荒蒔 康一郎氏 キリンビール代表取締役会長

 2004年現在、日本の酒類の総需要は870万キロリットルで、市場規模は推定6兆5000億円に達している。だが、過去10年をみると酒類市場は数量ベースで横ばい、金額で縮小と、典型的な成熟市場となっている。05年のデータでは、日本の3大国民酒はビール・発泡酒、焼酎、清酒で、これらが全体の3分の2を占めている。カテゴリー別需要動向では、焼酎・チューハイが増加、ビール・発泡酒は微減、ウイスキー・清酒は減少傾向にあり、特に缶チューハイの伸びが目覚しく新たな市場として浮上してきている。

 過去40年間では、70年代前半に清酒、80年代前半にウイスキー、90年代前半にビールが、それぞれピークを迎えており、10年ごとの主役交代が起きている。また、若い人を中心に飲酒の仕方が多様化しており、ここ数年は、20代男性における酒離れが顕著で、女性も20代、30代で消費量が減少した。ビール会社としてはビールだけでは成長が見込めない。広い範囲でお客様と接点を持っていく必要があると考えている。

メーカーオリエンテッドの発想で失った首位の座

 キリンビールは来年創立100年を迎えるが、01年に私が社長に就任して以来5年間というものは、まさにいろいろな意味で試練の時だった。主力商品であるビールの過去50年の業界シェアをみると、55年頃はキリン、サッポロ、アサヒの3社が市場をほぼ三等分していた。その後、キリンは順調にシェアを伸ばし、70年前半から80年の前半にかけて、何と14年間もシェア60%を超えるという、今思えば夢のような時期が続いた。

図●ビール4社のシェア推移
図●ビール4社のシェア推移

 ところが、87年にアサヒビールが「スーパードライ」を投入し、私が社長に就任した01年には、ビール・発泡酒を合わせた市場でアサヒがついに首位に踊り出た。キリンは48年ぶりに首位の座を明け渡すに至ったのだ。これは、OBをはじめシェア60%の頃を知っている多くの人たちには非常に衝撃的な話だった。だが、87年以降の入社組は覚悟していた感じで、営業の最前線なども絶対負けだということは分かっていた。私自身も大変な時期に会社の舵取り役を引き受けたという思いで、何とか皆のやる気を出させ、会社を上向きにしたいと腐心していた。

 当然、シェアを奪回すべく次々と新商品を開発・投入し、宣伝、キャンペーンも打ったが、シェア増につながらない。このことを通して私が考えたのは、当社が次々と打ち出す戦略は、メーカーオリエンテッドの発想、ライバル会社に対する対抗策に過ぎず、日産のゴーン氏が言う「コンペティター・ドリブン」に陥っていたことだった。それを繰り返せば繰り返すほどお客様には「輝きのない会社」という失望感が強まった。アサヒとの戦いに負けたのは事実だが、それは商品対商品の争いだけではない。お客様の方を向いていず、過去長い間の好環境に甘んじてヒタヒタと後退していったのだ。

「新キリン宣言」で意識改革をアピール

 その反省を踏まえ01年11月、会社全体がお客様をより認識し、お客様が期待している会社になろうを強くアピールした「新キリン宣言」を発表するに至った。

 「新キリン宣言」では、このような結果になったのは経営者も悪いということを明言し“お客様との距離を縮める”ことの重要性を訴えた。具体的には、(1)キリンの優れた技術に立ち、お客様からみて良い響きのある商品を提供する(2)「品質本位」「お客様本位」の2本柱を原点として、市場の変化を見据え、多様化する好みに対してお客様と広い面で接していく、ことだった。いったん数字は失っても、お客様に喜んでいただくことを第一に優先し“価値提案型の営業戦略”を示した。また、従来は部門ごとにバラバラだったベクトルの方向を定めた。

 商品としても、98年発売の発泡酒「淡麗」に始まり、01年に「氷結」を投入。それ以後も、健康志向の「淡麗グリーンラベル」やチルドビールカテゴリーを創造した「樽生」、ノンアルコールビール「モルトスカッシュ」、新ジャンル「のどごし生」、コクのある発泡酒「円熟」と、次々に新たなカテゴリーを開拓し、多様化と変化を追求した。

消費者ニーズに応えたヒット商品を続々投入

 搾りたての果実をそのまま凍結する「氷結」は、発売翌年の02年にはチューハイブランドのNo.1に成長。05年には4割近いシェアを獲得した。缶チューハイは2000年頃にはある程度成長してきたものの、消費者調査ではダサいイメージで、特に女性からニーズはありながら「店頭で買うのは恥ずかしい」マイナーな印象を得ていることが分かった。「氷結」はその対応作。キリンビバレッジとのプロジェクトチームで“チューハイを超えるチューハイ”を合言葉に開発し、外観もフレッシュ感を出すためダイヤモンドカット缶を起用した。さらに、甘さ控えめの「早摘みレモン」の投入、「氷結」全体の外観デザインのリニューアルなどでマンネリ化を退けた。

 その結果、それまでチューハイ市場はせいぜい5000万ケースだったのが1億ケース規模となり、「氷結」が全体の市場を完全に底上げした結果となった。「チューハイは好きだが出来合いのチューハイはいやだ」という層を取り込んで、発売2年後の調査では、「氷結」飲用者の6割が新規ユーザーだった。常に現状に満足せずチャレンジし続けたことが成功要因だったと言える。

 発泡酒では、糖質70%カットの「淡麗グリーンラベル」に続き、05年にプリン体99%カットと糖質70%カットの両方を実現した健康志向「淡麗アルファ」を発売。単に安くてうまいだけでなく、ぜひ買いたくなる商品として投入した。また、05年にジョッキ生をイメージして発売した「のどごし」は、サッポロ「ドラフトワン」の独壇場だった市場で、一挙にトップに踊り出て、06年上期も圧倒的支持を得ている。

 まとめになるが、市場の変化や状況の変化に伴い、会社は迷う。迷ったときほどお客様との本来あるべき位置関係を見据え、お客様の満足度を変わらぬ尺度として、技術的にもマーケティング的にも必死にやり抜くことだろう。環境変化に応じて発想や行動も柔軟にする。「昔はこれで良かった」という発想は衰退への第一歩である。この5年間の苦労が成果として表れたことは嬉しい限りだが、ここで満足することなく、お客様の視点、品質を大事にする視点をキーワードに、さらなる成長を遂げ、皆様の期待に添っていきたい。