ここで皆さんが今後のキャリア設計を考える際の参考として,米国のITエンジニアの状況を紹介したい。筆者らはシリコンバレーにある子会社のイムカ・アメリカを通して,米国のITエンジニアの動向を見続けている。
今,米国のIT業界をアウトソーシングとオフショアリングの波が襲っている。米国のIT企業は,定型的な業務をどんどん社外に移管し,効率化とスリム化を図っている。外に出す業務はオフショアリングとして人件費の安い海外に移管するのが,大きな流れである。
例えば,シリコンバレーのある大手IT企業はプログラミングの実作業を行う部門をインドに全面移管することを決定した。その場合,当該部門で働く社員が選択できる道は2つしかない。インドへ行くか,退社するかだ。ただし,インドに行く場合,給与はインド現地の水準,すなわち現状の約5分の1となる。米国のオフショアリングとは,このように非常にドライで厳しいものだ。リストラやドラスティックな給与ダウンが当たり前な状況である。
だが,こうした厳しい雇用環境の中で,米国のITエンジニアたちはたくましく対処している。彼ら,彼女らは,最初から「会社」という存在を絶対視していないので,リストラを宣告されてもあまり動じない。日頃から覚悟があるので,環境の変化に立ち向かうことができるのだ。
会社とはつぶれるもの
日本のITエンジニアと米国のITエンジニアを比べると,両者には会社やキャリア,生活に対する意識に大きな違いがある(図4[拡大表示])。どのような違いなのかを見ていこう。
まず,米国では日本のような「安定した雇用は当たり前」という意識は全くない。会社はつぶれるもの,レイオフされるものであり,「雇用は不安定なのが当たり前」と考えているのだ。そのため,ITエンジニアは常に新しい就職先を意識し,いざというときに備えている。
実は米国のIT企業も以前は終身雇用だったが,今や完全に崩壊した。働く方も数年たつと「そろそろ転職しないと」という気分になるようだ。同じ会社の同じ部署に長くいると,よほど仕事ができないと思われるからだ。ただし,転職回数は何回あってもいいが,職種は一貫していることが求められる。また,在社1~2年位で変わるのは,きちんとした理由がないと問題視される。
プログラミングを極める
米国のITエンジニアのモチベーションを高める要因は,高い給与や会社の知名度より「いい上司,いい仲間,面白い仕事」だ(図5[拡大表示])。優秀な上司や仲間たちと,面白くやりがいのある仕事をできる場が,たまたまIBMだったりアップルだったり,あるいは名もないベンチャー企業だったりするだけという認識である。
なぜ,あまり会社の名前を気にしないのか。その主な理由は,同じ職種,同じレベルのエンジニアならば,会社の大小や有名無名にかかわらず給与に大きな差がないこと,またどんな大企業でも吸収合併やレイオフがあり,「安定した職などありえない」という認識があるからだ。
日本の会社では社員全員が同じ出世コースに乗り,同様にステップアップを目指すものと考えられている。つまり,「担当→係長→課長→部長→役員→社長」というコースである。ITエンジニアの職種にも同じことが言える。IT企業には「プログラマ→SE→プロジェクトマネジャー」というキャリアパスがあり,そのコースから外れたら「落伍者」と見られる傾向が強い。
米国では日本と違い,極めて優秀なプログラマは「プログラミング・スペシャリスト」を目指す。プログラミング・スペシャリストとは,ソフトウエアの新しいアーキテクチャを作るエキスパートである。ここで言うソフトウエアとは,一般的にパッケージ・ソフトを指す。
プログラミング・スペシャリストは天才的なひらめきが必要となるため,大変優遇されている。年収で言うと,おおむねプログラミング・スペシャリストが1500万円,システム・アナリストが800万円,SEが700万円,一般的なプログラマが600万円といったイメージだ。
このように米国では,日本のようにプログラマからSEを経てプロマネになるキャリアパスだけではなく,プログラミングを極めてプログラミング・スペシャリストに至るというキャリアパスが確固として存在している。
さらに付け加えると,日本では1人の社員が社内で様々な部署や職種を転々とすることがよくあるが,米国ではそういうケースはまれだ。例えば,経理の帳簿付けをしている人は,退社するまでその仕事を続けるというケースが多い。かといって帳簿付けの人が卑下されるわけではない。CEO(Chief Executive Officer)が経営のプロであるのと同様に,帳簿付けの担当者はその道のプロと見なされる(図6[拡大表示])。会社という組織上,上司と部下という関係はあっても,職務の重要度に上下関係はないという考え方だ。
生活レベルは変えて当たり前
日本で転職のコンサルティングをしていると,「ほかの会社に行っても生活レベルを落としたくない」という人が少なくない。その傾向は年齢が高くなるほど強まるようだ。家族を抱えて生活レベルを落とすことには,「人生の敗残者」というイメージが付きまとうのだろう。その気持ちは分からないでもないが,生活レベルの維持に固執するあまり,自分のキャリアの可能性を狭めてしまっている人をよく目にする。
その点,米国のITエンジニアの姿勢は極めて柔軟だ。家のローンが払えなければ家を売る。家賃が高ければ安いアパートや,安く暮らせる土地へ移る。子供の教育費がかかるなら,転向や退校をする。「生活レベルを落としたくない」という気持ちはあっても,仕事や会社が変わるのなら仕方がないと割り切っている。
宮脇 啓二(みやわき けいじ)/イムカ 人材開発事業部 人材コンサルタント 1988年明治大学卒業。大手流通業と金融業の社内SE,外資系コンサルティングファームでの業務・ITコンサルタントを経て,イムカへ入社。IT業界を中心とした転職相談を行うキャリアコンサルタントとして活動中 |
谷内 健一(やない けんいち)/イムカ 専務取締役 1981年東京理科大学卒業。大手電子機器メーカーで開発,商品企画を担当。89年よりイムカにてキャリアコンサルタント業務を行なう。若手エンジニアから経営トップまで,1000名を超える転職の成功を支援した |