今回は,デザイナーとして,世間やプログラマに対して言いたい放題書かせてもらう。どうか怒らずに最後まで読んでもらいたい。デザイナーの皆さんには,大いに賛同していただける内容になっているはずだ。

デザイナーだって,タイヘンなんだ!

 まず,デザイナーという仕事は,非常に誤解されやすい。例えば次のような誤解をうけて,暗い気持ちで日々の作業をこなしているデザイナーも少なからずいるはずだ。

1) デザイナーという職種に対する,先入観がある

 世間(顧客やエンドユーザー)には,「すべてのデザイナー」=「技術に無知」だという先入観がある。「デザイナー」とは「Webページの配色とレイアウトをする人」だから技術を知らなくて当然,むしろ知らなくてよいとする傾向すらある。開発ツールが完全分業に向けて進化しているのだから,デザイナーはビジュアル・デザインのことだけ考えていればいいという意見を持っている人もいるだろう。

 しかし,デザインとは本来「設計」のことであり,アプリケーションのデザインは,ビジュアル・デザインだけでなく,ユーザー・インタフェースにもかかわるものである。だからこそ,プログラマとの意思疎通の溝を埋めるためだけではなく,本来のデザイナーの仕事をまっとうするためにも,デザイナーには技術への理解が求めれらる。

 プログラマの中には,設計+GUIのデザインだけでなく,表示に関するプログラミングを,デザイナーに分担してほしいと思っている人たちもいる。色や座標値を扱う描画にかかわる処理を,プログラマがデザイナーと刷り合わせつつ実装するよりも,デザイナー自ら実装したほうが手っ取り早いと考えている人たちだ。

 だが,そういったプログラマは少数である。現実は,前述のように先入観が消えていない。「Webアプリケーションのデザイン」=「設計+GUIのデザイン」だと考えている人は,まだ半数に満たないかもしれない。

 筆者自身,デザイナーというだけで,何度も不利益を被ってきた。企画設計担当者としてヒアリングに出向いた先で,技術に関する質問をことごとく無視されたこともある。そこで現在は,「デザイナー」と「XMLエンジニア」という2種類の名刺を作り,使い分けているのが実情だ。

2) 「デザインされていることに気づかせないデザイン」の意味が,理解されない

 アートやコンテンツ配信やファッションなどがテーマのビジュアル系Webではなく,企業や公共機関の日常業務で使うWebアプリケーションでは,円滑な操作性と処理目的の達成が最重要であり,こだわればこだわるほどビジュアル・デザインはシンプルになる。

 ところが,デザインがシンプルであるほど,デザインを理解していない技術者からは,おかしな反応が返ってくる。

 例えば,参加したプロジェクトの中で筆者がデザインを担当し,「使いやすく,レスポンスが良く,目的の結果にピンポイントでたどりつける」と顧客に感謝されているWebアプリケーションがある。日常業務で使うものなので,操作の妨げにならない程度にイメージ画像を使った,わかりやすいデザインだと自負している。だが,技術者にこれを見せると「処理は良いけど,デザインにはこだわっていないんですね」と言う。そういう技術者に限って,インパクトのみ重視した,多くの色彩とアニメーションを使った華やかで動的なWebサイトを「素晴らしいデザインですね」と言うのだ。

 このような発言をする技術者たちは,色や画像をできるだけたくさん使い,いろいろな部品を,どこに何があるのかわからないほど詰め込み,アニメーションをぐるぐる動かすことが,デザイナーの仕事だと勘違いしている。

 デザイナーの立場から言えば,“引いて引いて引くものがなくなるまで”引き算し,「デザインしているという作為を感じさせない」自然な仕上がりを実現するほうが難しいのだが,それは理解されない。デザインされていることを気づかせないデザインこそが,筆者の理想である。あまりにも難しく遠過ぎる目的地ではあるが…。

3) 処理のみ重視で,ビジュアル・デザインの意義が否定される

 例えば,遊園地がグレー一色だったり,病院の中が青紫一色だったりしたら,楽しんだり,安らいだりできる人はまれであろう。

 ところが技術者の中には,ビジュアル・デザインの必要性を否定する人がいる。動作しさえすれば,見た目によってアプリケーションの効果が変わったりしない,と言うのだ。人間の心理を全くわかっていないと言わざるをえない。

 デザインを不要とする考えを口にするプログラマに対して,筆者は,こう説明する。

 まず,誰か好きなタレントはいないか,を問う。答えが返ってきたら,こう切り返す。「そのタレントは,美人(あるいはイケメン)だ。あるいは,ルックスはイマイチかもしれないが,魅力のある人だ。それは,自分の見せ方を知っているからだ。アプリケーションも同じだ。機能の見せ方が大事だと思わないか。そのタレントがスッピンでジャージ姿で現れたときと,化粧をしてコーディネートされた服を着て現れたときと,あなたは全く同じ印象を持つというのか。見た目で人の印象が変わるように,アプリケーションもビジュアル・デザインで印象が変わるとは思わないのか? ビジュアル・デザインは,アプリケーションの魅力を引き出すものではないのか?」

4) ゼロからの仕事を急かされる

 アプリケーションのデザインとは,写真やテキストを提供されてのレイアウトでない限り,自ら考えなければ出力できない仕事である。考えて考えて考え抜いて「ダメだ良いアイデアが出てこない」と,捨て駒にしかならないレベルのラフを前にぼーっとしていると,イメージがひらめいて答えが降りてくる。考え詰める時間が必要なので,デザイナーは納期間際,工程表の期限間際まで努力を惜しまない。

 ところが,試行錯誤中のラフを見て「結構きれいだ。できてるじゃないか。それでいいから,すぐにGIF形式で切り出してもらえないかな,プログラムを書くから」などと言うプログラマがたまにいる。ここでデザイナーが妥協してしまうと,生煮えの状態のままのデザインで納品することとなってしまう。

 デザイナーは,工程通りに作業が進み,納期に間に合うのであれば,その範囲内で,できるだけ考え抜いて良い仕事をしたいのである(これはプログラマだって同じはずだ)。

 デザイナーが工程を守っている限り,プログラマがデザイナーを急かす言動は,逆効果にしかならない。たとえ顧客が満足しても,デザイナー自身は納品物に満足していないがゆえに,実績をPRしないということになりかねない。

5) 高品質を追求する姿勢を,効率の面から脅かされる

 デザインが決まると,明度や彩度などを微調整したり,画像パーツを切り出す作業を行う。各ページの印象を統一するため,1pxたりともズレないように,慎重に作業を進めていく。

 ところが,デザイナーにとっては“繊細”な作業が,プログラマから見れば“神経質”な作業に映るらしい。筆者の相方など「細かいところまで気にし過ぎだ。早くデザインを切り上げて納品すればいいのに」とまで言う。

 プログラマだって,再帰処理で書けるはずのところを,ダラダラと条件分岐で書いたコードがあったら,直したいと思うはずだ。デザイナーだって同じである。時間の許す限り,品質を高めたいのである。

 創造的でない作業を効率化して,空いた時間を創造的な作業に使うことには意義がある。だが,創造的な作業を効率化してまったら,仕事には“むなしさ”しか残らなくなる。品質より効率,美学より利潤,ではなく,品質向上のために効率化をはかり,美学を追求するために利益を還元することが必要ではないだろうか。高品質を追求する「姿勢」は,社会人としての義務である。

 以上のように,デザインという仕事は誤解されている。もっとも,これらとは逆の誤解もある。自分にはない絵心やセンスがあるからというだけで,デザイナーを過大評価して,下手に出るプログラマもいるようだ。そのようなプログラマの良い意味での誤解に,デザイナー側は甘えてはいけない。

 世間の誤解は一朝一夕に解けるものではないが,少なくともプロジェクトの中では,技術メンバーの全員に,デザインという仕事を理解しようとする姿勢が求められるのではないだろうか。