パソコン規格「MSX」は,アスキーが開発し米Microsoft社が各メーカーにライセンスした8ビット・パソコンの統一規格である。テレビにつないで,プログラムが入ったROMカセットを本体に挿して使う。30代の知り合いのMSXユーザーに話を聞くと,小中学生の頃にゲームで遊んだと懐かしそうに話してくれた。MSXはゲームが主な用途であるとはいえ,プログラムができるパソコンである。MSXを企画・設計した西和彦氏は,当時アスキーの代表取締役副社長でありMicrosoftの取締役新技術担当副社長だった。MSXの誕生からバージョンアップの歴史,エミュレータとして再登場したMSXの現在を西氏に聞いた。

 独自規格ばかりだった8ビット・パソコンの場合,ソフトウェアの互換性は当然なく,せっかくのソフトウェア資産を有効に活用できていなかった。そんなメーカー間の壁を取り払った統一規格がMSXだ。当時のパソコンはオフィスへの浸透を始めた時期で,個人ではかなり趣味性の強いユーザーしか使っていなかった。16ビットのオフィス・コンピュータに取り組んだ西氏は,家庭でもっと手軽に使えるパソコンを作りたいと思うようになった。それは,「アーキテクチャがオープンで価格が安いパソコン。ゲームで遊べて,プログラムも書ける」ものだった。

ゲームのための機能強化を進めた

 MSXは1982年から開発が始まった。1983年に発表された最初の規格MSX1に対するユーザーの反応をみると,グラフィックス機能とオーディオ機能が足りないことが分かってきた。次のバージョンであるMSX2やMSX2+では「グラフィックス専用のカスタムLSIを設計した。オーディオは当時画期的だったFM音源を採用し,デジタル・オーディオの符号化方式にはADPCMを使った」。グラフィックス機能の強化により,ゲームのバリエーションを広げられるようになった。

 最後のMSXはMSX turboRという。MSX turboRは,開発に対する熱の入り方がそれまでとは違っている。CPUを独自開発したのだ。Z80上位互換のCPU「R800」である。R800では内部バスを16ビット(外部バスは8ビット)にして高速な処理ができるようにした。

 自社開発のCPUで高速性を追求したが,1993年にもなると時代は16ビットから32ビットへ移り変わろうとしていた。西氏は家庭用パソコンにも32ビットが必要だと感じ,ここでMSXの将来を見直した。「高機能化していけば,オープンなアーキテクチャで互換機が多く作られているIBMのパソコンと衝突することになる」。当時のMSXのままIBMのパソコンやその互換機と闘うのは市場の規模からいって賢明でない。こうして二つの選択肢を考えた。まったく異なるパソコン規格を新たに作るか,それともIBMのパソコンに乗るようなソフトウェアのMSXを作るか──。西氏は後者を選び,ハードウェアのMSXは市場から姿を消していった。

無線LAN搭載の次世代MSX

 MSXをIBMのパソコン上で動かすといっても,エミュレータとしてパソコン上で動かすにはパソコンのスペック向上が必要だった。「ソフトウェアでエミュレーションできるようになるのを10年ほど待っていた」。

 こうして2002年,パソコンが十分高性能になったところで,WindowsやMac OS X,Linux上で動くエミュレータ「MSX PLAYer」をリリースした。「いろんな会社の人たちと,ビジネスとしてではなく楽しんでやっている。今は,MSXを1チップ化するプロジェクトに取り組んでいる。1万円以下でインターネットに接続できるパソコンが実現できる」。無線LANを搭載して,インターネットには無線で接続する。OSはLinuxをベースにしたものを開発中だ。無線の新たな規格も考えている。

 MSXは1993年までに400万台出荷し,ユーザーは多い。過去を懐かしんで再びMSXのプログラムを作ったり使ったりする人もいる。「MSXがきっかけでパソコンに興味を持った人が多い。アーキテクチャがオープンなので教育的にも良かった。当時の子供たちがゲームを楽しむだけでなく,コンピュータの仕組みを知ることもできた」と西氏は振り返る。これからも,小中学生にとって次世代のMSXがコンピュータの内部を理解するきっかけになるようにしたいという。