先輩社員に連れられて,田中氏は近所の総合病院に向かった。総合受付で症状を説明すると,「まず内科の診察を受けて下さい」と指示された。しかし血液などの検査結果は「異常なし」。内科の医師はこう言った。「ストレスが原因かもしれませんね。精神科の受診をお勧めします」。

 精神科の診察室に入ると,医師はこう尋ねた。「こんにちは。どういうことでこちらに来られましたか?」。田中氏は,医師にボソボソとこれまでの事情を説明した。

 医師は,田中氏が説明する心身の症状や表情,雰囲気から,すぐにうつ病を疑った。「食欲はありますか?」,「朝早く目が覚めたりしませんか」といった,いくつかの質問をして田中氏の答えを聞くことで,うつ病の疑いは確信に変わった。

 医師は穏やかにこう告げた。「疲れてしまって大変でしたね。田中さんは今“うつ状態”です。早く来られてよかったですね」。実際には田中氏は完全なうつ病だったが,不安感を持たないよう,医師は意識的に「うつ状態」と表現したのだ。

 医師はゆっくりとした口調で続けた。「休養とお薬で,ちゃんと治ります。心配しないでいいですよ。しばらくこのまま会社を休みましょう」。「しばらくって…どのくらいですか?仕事があるんですが」。田中氏が慌てると,医師は諭すように言った。「まずは1カ月くらいですね。しっかり休まないと,余計に長引きます。1カ月以上休むかどうかは,経過を見て決めましょう」。

 その後,田中氏は医師から,自宅で安静にしていること,薬物療法が必要であること,薬にはある程度の副作用が伴うこと,などの説明を受けた。「副作用に我慢できないときは,すぐに電話で連絡してください。次回は1週間後に来ていただけますか」。医師にこう告げられ,田中氏は先輩とともに病院を後にした。

抵抗感ない専門家に相談する

 田中氏のようにうつ病の重い症状が出た場合は,一刻も早く医師に診てもらう必要がある。とはいえ軽度の症状や兆候が出ているだけの段階では,いきなり病院に行くのは心理的な抵抗が強いかもしれない。そうした場合は,産業医,カウンセラー,保健師・看護師など企業内の産業保健スタッフに相談するのも1つの手である。

 産業医注3)は,企業に所属して社員の健康管理や診療に従事している医師のことだ。必ずしもうつ病に関する専門性を持っているとは限らないが,必要に応じて精神科などの専門医を紹介してくれる。

 カウンセラー注4)や保健師・看護師は,特に大企業が自社の産業保健スタッフに組み入れるケースが増えている。カウンセラーは「臨床心理学」注5)を修得しているメンタルヘルスの専門家であり,相談相手としては産業医より適しているかもしれない。保健師・看護師は本来メンタルヘルスの専門性は乏しい。しかし企業によってはメンタルヘルスの特別な教育を行っており,社員の相談窓口にしている。

 企業内の産業保健スタッフに対しては,「診察や相談の記録が人事部に筒抜けになるのではないか」と不信感を持つ人がいるかもしれない。さらに中小のITベンダーの場合,産業保健スタッフの組織がきちんと整備されていないこともある。

 こうした場合は,企業外のカウンセラーに相談するのも手だ。全国の保健所や労災病院などが設けているメンタルヘルスの公的相談窓口も利用できる。またWebを検索すれば,医師によるうつ病の詳しい解説やうつ病になった人の闘病記も見つけられる。医学的に正しい情報ばかりではないが,それを差し引いてもきっと参考になるはずだ。

大事なのは医師との相性


図4 心の病の相談先・受診先
自分にとって最も抵抗感が少ないところを選んで,なるべく早く相談・受診することが重要だ

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図5 医師を選ぶ際のポイント
心の病に関しては,医師個人の力量に大きな差がある。優れた医師を探す際,キャリアの長さは1つの目安になるが,それだけで判断すべきでない。診療を受けて,自分と相性が合わない,信頼できそうもないと思ったら,別の医師に相談すべきだ

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 メンタルヘルスに不安を感じたら,上で挙げたような専門家や相談窓口の中から,自分にとって最も抵抗の少ないところを選べばいい(図4[拡大表示])。しかしベストの方法は,早い段階で専門医に直接診てもらうことだ。

 ここで言う専門医とは,心の病の専門という意味であり,大きく分けて「精神科」と「心療内科」がある注6)。ストーリーの中で田中氏が受診した精神科は,統合失調症(分裂病)などの重い心の病にまで対応できる,心の病の専門科だ。一方の心療内科はもともと内科から分かれた専門科であり,特に「心身症」について専門性が高い。とはいえうつ病に関しては,どちらに行ってもよい。

 受診するのは,必ずしも大きな総合病院である必要はない。近隣のクリニック注7)など,自分が行きやすい医療機関に行けばよい。うつ病をはじめとする心の病は医療設備が必要なく,「医師個人の腕」が重要なので規模はあまり関係がないからだ。

 では,どうやって医師個人の腕を見分ければいいのか。そのチェックポイントを図5[拡大表示]に挙げた。目安になるのは医師のキャリアの長さだが,それだけでは十分でない。最も大切なポイントは,医師がどれだけ話をしてくれたか,あるいは話を聴いてくれたか。つまり,きちんと患者とコミュニケーションを取っているかどうかである。

 心の病に限ったことではないが,患者側に医師への信頼感がないと治療はうまくいかない。その信頼感のベースになるのがコミュニケーションだ。初診のときに患者と話そうとせず,ただ薬を処方するようでは,良い医師とは言えない。

 医師に信頼感を持てず自分と相性が悪いと思ったら,まずはほかの医師に相談する。別の病院やクリニックで普通に診てもらって事情を話すのだ。ほかの医師の意見を聞くことで,主治医に対する見方が変わり,主治医とのコミュニケーションの溝が埋まることもある。もちろん相談した医師が信頼できそうな人であれば,その人に主治医を切り替えてもよい。

 注意したいのは,次々と主治医を替える,いわゆる「ドクター・ショッピング」である。こうなると,1人の医師が時間をかけて経過を見られないため,治療の効果が出ない原因の1つになる。

 では,うつ病は実際にどう治療するのか。

次回に続く

(中山 秀夫,平田 昌信)