みなさん,はじめまして。まほろば工房の近藤です。ひょんなことから,こちらのスペースをいただきました。ご存知の方もいらっしゃると思いますが,私は数年前から日本ネットワーク・オペレーターズ・グループ(JANOG:ジャノグ)の会長を努めさせていただいています。

 そんなわけで,JANOGなどの活動を通じて日々,インターネットという巨大なネットワークを運用する立場からさまざまな方々の意見をお聞きしています。そこで,このスペースを通じて私がインターネットに思うことを私の個人的な視点ではありますが,つれづれとお話していきたいと思います。どうぞ飽きずに連載にお付き合いください。

■ 1997年に誕生したJANOG

 さて,最初は何をおいてもJANOGについてご紹介していこうと思います。JANOGは,遡ること9年,1997年に設立しました。JANOGとはJapan Network Operators' Group(日本ネットワーク・オペレーターズ・グループ)の略です。これはNANOG(The North American Network Operators' Group:米国のネットワーク・オペレーターズ・グループ)を参考にして発足しました。JANOGでは,技術者やユーザーに貢献することを目的に,インターネット関連の技術やオペレーションに関して議論しています。

 JANOGの設立に当たっては,JANOGを日本の中でどういう位置づけの団体としてやっていくのかが実によく語られました。JANOGのWebをくまなくみると見つけることができますが,第1回JANOGミーティングのJANOG1というものの前に「Pre」そして「Pre-Pre」というミーティングの記録が残っています(あぁ,本当になつかしい・・・)。

 Pre-PreミーティングでJANOGの基本姿勢を決め,それをPreミーティングで採択し,JANOGミーティングのリハーサル的な位置づけでプレゼンテーションも行いました。議題もかなり濃いもので,25名ほどのミーティングでしたが,相当盛り上がったことを覚えています。

 ここで集まった25名にはJANOG創設メンバーのほとんどが参加しています。彼らには「俺たちが聞きたいことをミーティングで議論する。ほかの人に遠慮して議論の質を落として俺たちがつまらなかったら,JANOG自体が面白くない」---。そんな思いが,どこかにあったんだと思います(そんなわけで,私はしょっちゅう議論においてけぼりでした・・・)。

 いよいよその年(1997年)の11月に第1回のミーティングにこぎつけました。場所は「東京オペラシティ」のセミナールームです。NTTさんに会場を借りていただきました。

 このころはNANOGを強く意識していて,プログラムに「NANOG報告」があるのが特徴的です。今では,技術的に米国が特に進んでいるということはありませんし,米国事情と日本の事情が異なります。何よりもNANOG報告をしてくださるという人を探すのが難しくなりました。

■ 地方で開催されることが多いわけ

 JANOGの開催方法も,時とともに変わってきました。大きく変わったのはJANOG8(8回目のJANOGミーティング)ぐらいからです。JANOG8を皮切りにJANOGミーティングで協賛をお願いし始めたのです。このころになるとJANOGのメンバーも3000名に近づき,JANOG8では参加登録者が500名に達しました。

 この回までJANOGでは,企業が持つ大きな会議室やホールを借りてミーティングをやらせていただいていました。しかし,企業の大きな会議室やホールは大企業といえども少なくなってきていて,会場確保が大変難しくなってきたのです。会場を探す難しさというのは今でもあまり変わりありません。ただ,協賛というシステムを入れることで,比較的小さな会社でも会場を借りてJANOGに提供していただくことが多少やりすくなったと思います。

 そして,JANOGミーティングの地方開催。誤解をされている方もおられるかもしれませんが,JANOGは意図的に地方でミーティングを開催しているわけではありません。JANOGのミーティングは,ホストに応募していただいた企業の方の希望地で開催しているに過ぎません。つまり,JANOGを開催したいという企業には,地方の企業が多いという背景があるわけです。

 JANOGを招致して下さる方の特徴として,郷土愛が強いという点が挙げられます。開催が決まると数回現地にお邪魔して打ち合わせをさせていただくわけですが,接すれば接するほど,「私この土地が好きなんです」というのが伝わってくるんですね。また,この土地でインターネットの技術というものをもっと活発にしたいという想いが伝わってきます。地方のJANOGミーティングに参加された方も多いと思いますが,なぜか気持ちよいのはそんなところから来るのかもしれません。ということで,決して東京開催がいやというわけではありません。参加のしやすさから考えれば東京というのは捨てられないキーワードですから。

■ 絶えず新しいスタッフが参加

 一方,JANOGのスタッフの作り方も変わってきたと思います。当初からJANOGのスタッフは公募という形をとっています。そのスタッフの数はJANOG16までで何と132名にものぼりました。その中で,最多スタッフ経験回数は11回の方が2名おり,JANOGのこれまでの半分以上に協力いただいているのです(ちなみに運営委員ではありません)。さらには,毎回5名から10名の方が新しいスタッフとして参加しています。

 このようにJANOGのスタッフが毎回入れ替わっていくことで,新しい試みが絶えず続けられているため,プログラム作りの考え方も変わってきています。また,ミーティングそのものに対する考え方も変わってきているのではないかと思います。

 時代背景もJANOGのプログラムを変化させました。当初は経路制御や大量トラフィック制御などが多かったのに対し,最近ではVPN技術,QoS技術,セキュリティに関する技術も目立ちます。さらに,インターネットは複雑なものとなり,最近では「インターネットガバナンス」なんていうキーワードもちらほら聞かれます。

 JANOG18は久しぶりの東京開催となります。ぜひ足を運んで議論に参加してみてはいかがでしょか?

 最後に,今まで語られることのなかったJANOGのキャラクターを紹介しておきましょう。「ジャノ坊」君です(写真)。惜しくも今のJANOGロゴ作成時にボツになってしまった残念なキャラクターですが,ちょっとだけ,どこかで紹介したいといつも思っていたのです。

■近藤 邦昭(こんどう くにあき)

日本ネットワーク・オペレーターズ・グループ(JANOG)の会長。1970年北海道生まれ。神奈川工科大学・情報工学科修了。1992年に某ソフトハウスに入社。主に通信系ソフトウエアの設計・開発に従事。1995年,株式会社ドリーム・トレイン・インターネットに入社し,バックボーン・ネットワークの設計を行う。1997年,株式会社インターネットイニシアティブに入社,BGP4の監視・運用ツールの作成,新規プロトコル開発を行う。2002年,株式会社インテック・ネットコアに入社。2006年には独立,現在に至る。