行政機関、あるいは公務員の品質への信頼が揺らいでいる。自治体が耐震偽装問題を見抜けなかった事例は氷山の一角に過ぎない。筆者は全国各地でさまざまな職種の公務員に接触する。制度の成り立ちや根拠など基本的な質問に答えられない職員が増えている。専門官や企画官の肩書きを持つのに知識のない幹部もいる。政府の大きさはよく議論されるが、質についてはあまり問題視されてこなかった。だがそれも危うくなってきている。今回はニッポンの官僚組織そして公務員の“品質”問題について考えてみよう。

■専門性のフィクションの上に成り立つ官僚制

 行政機関の専門性は、壮大なフィクションの上に成り立つ。ある日突然、人事異動で来た素人が○○省○○企画課長、あるいは専門官といった肩書きと権限を得る。官僚制は「仕事をするのは“官僚組織”あるいは“官職”であり個人ではない」という建前を貫く。仕事の中身にも個人の意思や裁量は介在しえないとされる。教員免許などの国家資格も同じだ。教職科目の単位をとり教育実習をすれば資格が得られる。だがそれで良い教師が生まれるかどうかは保証の限りでない。現に予備校や専門学校で人気と実績を誇る先生たちは必ずしも教員免許をもっていない。

 「すべての公務員は同一規格の能力を持ち、担当官によって扱いの違いがあるべきではない」というのが19世紀の社会学者マックス・ウェーバーが唱えた官僚制の考え方だ。そしてそれは20世紀にはある程度有効に機能した。しかし今やこのフィクションが崩壊しつつある。

■機能しないゼネラリスト--今や、役所は素人の集団

 公務員は壮大な素人集団になりつつある。つまり、専門性の低下が著しい。

 背景には頻繁な人事異動がある。一般事務職は、2~3年でさまざまな職場を渡り歩く。動物園担当からいきなり福祉。2年後には教育委員会で小学校の担当といった人事も珍しくない。仕事に慣れるのに半年。少し精通し人間関係を作ったころには人事異動だ。多くの公務員は有能だ。前職で似た経験をし、職務内容もマニュアル化されてきている。だがこれだけ物事が複雑化した現在、2,3年おきに人事異動ばかりしていては、予算や各種手続きなどの事務処理だけで終わる。本質的な問題解決には取り組めない。

 公務員は頻繁に人事異動し、経験を重ねることでゼネラリストとして鍛えられるとされてきた。人事異動は特定業者や利害関係者との癒着を防ぐともいわれてきた。現に多くの公務員がさまざまな社会問題を仲裁する高潔な“お役人”としての役割を果たしてきた。だが最近の公務員にはゼネラリストとしての見識以上に専門性が問われる。そして先端技術は民間事業者との付き合いの積み重ねから得られることが多い。役所の頻繁な人事異動の仕組みは明らかに時代にそぐわない。

■官僚制の限界--原理的にプロ同士の競争で鍛えられない

 専門性が育たない理由は頻繁な人事異動だけではない。公務員はプロ同士の競争環境に置かれない。役所内には同一業務を担当する部門が存在しない。役所内では特定の課、特定の担当官が業務を独占する。素人が官職に就いていても他部門にチャレンジされない。そして無難に2、3年過ごせば人事異動だ。

 異動後は、通常、前職での責任は問われない。かくして事なかれ主義とその場対応で時を稼ぎ問題を先送りする風土が組織に蔓延していく。

 一般企業の場合、多くの社員はプロとしての研鑽を迫られる。まず組織をあげて業界他社と競争する。さらに専門職であればあるほど自らの意思でキャリアパスを設計する。中には複数の職場を渡り歩く人もいる。例えば最初は街の不動産屋さんで仲介業務をする。やがてデベロッパー業に転じ、最後は価格査定や鑑定のプロになるといった具合だ。どこでも通用する実力が備わってくる。

 公務員もいろいろな部門を経験する。だが、所詮、“行政事務”という同一職種を保証された身分のもとで経験するのみだ。いくら役所の中で人事異動をしたといってもそれは“キャリア”を積んだとはいえない。“フィクション”でしかない。民間企業の競争社会でキャリアを重ねた人たちにはなかなか対抗できない。

 わが国の公務員は優秀と言われてきた。特に中央官僚はそうだった。全国から優秀な人材を東大・京大などに集め、エリート教育を施し官庁に配置した。彼らは意欲も能力も高く、お互いに切磋琢磨した。このシステムは欧米から先進技術や新制度を導入し、中央からあまねく全国に普及させる時代には適合した。だが、これからは違う。最近の先進技術やノウハウの多くは企業で生まれる。新しい制度(たとえば介護保険)も現場での試行錯誤を重ね、5年、10年の格闘の末にやっと使えるようになる。終身雇用の枠組みの中で公務員が頻繁な人事異動を繰り返すシステムはすでに破綻している。官僚制の壮大なフィクションに変わる新しいシステムを構築するか、それとも官僚制そのものを放棄するか。われわれは大きな選択を迫られている。

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上山信一(うえやま・しんいち)

慶應義塾大学教授(大学院 政策・メディア研究科)。。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)、ジョージタウン大学研究教授を経て現職。専門は行政経営。行政経営フォーラム代表。『だから、改革は成功する』『新・行財政構造改革工程表』ほか編著書多数。