第1回目でJANOG(ジャノグ)とは何で,どんな目的で活動しているかを紹介しました。今回は設立秘話,そして私の思いなどについてお話します。


JANOG1(第1回JANOGミーティング)の様子。http://www.janog.gr.jp/meeting/janog1/log/photo/dsc00039.jpgから引用。
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 JANOG創設当時,正直を言えば,私はインターネットというものをそれほど詳しく知りませんでした。というのも,私はその2年前までネットワーク業界ではなく,ソフトウエア開発の会社に勤めていたからです。ただ,学生時代からパソコン通信にはまっていて,就職後も続けていました。その経歴上,通信やネットワークというものには強い興味があり,就職後約3年でインターネットの世界に飛び込むことになったわけです。

 しかし,当時はまだ商用プロバイダもほとんどが立ち上げ時期で,今でこそ有名なOCNすらまだ存在していませんでした。ネットワークを運用するには,私のわずかなインターネットに対する知識では到底かなうはずもありません。幸運なことにインターネットは,その運用もWIDEを中心とした協調体制があり,そこから多くのことを学びました。それが私の全ての基礎といっても過言ではないでしょう。

 そんな中,私はNANOGというミーティングに出席する機会を得ました。NANOGは,North America Network Operators' Groupで,ネットワーク運用者が集まって議論するミーティングです。

 余談ですが,この時私は始めてたった一人で海外渡航をし,ホテルまで到着し,その後会場まで到達するというミッションがありました。空港からホテルに向かうバスでは英語がわからずホテルを通過,がんばって道を尋ねればスペイン語しか話せないと断られる。おまけに宿泊ホテルから会場へは道を間違えスラムに突入するなど,結果は散々なものでしたが…。

 さて,話を戻します。NANOGミーティングはもちろん英語なわけですが,聞くもの全てが新しく,わからないはずの英語もなぜか理解できてしまったのです。取り扱う話題は全て大規模ネットワークで,ネットワーク運用のスケールやダイナミックなものの考え方に感銘を受けました。そして,その話題に対してあーでもないこーでもないと議論が白熱していることへの驚き。

 英語があまりわからない私は「あぁ,こんなのが日本語で聞けたら…」。そんな軟な考えが脳裏に浮かびました。

瞬く間にメンバーが集まった

 ミーティングの夜は,多くの場合,出席している日本の運用者の方々とバーなどでお酒を酌み交わします。私も誘われたので伺いました。お酒が入っているので冗談もありますが,話の内容がことさら技術的であること驚きました。そこで無鉄砲な私はおもわず「NANOGの日本版ってないんでしょうか?」。そんな質問をしたのです。

 答えは当然ノー。更に無鉄砲な私は「必要だと思うんですけど」。この後に括弧付きで「特に私には…」と言いたかったのは言うまでもありません。すると意外なことに,「そうだねぇ,あってもいいかも」,「いや,必要ない」などちょっとした議論なりました。果ては,名前は「Japan Network Operators' Meetingだから,“JANOME”か?ミシンみたいだな」とかいう話にまで広がりました。

 帰国の朝,あるネットワーク運用で有名なM氏が「(JANOGのようなものが)やっぱり必要かもしれないね」といっていたことを伝言で聞きました。私は帰国後,その言葉に乗ってメーリング・リストとホームページを立ち上げました。それは,前会長の石黒氏の協力で瞬く間に広がり,メーリング・リストのスタート後数時間で300名を超える参加者に膨らみました。

 今でこそ4000名を超える大所帯のJANOGですが,私の気持ちは今でも変わっていません。私の聞きたいこと,参加者の聞きたいことが気軽に聞け,意見を交わし,相互理解を深め,時に冗談を含めながら,次のインターネットに進む。そんな場所になってほしいと期待しています。

■近藤 邦昭(こんどう くにあき)

日本ネットワーク・オペレーターズ・グループ(JANOG)の会長。1970年北海道生まれ。神奈川工科大学・情報工学科修了。1992年に某ソフトハウスに入社。主に通信系ソフトウエアの設計・開発に従事。1995年,株式会社ドリーム・トレイン・インターネットに入社し,バックボーン・ネットワークの設計を行う。1997年,株式会社インターネットイニシアティブに入社,BGP4の監視・運用ツールの作成,新規プロトコル開発を行う。2002年,株式会社インテック・ネットコアに入社。2006年には独立,現在に至る。