フロッピ・ディスクに代わって多く使われるようになったCD-R。普及始めの頃は等倍速で,フルに書き込むには1時間近くかかった。それが,2003年には書き込み速度が52倍速にまで達した。価格も100円を割った。CD-Rドライブは2000年冬からパソコンにほぼ標準で搭載されるようになっており,今では誰にとっても身近な存在だ。当時の常識を覆した開発の経緯や書き換えができないライトワンス(write once)だからこその意義を,太陽誘電 総合研究所基礎開発部の浜田恵美子主席研究員は次のように語った。

 ライトワンスの光ディスクを開発するに当たっては,いくつかの選択肢があった。今でこそCD-Rのような直径12cmのディスクは標準的に使われているが,1980年頃はLDくらいの大きさのディスクが文書保存用に使われたりしていた。1985年頃は13cmがISO標準だった。1985年に光ディスクの研究を始めた太陽誘電としては「当時ブレークしだしたCD規格の方に関心があった。CDが12cmだったから,12cmという大きさとCDの信号フォーマットで開発を進めた」。

 まずは12cmの大きさのライトワンス・メディアを2年半かけて作った。このときはCDとの互換性はなかった。その後1988年にCDの生みの親であるソニーの中島平太郎氏がCDプレーヤで再生できる記録型ディスクを作ってほしいと依頼してきた。ソニーにCDと互換性はないが12cmの記録型ディスクを持っていったところ,中島氏は「CDプレーヤで再生できるものでなければダメだ」と言う。

 中島氏が声をかけた会社の中で,開発を続けたのは太陽誘電だけだった。「CDと互換性がある書き込み型ディスクなんてできるわけがない」というのが当時の研究者の一般的な見方だったのだ。CDはディスクの記録層に「ピット」と呼ぶくぼみが型押しされている。ピットによって反射率が変わるため,その違いを利用してデータを読み出す。ところが,記録するにはレーザー光を吸収させてピットを刻まなければならない。「反射が必要なメディアに対し,光を吸収させるという相反する仕組みを取り入れるためにはどうすればよいのか」を考えていたと浜田氏は振り返る。

 浜田氏はチームでいくつか方法を出し合って試していった。一番ネックになったのが,CDプレーヤで認識されるためには70%以上の反射率がなければならないこと。それ以下の反射率だとデータとして認識しない。

 現在のCD-Rの構造はCDに一枚層を足した構造になっていて,光を反射する反射膜の上にピットを形成するための色素膜の層がある。ところが最初に試作したメディアには反射膜がなく,反射率が70%に届かなかったのだ。「いくつか考えた方法のうちの一つが反射膜を入れる構造。70%以上の反射率を達成するには,CDで使っていたアルミ膜よりももっと反射率が高い反射膜材料が必要だった。そこで金を使うことで反射率を上げた」。こうして,70%という反射率を達成しCD-Rのひな型ができた。現在は反射膜材料には銀系化合物を使っている。

 ここから,CD-Rの完成は驚くほどスピーディだった。2~3週間で出来上がったという。1988年9月26日,太陽誘電は世界初のCD-Rを発表した。翌年にはソニーとの合弁会社「スタート・ラボ」を設立し販売を始めた。

書き換えられないことこそメリット

 CD-Rが広く普及したのは,「パソコン用の記録機が登場し,その価格が1000ドルを切るあたりから急に広まった」。同時に高速化も加速した。94年に4倍速,98年に8倍速の記録機が出てきた。2002年には48倍速に到達した。高速化は難しいのだろうと記者は思っていたが,高速化自体はいろいろな色素を使えるからそれほど難しくなく,それよりも「過去の等倍から読み出し書き込みをできるようにするのが難しい」そうだ。

 CD-Rは書き換えられないという制約を持つ。ところがその制約こそ,「CD-Rの最大のメリット」と浜田氏は言う。「書き換えられないからこそ保存に向く。一時的な記録ではなく,残すことを前提としているデータもある。書き換えられるということは消してしまうこと。だから残らなくなりがち」。こうして最近,浜田氏の考え方は変わった。「ライトワンスはデメリットだと思っていたが,記録をとるのは,多くの場合,保存するために記録する。ライトワンスはむしろメリットだ」。