PDAはスケジュール管理や個人情報管理という基本機能に加え,今では音楽・動画の再生もできるようになっている。シャープのPDA「Zaurus」はその草分け的な存在であり,モデム対応やカラー化など新しい技術を一早く採り入れてきた。最近では,4Gバイトのハードディスクを搭載する機種「SL-C3000」まで登場した。その発祥となった初代Zaurus「PI-3000」の企画に携わったのが,情報通信事業本部システム機器事業部の藤原齋光事業部長。PI-3000の登場はそれまでの電子手帳から,コミュニケーション・ツールへ転換するきっかけになった。

 PI-3000を作る以前,藤原氏は1987年に発売したシャープ初の電子手帳「PA-7000」の開発を担当した。当時流行していたシステム手帳を電子化した製品である。やがてその流れは1992年の「PV-F1」に行き着く。PV-F1は5インチとそれまでより大型の液晶パネルに漢字の手書き入力ができた。ところが,サイズが大きく価格が12万8000円と高額だったため,売り上げは伸びなかった。

 PV-F1が苦戦していたころ,藤原氏は新機種の企画を担当していた。次に目指したのはそれまでの電子手帳の延長ではない新しい携帯情報ツール。「通信機能を持つ,コミュニケーション・ツールを開発しようと考えた」。

細部の使い勝手にこだわりがある

 PI-3000の開発は1992年秋から始まった。OSやアプリケーションはPV-F1に搭載したものを採用し,通信機能を新たに開発した。ASKと呼ぶ独自方式の赤外線通信機能を搭載し,PI-3000同士で名刺交換したり,パソコン経由でcc:Mailのメールを送受信できるようにした。

 筐体はPV-F1よりも小型化して価格を下げた。「まず価格を半分にしたかったので,あらゆるものを半分にすることにした。大きさ,重さ,価格を2分の1にする“三つの1/2”という目標を掲げた」。大きさは,前カバーを閉じた状態で本体がポケットに収まるサイズにした。重さは,「比重が水と同じ1を切ると軽く感じるのを発見し,1を下回るようにした」。PI-3000の比重は約0.9である。価格を抑えるために,小さいパネルを採用した。表示部分が小さくなっても,表示文字数が減らないように小さなフォントを新たに作った。

 PI-3000の開発で印象深いのが「使い勝手に対するこだわり」だったそうだ。例えば,前カバーは右端から開けるのにあわせて右側面にカバーのロックを付けた。ペンは手前の側面に格納し,右から引き出すようにした。こうすると,右手でロックを外しカバーを開けペンを取り出すという動作をなめらかに続けられる。また,PV-F1は前カバーが180度しか開かず,使っているとき邪魔になった。そこでPI-3000ではカバーを裏側まで折り返せるようにした。このほか,前カバーを取り外して好みのカバーに変えられるようにもした。「こういった工夫をはじめ,ヘルプ機能に開発者の顔のイラストを表示するなどPI-3000には遊び心が盛り込まれていた」。シャープは1993年10月,PI-3000を6万5000円で発売した。

新たな使い方を提案し続ける

 PI-3000同士の通信やメール送受信をできるようにしたものの,こうした通信機能はほとんど使われなかった。受光部を備えた専用装置をパソコンに取り付けなければ利用できなかったためだ。

 だが,コミュニケーション・ツールというコンセプト自体は間違っていなかった。パソコン通信やインターネットの普及など,その後の時代の流れにぴったり合っていたのだ。翌年に発表した「PI-5000」では,外付けのモデムでパソコン通信「NIFTY-Serve」にアクセスできるようになり,1996年に発売した「PI-7000」ではサードパーティからパソコンとのデータ連携ソフトが登場した。

 藤原氏にとって特に印象深い機種は,初代電子手帳のPA-7000,初代Zaurus PI-3000,そしてZaurusで初めてデジタル・カメラ機能を搭載しカラー表示を実現した「MI-10」だという。発売当初は目新しい機能に対して「ヘンなもの,必要ないもの,といった見方をされたこともあった」が,企画や開発はわくわくして楽しかったという。藤原氏は「時代に応じて生活スタイルは変わるのだから,やることはたくさんある」と,Zaurusは今後も進化すると語った。