う。経営に携わる以上、人の尊厳、人間社会への理解、思いやりの心。そのようなものを内包していなければいけない。


お互いの違いを認識しその差を埋める努力をする

 東芝で海外駐在を経験して分かったのは、やはり世の中には違いというものがあり、違いがあって当たり前だということ。お互いの違いを認識し、どのような差があって、その差を克服するのにはどのようにすればいいのか。そして、その差を埋める努力をすれば何らかの成果があるということである。

 東芝の社長に就任した時には、半導体から原子力プラントまでさまざまな事業領域を持つ組織間の壁を乗り越え、いかにシナジーを高めるかが最大の課題であった。就任の時に第1に、「東芝を俊敏な会社にしたい」と言った。不連続に、突然変化する国内外の社会環境に対応するには、大規模な階層組織で意思決定を積み重ねていく従来のやり方では、スピードが遅く対応できない。求められるのは俊敏性。しかし、ただ単にスピードを速くすればいいのではなく、物事について、それぞれの事業について真剣に考える。真剣に考えれば未来が見えてくる。

 第2に、「バウンダリーレスな思考と行動」を掲げた。オープンな企業文化、組織のフラット化を推進し、社内全体に自由に物の言える雰囲気が必要だと考えた。そして、自分の仕事のことだけを考えるのではなく、社内の「全体最適」を考える必要がある。そうしないと、全体の力は結集できない。

 第3に、大事にしてほしいと言ったのは、「ヒューマニティーの尊重」である。仕事は結局、人間同士が行う。お互いの立場、それぞれを尊重した仕事の進め方、あるいは人間への愛情、個人の存在を認めるというヒューマニティーというものが基本になければいけないと訴えた。

 この東芝での経験は、今回、東証の社長に就任してからも生かされている。

危機意識を共有しないと何事も始まらない

 世界では、急速に株の取引量が増えている。そして、株式市場そのものがブームにわきたち始めている。東証では、システムの増強計画を持ちながらも、その増強計画のスピードが世の中に合っていなかった。

 東証の社長になって考えたことは、変革をするためのまず第一歩は、緊急な課題であるという認識を徹底すること。つまり、危機感を皆が共有すること。危機意識を共有しないと何事も始まらない。

 東証が直面する緊急な課題は、安定した市場運営の基盤を確立するということであり、かつまた頑健で迅速で、しかも柔軟性のある、競争力のあるシステムを構築しなければいけないということであった。これを全社員に訴えた。社員は理解してくれた。

 今年の4月に、社内の組織を全面的に改組した。強力な推進チームを編成し、システム部門を全部現業から離し、システムだけのシステム本部を構成した。システムを調達する担当者が統一的な手順や手法に従い、自ら業務としてシステムの在り方をコントロールしなければ、競争力の高いシステム構築というのはできるはずがない。

 この変革はまだ始まったばかりで、こうしたいわばエンタープライズアーキテクチャともいえる、全体を俯瞰したシステム構築というものが完成しない限り、東証の改革というものは終わったとは言えないであろう。そして、変わる、あるいは変革を考える場合には、成功事例を後追いするのではなく、自分自身が新しい教科書を作っていこうという、その意欲こそが大切だ。

 今、東証では、次世代システムの構築を始めようと世界に宣言し、2年後にその完成を目指している。さらに、それから先も、継続的なエンハンスメントを行い、世界の中で競争力を確保できるシステムを常に維持していく体制作りを進めていく。

 日本経済の将来の一翼は、東京証券取引所が担うのだということで、決意を新たにしている。