筆者はあの日のことを今でもはっきりと覚えている。2003年10月27日,月曜日の出来事だ。数千人の開発者がロサンゼルス・コンベンションセンター(LACC)のAホールにどっと押し寄せた。この会議は「PDC 2003」という名称で,米MicrosoftのBill Gates氏はこの時初めて,「Windows Vista」(当時はLonghornと呼ばれていた)の全貌を明らかにした。筆者は「このOSが世界を揺るがすことになるだろう」と幸せな気分になったものだった。

 あれから2年半が過ぎたが,MicrosoftはまだWindows Vistaを出荷していない。このOSの大量出荷が始まるのは2007年になるだろう。PDC 2003は幸福感に包まれていたが,その後のMicrosoftによるWindows Vistaの扱いは,あまりにもひどかった。顧客に対する約束は何度も何度も破られ,色んな機能が現れては消えていった。恐らく初期のコードが技術的にあまりにも不安定だったので,全プロジェクトを事実上最初からやり直したのだろう。言い換えれば,Windows Vistaは大失敗以外の何物でもなかったということだ。何しろ,まだ発売されてもいないのだ。一体,何が起こったというのだろう?

Microsoftはあまりにも大きすぎる巨木

 Microsoftと長年付き合ってきた筆者は,次のことだけは自信を持って言える。Microsoftは,筆者が今まで出会ってきた中でも最も聡明で,最も賢明で,最も洞察に優れ,最も友好的な人たちで文字通りあふれかえっている。筆者の親友の何人かは直接的あるいは間接的に同社で働いている。筆者はテクノロジについて執筆する仕事を通して,数多くの人々と出会い,長期にわたる友好的な関係を築いてきた。しかしMicrosoftは羨ましくなるような人的資源を抱えているにもかかわらず,信じられないような過ちをいくつも犯している。

 同社はNetscapeの邪魔をするため,(結果的に法を犯して)未成熟のInternet Explorer(IE)をWindowsの奥深くにバンドルしてしまった。この行為のために丸10年たった今でも,同社は定期的に発見される深刻なセキュリティ上の欠陥という形で,代償を払い続けている。開発者は欠陥を修復する作業に追われ,本来なら革新的な新機能を創出するのに費やすべき時間を奪われてしまった。同社は,自らが最も忌み嫌っていたもの(すなわちIBM)に成り下がってしまったのである。つまり,簡単な決断さえも下せないような半自治的中間管理職と,様々な地位と肩書きを持つ副社長たちからなる複雑怪奇な階層構造のことだ。この会社は,最重要製品のアップデートを出荷するには,あまりにも巨大すぎ,あまりにも動作が遅すぎる。自らの重さを支えきれずに,崩れかかっているのだ。

今も残る「古くて悪いMicrosoft」

 とりわけWindowsは悲惨な状況だ。同社の従業員が筆者に語ってくれたところによると,Windows部門は過去のMicrosoftの恥ずべき姿を今でも引きずっているそうだ。つまり,マーケットシェアを奪うためなら手段を選ばず,競争相手を非情なまでに踏みつぶしてきたMicrosoftのことである。競争相手の邪魔をすることに夢中になるあまり,顧客をないがしろにしてきたMicrosoftのことだ。LinuxやAppleのファンが常に,自らの愛するOSを抹殺しようとしていると信じて疑わなかったMicrosoftのことだ。同社の繁栄を支える最大の要素であるWindowsファンに対して,建設的な関係を築き上げるのではなく,不必要な法的措置をちらつかせて脅しをかけたMicrosoftのことだ。

 もちろん,これらの悪事を働くMicrosoftがMicrosoftのすべてというわけではない。それどころか,Windows部門のすべてというわけでさえない。しかし,悪事を働くMicrosoftは実際に存在する。そして,Windows部門があまりにも上手く行っているおかげで,ソフトウエア業界のグラスノスチ(情報公開)が進んだここ数年間においても,悪事を働くMicrosoftは存続している。だが,今になってMicrosoftはようやく状況を改善しようと努力し始めたたようである。Steven Sinofsky氏はGates氏の腹心であり,ここ10年間におけるMicrosoft Officeの定期的で安定したリリースを統括してきた。その彼が今,次期Windowsの開発を指揮している。悲しいことに,Windows Vistaの救出には間に合わなかったが,Windows部門を内部から破壊する寸前までいった癌を,彼が取り除けるかどうか見ものである。

 結局のところ,何が間違っていて,何が正しかったのだろうか。Bill Gates氏は2003年の半ばに「ルーツに戻る」といった趣旨の発言をしていた。当時Gates氏が自分の時間の半分をまだLonghornと呼ばれていたものに費やしていたことを考えると,われわれはこの時点で危険信号に気づくべきだった。悲しいことだが,Gates氏も悪事を働くMicrosoftの一部だったのである。彼は,正式に同社から身を引くか,少なくとも名誉職に就くくらいの潔さを見せるべきだった。次世代Windowsへの関与を強め,直接作業にかかわるようなことはするべきではなかった。

 Windows Vistaに関しては多くの約束がなされ,興奮が生み出された。しかし結局のところ,これらはすべて無駄だった。技術的な視野に立って言うと,われわれが将来手にするWindows Vistaは,情けないことだが当初のWindows Vistaの貝殻,あるいは影のようなものに過ぎない。それでも,Windows VistaをWindowsのメジャー・リリースと呼ぶのは可能である。諸般の理由から,筆者もそうするだろう。カーネルは書き換えられた。グラフィックス・サブシステムは大幅に向上しているものの,Mac OS Xの影響が簡単に見て取れる。Windows Vistaの機能の半分がApple製品からの借用であるかのようにさえ見える。

 Microsoftは恥を知るべきだ。それは,Windows Vistaのプロジェクトが上手く行かなかったことに関してだけではない。MicrosoftがAppleをコピーするのは誰もが予期していたことである。AppleやLinuxも同じようにMicrosoft製品をコピーしているからだ。しかし,Mac OS X Tigerの焼き直し程度の製品を出すことを,人々に大げさに期待させるべきではない。Windows Vistaは期待外れだ。この真実をうまく取り繕って伝える方法はない。

Windows Vistaから削られた機能の数々

 Windows Vistaには,SQL Serverをベースに一から書き直された「Storage+」と呼ばれるファイル・システムが実装されるはずであった。後に「WinFS」と名前を変えたこのファイル・システムは,さらに「ストレージ・エンジン」というものに格下げされた。そして,WinFSは10年以上前から存在するNTFSファイル・システム上で動作することになった。さらに,パフォーマンスがあまりにもひどいということで,WinFSはWindows Vistaから取り除かれた。現在,WinFSはアドオンとして,Windows Vistaと同時期に出荷されることになっている。ひょっとしたら,さらにずれ込むかもしれない。出荷されずに終わるかもしれない。これは誰にも分からない。もう誰も気にも留めていないのではないだろうか?

 WinFSがなくなるのは大したことではないという話を聞いた。Windows Vistaには,Mac OS Xの「Spotlight」を真似たことが明白なインデックス・ベースの検索エンジンが搭載されるから,というのがその理由だ。それはそれでいいだろう。しかし,この他にもWindows Vistaには,新しい「仮想フォルダ・システム」が搭載されることになっていたのだ。これは,われわれが現在使用しているドライブ名に基づくファイル・システムから逃れるために,長年待ち望まれていたものである。仮想フォルダがあると,ファイルがどこに保存されているかを気にする必要がなくなる。これらの特殊なフォルダ(実際には検索結果を保存したもの)がパソコン内部やさらにはネットワークの至るところからファイルを集め,これらのファイルをシンプルな1つの画面内,つまりデスクトップに表示するからだ。筆者はこの話を聞いて,胸を弾ませたものだった。

役割が大幅に後退した「仮想フォルダ」機能

 仮想フォルダは素晴らしいものに思えた。しかし,ふたを開けてみると,多くの人々が混乱した。そしてようやく筆者は,Windows Vistaの仮想フォルダ技術における主要な変更点を,記事化できるようになった。実は仮想フォルダ機能の仕様が,2005年9月版のCTP(評価版)と2006年5月版のCTPの間で,大きく変更されたのだ。

 当初,仮想フォルダは「マイ・ドキュメント」や「マイ・ピクチャ」といった特殊シェル・フォルダに取って代わるものだった。その後,仮想フォルダは単に,特殊シェル・フォルダを増加させるものになったが,依然としてシェル(デスクトップ画面)内で目立つ存在だった。ところが,やがて仮想フォルダは「Stored Searches」と名前を変え,仮想フォルダを内蔵するというアイデアは完全に破棄された。そして,Stored Searchesの果たす役割も極めて控えめなものになった。結局,Stored Searchesという名称も「Searches」という単純な名称に改名される。現在のビルドでSearchesという機能を発見するのは,極めて難しい。確かに存在はするが,Windows XPにおける「タスク・ペイン」(エクスプローラの左側に現れる機能)のように,普通のユーザーは誰も気づかないだろう。ましてや,それを使うことなどまずないだろう。Windows内に存在はするが,誰も使わないようなものを「機能」と呼べるだろうか? この問いかけに対する答えは,哲学者たちに任せることにしよう。

 Windows Vistaから取り除かれてしまった機能の例を挙げればきりがない。WinFSと仮想フォルダは,最も明白な例である。MicrosoftがWindows Vistaに搭載すると約束し,却下した機能のリストを作ってみるのも面白いかもしれない。リストに入れたくなるような例を以下にいくつか挙げてみる。「システム・トレイ上の通知エリアに取って代わる,システム全般の通知を表示可能な本物のサイドバー」「サイドバーやWindowsカレンダ,Windows Mail,その他のコンポーネントをすべて表示可能で,Media Centerのようにリモコンで操作できる10フィート(3メートル)ユーザー・インターフェース」「RAW画像ファイルの本当の意味でのサポート(画像編集を含む)」---このように,リストはどこまでも伸ばせるだろう。

 Windows Vistaから抜け落ちた機能の徹底調査をすると,スペースがいくらあっても足りなくなる。そこで今回は,ビルド5308とビルド5342をベースに,Windows Vistaのどこが破綻しているのか見ていこうと思う(訳注:なお現在の最新ビルドは「5365」である。本記事の著者であるPaul Thurrott氏によるビルド5365のレビュー記事は,近日中にITproでも公開する予定)。