ダイキサウンドの会社概要と業績推移
ダイキサウンドの会社概要と業績推移
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東京・新宿の飲食店の一角に置かれているダイキサウンドの検索視聴機「デコストア」。楽曲のダウンロードもできる
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近年、大手レコード会社に属さないバンドやミュージシャンの活躍が目立つ。200万枚以上を売り上げた「モンゴル800」や昨年の紅白歌合戦に出場した「Def Tech」。彼らはインディーズと呼ばれる小規模なレコード会社(レーベル)からCDを発売している。日本中のインディーズレーベルを束ねて、流通制度を整えたのがダイキサウンドだ。POSシステム開発などの経歴を持つ創業社長は音楽配信や海外進出にも力を入れていく。

 日本レコード協会によると、CDやカセットテープを含むオーディオレコードの生産金額は、2004年まで6年連続で減少の一途をたどっている。しかし、一概に音楽産業が衰退しているとはいえない。日本レコード協会の発表する数字は、所属する大手レコード会社の総計である「表の数字」にすぎないからだ。大手レコード会社以外からもインディーズと呼ばれる小規模なレコード会社(レーベル)が数多く存在している。

 こうしたインディーズのミュージシャンの活躍がこのところ著しい。2002年にアルバム「メッセージ」を200万枚以上売り上げた沖縄出身のロックバンド「モンゴル800」はその代表格だ。ピアノの弾き語りで人気のジャズシンガーの綾戸智恵もインディーズ出身だ。

会社設立から5年で上場

 一見、斜陽に感じられる音楽産業を下支えしているのが、インディーズレーベルとそこに所属するミュージシャンたちだ。日本レコード協会に所属しないインディーズレーベルは、独自の流通経路を使い、全国のレコード店へと作品を出荷している。この仕組みを整えたのがダイキサウンドだ。会社設立は1999年。2005年8月期の売上高は55億5300万円、経常利益は4億5700万円。設立からわずか5年ながら2004年11月にはジャスダックに上場を果たした。

 木村裕治社長はもともと日本レコードセンター(NRC、神奈川県厚木市)に勤めていた。NRCは1978年に大手レコード会社により設立された共同物流会社だ。レコード会社とレコード店を取り持って1枚の発注でも翌日出荷してきた。木村社長は、このNRCでPOS(販売時点情報管理)システムを開発し、全国のレコード店に導入を促すとともに、レコードのジャケットにマスターと呼ばれる製造番号を入れていく作業を指揮してきた。

 POSを機能させるにはすべての商品にバーコードを印字しなければならないし、バーコードには商品にまつわる様々な情報を登録しなければならない。過去の作品までさかのぼって情報をインプットするという気の遠くなるような作業に打ち込むなかで、「マスターを統一する大切さに気づいた」と木村社長は話す。

 木村社長がインディーズ音楽の業界に足を踏み入れたのは、NRCを退職し自身がゲーム音楽の制作とかかわったのがきっかけだ。せっかく作ったCDを売ろうにも小規模のレーベルでは全国へ流す販路がなかった。木村社長はここにビジネスチャンスを見いだした。インディーズレーベルの音楽CDを流通させる仕組みを作れば、時流に乗って大きな事業になる——。全国のレコード店は既存の大手レコード会社からの作品だけでは行き詰まりつつあった。業界は音楽産業の起爆剤としてダイキサウンドを支援してくれた。

インディーズと大手で役割分担

 大手レコード会社にとってダイキサウンドが作品を取り扱うインディーズレーベルは競合するようにも見えるが、インディーズでデビューしヒット曲を出したミュージシャンの多くは大手レコード会社に移籍する。つまりインディーズレーベルは大手レコード会社にとって優秀な新人の供給源になっている。大手レコード会社では採算がとれなくても小回りの利くインディーズレーベルでは、作品を自由に発表できるミュージシャンにとって登竜門でもあるのだ。

 木村社長の古巣であるNRCも支援してくれた。ただし、インディーズレーベルのCDをNRCで扱う際に、マスターと呼ばれる製造番号の統一が必要だった。すべてのインディーズレーベルが統一したマスターを使っていなければ、NRCの共同配送と受発注の仕組みに組み込むことができない。ダイキサウンドではこのマスターの整備を一手に引き受けた。こうしてNRCの共同物流にインディーズ作品が流通できるようになった。