日本で最初に市場を作り出したパソコンといえばPC-8001を挙げる人が多いだろう。海外では既に数社がパソコンを販売していたが,日本メーカーではNECがいち早く“個人がすぐに使える本格的なパソコン”を開発した。システムプラットフォーム研究所モバイルターミナルTGの加藤明部長,NECシステムテクノロジー システムテクノロジーラボラトリの土岐泰之主任研究員,NECパーソナルプロダクツ PC事業本部カスタマーサービス本部の池田敏昭グループマネージャーは半導体部品の拡販のためPC-8001を開発しパソコンという新たな製品分野を開拓した。

 PC-8001が登場したのは1979年。パソコンと呼べる物が出始めた時期であり,カラー表示が可能なPC-8001はそれまでと一線を画す存在だった。NECのPC-8001以前と言えば「TK-80」。技術者の教育のためのマイコンキットである。

 TK-80は自分で組み立てる「教材」として法人向けに売り出したが,図らずもコンピュータ好きな人々がこぞって買い求めた。「プラモデル感覚でマイコンに触れた。コンピュータを学べるのがうれしいという時代だった」(加藤氏)。ベンチマークの記事でしかパソコンを組み立てたことのない記者にとって,組み立てというとCPUやメモリーをマザーボードに挿していくものしか知らない。製品写真を見ると,むき出しの基板に入力キーが付いていた。プログラミング言語は機械語しか使えなかったという。その後BASICが使えるTK-80BSなども発売した。

自分が欲しいものを作った

 PC-8001は,マイコンキットのユーザーからの「仕事で必要な複雑な計算をさせたり,ゲームを作れるようなマシンが欲しい」というニーズを形にしたものだった。「秋葉原にBit INNというカスタマ・サポートや情報発信の場があった。ここで技術者が直接ユーザーの意見を聞いた。個人でも使えるコンピュータへのニーズが高まるのを肌で感じた」(加藤氏)。開発者にとっても「自分が作りたいものを作った感じ」(土岐氏)だという。

 1978年に開発プロジェクトを立ち上げた。開発・販売合わせて10名ほど。記者が驚いたのは,加藤氏は入社3年目,土岐氏と池田氏は入社2年目だったということだ。当時の話を聞いていると,若手が試行錯誤しながら作り上げたという雰囲気が伝わってくる。「自由な雰囲気だった。PC-8001に搭載したBASICを作ったBill Gates氏がすぐそばで床に座ってキーボードをタイプしていたこともあった」(土岐氏)。

3年間で25万台の大ヒット

 まずはハードの開発からだ。当時カラー表示できるパソコンはApple!)しかなかった。そこでカラー表示などにこだわった。鍵となったのがディスプレイのコントローラ。「TK-80BSでは汎用の海外のものを使ったがPC-8001では社内で開発したものを使った」(加藤氏)。モニターはつけなかった。同時期に登場したシャープのMZ-80Kはモニター一体型。「モニターは別売りでモノクロとカラーの2種類を用意し,好きなほうを選べるようにした。また,家庭にあるテレビやテープレコーダを使えるようにしてアピールした」(池田氏)。

 ROMに格納したBASICを決めるに当たっては,土岐氏が作ったものとMicrosoftのGates氏のものでどちらにするかを選択した。土岐氏のインタプリタは「機能を絞って高速にしたのが特徴。Gates氏のものは機能が豊富だった」(土岐氏)。実績があり,何よりも標準のものを採用するために,MicrosoftのBASICに決めたという。

 PC-8001は起動するとすぐにBASICが立ち上がるのも好評だった。「家電で使うマイコンも同じ部署で開発していたから,ROMに入れて電源オンにすればすぐに立ち上がるようにするというのは自然な発想だった」(土岐氏)。

 PC-8001は1979年5月のマイクロコンピュータショウで初お目見え。黒山の人だかりができた。出荷は同年9月。価格を16万8000円と低く抑えたこともあり3年間で約25万台を出荷した。周辺機器も多く売れたという。

 「仲間作りが大切だった。出版社やソフトハウス,販売店との連携がうまくできた。ユーザーの声を聞くなどサポート体制も整えた。これが今のサポートの原点になっている」と販売などを担当した池田氏は振り返る。PC-8001がパソコンの使い方を広く周知させるきっかけとなった。