ADSLや光ファイバが登場する以前,家庭で使える高速回線として重宝されたのがISDNだ。このISDNをインターネットへのアクセス回線として家庭に普及させる起爆剤となった製品が「MN128-SOHO」である。BUGとNTT-TE東京(現在のNTT-ME)が共同開発した。開発に携わったのは,テクニカルマーケティング部情報通信機器プロジェクトの手島一憲マネージャと開発本部の菅野靖洋氏。ISDNターミナル・アダプタ(TA)とルーターを組み合わせるアイデアは,開発メンバー自身のニーズから生まれたという。

 BUGとNTT-TE東京が共同開発した最初の製品は,1995年に発売されたISDN TA「MN128」だった。「MN128では電話機能を充実させた。例えば3者通話や転送機能などISDNで可能になるサービスをフルに実装した」(菅野氏)。当時TAは7万~8万円していたが,MN128は3万9800円。出荷台数は10万台を超えた。

 翌年,BUGは「ROUTE101」というISDNルーターを発表した。NAT(Network Address Translation)機能を搭載し,手軽にLAN間接続できることが売りだった。「NATについては,仕様がRFC(Request For Comment,インターネット技術の標準化団体IETFが発行する文書)として公開されていた。それで実装してみようと思い立った」(菅野氏)。

 ちょうどその頃,市場にはMN128の競合製品が複数あり,機能は同程度で価格はMN128より安い製品が出てきていた。そこで,TAの開発チームとルーターの開発チームとで話し合いが持たれた。「自宅でROUTE101を使っていた社員がいた。議論していく中で,MN128でも複数マシンをつなげられるようにルーター機能を持たせようというアイデアが出てきた。」(菅野氏)。MN128のバージョンアップ製品の開発と同時平行で製品化に向けて動き出した。

 当時ルーターは法人向けのものしかなく,設定は難しく価格も高かった。ルーター機能を個人向けのTAに実装するというのは画期的だった。「事前の市場予測では現在のようなパソコン普及率は見込めなかった。だが,ルーター機能が便利なことは確かなので,ユーザーに訴えかけようと決めた」(手島氏)。再びNTT-TEとの共同開発が始まった。

分かりやすい設定方法を追求した

 1997年当時,世間はまだ家庭内LANのネット接続が始まったばかり。ユーザーのネットワーク知識は乏しかった。「ネットワーク製品は一般的に設定が難しかった。用語すら分からないユーザーが多く,普及の壁になっていた」(手島氏)。そこで手島氏は設定のしやすさにこだわった。「まず設定のためにアプリケーションをインストールさせるのはやめ,ブラウザで設定できるようにした。次に,入力する情報がプロバイダに申し込む際に必要となる三つの情報(ユーザーID,パスワード,電話番号)だけで済むようにした。機能はたくさんあったが,細かい部分をユーザーに見せないように設定画面のデザインを工夫した」(手島氏)。

 ISDNは完全な定額料金制ではなかった(夜間の一定時間のみなど)ので,できるだけ通信料金を抑えるように無通信時には自動的に回線を切断する機能も搭載した。6月に「MN128-SOHO」の販売を始めた。「予想販売台数は2万台くらいと見積もっていたが,予想をはるかに超える売れゆきだった」(手島氏)。初年度は7万台,ピークの年には20万台超えた。入手困難な状態が続いたという。

 2年後の1999年には,いち早く無線LANに対応した「MN128-SOHO Slotin」を発表。PCカード・スロットが2基搭載されており,専用の無線LANカードを挿して無線通信ができた。設定作業を簡単にする工夫も進み,十字キーと設定ボタンを本体に付けて,IPアドレスとサブネットマスクの設定やメール受信をボタン操作だけで実行できるようにした。

 ほどなくADSLによる常時接続の時代が到来した。ISDNでは電話機能とデータ通信機能をTAで制御するが,ADSLになってその必要がなくなった。二人は「当時は追いかけられる立場で余裕はなかったが,競い合いながら機能拡充を進めていく開発は楽しかった」と振り返る。今後も“あったらいい”と思うものをもう一度作りたいと考えている。