「今の会社では評価を受けている。しかし、転職先でも評価されるほどの経験や能力を持っているのだろうか。もしかしたら井の中の蛙だったのかもしれない」――。転職を検討しているITエンジニアの中には、こんな不安に駆られている人が少なくないのではないか。

 現在の経験や能力が転職先でも通用するかどうかは、転職を検討中のITエンジニアにとって最大の関心事である。前の勤務先でそれなりの経験や能力があると評価を得ていても、新天地でそれが通用するとは限らない。そんな悩みを解消する有力な武器がITスキル標準(ITSS)である。

 ITSSは、IT業界で働く人材に求められる知識や経験、実務能力を体系的に整理したものだ。欧米のスキル標準などを参考に経済産業省が策定した。目的は、個人の自律的な経験・能力の向上や企業での人材育成を促し、結果として日本のIT業界の競争力を向上させることにある。

人事評価や研修にも活用,診断テストで客観的判定も可能

 IT業界では、ITSSは人材育成のガイドラインになると位置付けられている。有力IT企業の中に、自社の人事評価制度や教育研修制度にITSSを活用しているところが出始めている。現在の勤務先がITSSに基づいた人事評価制度を導入しているのなら、その経験や能力は他社でもほぼ同等の評価を得られると考えてよいだろう。また、ITSSに基づいた診断テストもあるので、その評価によって自分の経験や能力を客観的に診断することは決して不可能ではない。

 ITSSの基本をなすものが「キャリアフレームワーク」である(図1)。横軸に「マーケティング」「セールス」「コンサルタント」「ITアーキテクト」といった11職種35専門分野、縦軸に7段階のレベルを規程している。各レベルにおいて、要求される業務経験や能力、知識を記述している。ITエンジニアは自分の経験や能力、知識、目指すべきキャリアを確認するために、かたや企業は人材育成の指針として利用することができる。

図1●ITSSの「キャリアフレームワーク」
図1●ITSSの「キャリアフレームワーク」
11職種35専門分野について、7段階のレベルで表現した。
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 ITSSを制定したのは2002年12月のことだ。すでに3年余りが経過しているため、今年4月にITSSバージョン2を公表した(http://www.ipa.go.jp/jinzai/itss/index.html)。基本的な考え方は変わらないが、いくつかの変更点がある(図2)。その1つがバージョン2では全体構成を「キャリア」と「スキル」に分けたことだ。従来のITSSでも「過去の実績や経験(キャリア)」と「いま有する実務能力や知識(スキル)」という2つの要素で構成していたが、その切り分けが必ずしも明確ではなかった。

図2●ITSSバージョン2の主な改訂内容
図2●ITSSバージョン2の主な改訂内容

 キャリアに関しては主に(1)専門分野の整理・統合、(2)IT人材の経験や実績をみる「達成度指標」の改訂・具体化、の2点を変更した。

 (1)では「プロジェクトマネジメント(PM)」、「ITアーキテクト」、「オペレーション」という三つの職種の専門分野を見直した。従来版では、通常のシステム開発とインターネット技術を利用したシステム開発を分けていたが、現状ではほとんどの開発がインターネット技術を使うことから1つにまとめた。

 (2)の達成度指標に関しては、高いレベルを目指すには、従来版では大規模案件の実績が必要になるとなっていたが、バージョン2では案件の規模が小さくても「要求品質やコストが厳しい」といった複雑な条件を備えていれば実績と認めるようにした。中小のIT企業に配慮したためだ。

 スキルに関しては、職種や専門分野ごとに必要な知識を一覧できるようにした「スキルディクショナリ」をバージョン2では新たに添付した。キャリアにおけるキャリアフレームワークに相当するもので、一覧表の横軸に職種と専門分野、縦軸に「品質計画」や「リスク識別」といった約740の知識項目を示す。各職種・専門分野にどのような知識項目が必要かを把握しやすくする狙いがある。

 ITエンジニアのキャリアとスキルの標準化を図る試みはITSSに限らない。IT企業に勤務する人材を対象にしたITSSとは別に、ユーザー企業の情報システム部門のスキルとキャリアを定めたUISSはその1つだ。

ユーザー企業版ITSSのほか,組み込みソフト用も登場

 UISSはUsers’Information SystemsSkill Standardsの略。経産省は暫定版を公開、パブリック・コメントの募集を開始し、実現に向けて動き始めた。

 UISSの特徴は、ユーザー企業の情報システム部門が果たすべき役割(タスク)を、経営戦略との関連も考慮して整理していることだ。IT関連スキルだけでなく、企業経営や業務分析、ベンダー・マネジメントといった情報システムの発注者に必要な役割を整理しているのが特徴だ。全社の事業戦略に基づく情報化戦略の立案から、個別の情報システムの企画・開発・運用、活用、評価などである。

 その上で各タスクに基づいて、情報システム部門の職種を定義している。情報化戦略を立案する「ISストラテジスト」や、複数のプロジェクトをマネジメントする「プログラムマネージャ」、情報システムの企画と評価を担う「ISアナリスト」など10職種である。

 IT業界向けのITSS、ユーザー企業向けのUISSに対して、組み込み業界向けに策定されたのがETSSである。携帯電話やカーナビ、デジタル家電といった分野で組み込みソフトの重要性は年々高まっていることに対応し、創設されたものだ。組み込みソフト開発エンジニアの人材育成と、組み込みソフト開発手法の整備と体系化を狙い、組み込みソフト開発エンジニアに必要なマネジメント・スキルやソフト開発技術、技術要素、職種・専門分野、教育カリキュラムを定義している。

 経産省はITSS、UISS、ETSSと情報処理技術者試験が、総合的な人材育成ツールとして機能するような仕組みを検討しており、いずれ各スキル標準が情報処理技術者試験と連携し、総合的な人材育成の手段として機能する方向に進むといわれる。転職を検討中のITエンジニアにとって、スキル標準は不可欠なものになりつつある。