エプソンのカラー・インクジェット・プリンタの歴史は1994年の「MJ-700V2C」から始まった。当時,カラー印刷の速度は遅く,その画質も写真にはほど遠い水準だった。そこで同社は,写真の印刷にも耐える画質を目指して「PM-700C」を開発した。企画や設計,画質調整,インク開発などに携わったのが,それぞれセイコーエプソンIJP事業部IJP企画推進部の山崎正道課長,情報画像事業本部情報画像開発部の嶋田和充課長と角谷繁明研究主査だ。PM-700Cはちょうど同じ頃に登場したデジタルカメラとの相乗効果も生み出した。

 エプソン初のカラー・インクジェット・プリンタ「MJ-700V2C」は,720dpi(dot per inch,1インチ当たりのドット数)という他社製品の2倍にあたる高解像度を実現して話題となった。10万円を切ったこともあり,ヒット商品となった。

 当時同社が認識していた課題は,まず印刷スピードが遅かったこと。高画質モードでA4判を印刷すると,15~30分ほど時間がかかった。パソコンの処理性能が低かったことに加え,プリンタのノズル数も少なかった。もう一つは画質。写真のように階調がある画像を印刷するとドットが目立ってしまっていた。

薄インクや画像処理が効果を発揮

 そこで印刷速度を高め,高画質化する技術の開発に取り組んだ。

 高速化については,ノズル数を増やし,インクの吐出回数を増やす(駆動周波数を高くする)ことにした。そこで,インクを吐出させる圧電素子(ピエゾ素子)を小型にし,ノズルの配置を高密度にして数を増やした。

 画質を高めるには,まずドット径を小さくした。ドットサイズはノズル径を小さくすると微小化できるが,目詰まりが起こりやすくなる。そこでノズル径は大きいまま,小さなインク滴を飛ばすようにした。「ヘッドを固くし,駆動波形を細かくコントロールすることで次のインクを吐出する準備が速くできるようにした。こうして微量のインクをすばやく吐出できるようになった」(嶋田氏)。1回のインク吐出量を19pl(最小で13pl)に,ドット径を68μmにまで小さくできた。小さいドットは駆動周波数を上げやすく,吐出の制御に対する応答性も上がった。

 単純にドットサイズを小さくしたら,今度は画像の表面がざらざらした感じになってしまった。それを解消したのが,薄いインクだった。シアン,マゼンタ,イエロー,ブラックの4色に,ライトシアン,ライトマゼンタを加えた。薄いインクが加わることで,なめらかな階調を表現できるようになった。

 画像処理技術の位置付けもこれまでと変わった。PM-700C以前に開発したモノクロ・プリンタの場合,ヘッドなどハードを作り上げてからドライバでどう制御するかを決めていた。PM-700Cでは,ハードの開発と協調して進める必要があった。「インクを同じ場所に数回打って濃さを変えたり,着弾位置を制御するといった調整を繰り返しながらモノを作っていった。これらを全体的に考えて開発するのは面白かった」(嶋田氏)という。

印刷サンプルで画質を実感

 高画質を得る技術は完成したものの,社内では画質よりも高速印刷を優先すべきという声が多かった。まだ,家庭では写真データを印刷するという用途がなかった時期である。こういった状況も印刷結果を見せると一変した。皆一様に画質の高さに驚いたという。

 1995年秋,商品化が決まった。ただし,先行して開発していたモノクロ印刷が3倍速い機種の“おまけ”という位置付け。「インクジェットの市場が成長しており,順番にラインナップを増やそうとしていた。商品化が決まっただけでもラッキーという感じだった」(角谷氏)。

 こうしてPM-700Cは1996年11月に発売された。CMにタレントの内田有紀を起用し,店頭や展示会で彼女の顔をアップにした印刷サンプルを配布した。製品に画像データを添付したことも効果絶大だった。

 「一歩間違うと写真印刷の専用機として見られてしまう。写真も印刷できる普通のプリンタとしてアピールできた」と企画を担当した山崎氏は語る。今後は女性や主婦などターゲットのゾーンを分け,さまざまな層のユーザーに向けて製品を開発していきたいという。